秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

よき指導者の誕生を願って~梶原武雄先生と佐々木修先生~

2013年08月18日 | 囲碁界への提言
≪強者回顧≫ 


 碁席秀策開店以来約30年。以来当店師範を引き受けて下さった佐々木修先生。
 その名前を知る人はいまや少なくなってしまいました。そんな佐々木先生の棋譜をもう一度見直そうと、ある青年が活動しています。
 秀策情報ブログ に、佐々木先生の棋譜が紹介されています。ごらん下さい。

 佐々木先生、生涯をアマチュアの碁打ちとして全うされました。しかしアマチュアとはいえ、かつての東京の囲碁界を知る人であれば、当世一流である事実を否定する事はありません。院生時代の山下敬吾や謝依旻といった幾多の実力者を鍛えた事からもわかる様に、アマチュアや素人といった枠を遥かに突き抜けた実力者。
 そんな佐々木先生、雑誌企画にて梶原武雄先生と対局され、見事に中押しで勝たれました。勝因は梶原先生の終盤戦があまりにも不味すぎた為でしたが、そんな失着以外については、
「梶原さんは、大変な苦労人だったからねぇ」
 と、棋風、人柄、生涯を懐かしく回顧されていました。

≪導かれた才能≫ 


 プロとアマ。本来であれば実力立場いずれも相容れないはずですが、梶原先生と佐々木先生に限っては奇妙な類似点が幾つかあります。
 かたや新潟県佐渡島出身の梶原先生、かたや東京都八丈島出身の佐々木先生。何事もなければ、お互い顔をあわす事すら無かった筈。大会での優勝経験こそ無いけれども、群を抜いた才能を認めているプロは多い。お二人に師事してプロになった人も多い。
 棋風に限っては正反対でしょうが、徹底的に調べ尽くそうとする姿勢もまた同じ。梶原先生と言えば、「石の方向性と働き」。囲碁の最善手を求め続けていた事はよく知られています。
 一方の佐々木先生のこだわりと言えば、「簡明さと明解さ」。プロがアマチュアに奨める「わかりやすい打ち方」なる物の中にも、実は難しかったり後々の変化が紛らわしかったりするものが実に多い。ならば本当に必要最低限の知識や技術とは何なのか。長年アマチュアの世界に身を置いていたからこそ、囲碁の汎用性について問い詰める必要性を痛感したのでしょう。若い頃、図書館に通って囲碁の本を読み漁ったとも聞いています。

≪調べ尽くす覚悟≫ 

 碁打ちの実力と云うもの、打碁の結果とネームバリューでしか判断されない傾向があります。しかし私は、その人が強くなるまでの経緯についても注目してみたい。今の囲碁界、分かりやすい指導を心掛けている人が増えている一方で、その多くが紋切り型の指導しか出来ない事も事実。近所の図書館の蔵書を紐解けばすぐにわかる事でさえ、知らない分からないと言っている有段者が兎に角多い。
  囲碁の指導者、仮にも人様の人生の一端をお預かりしているという自覚が無ければならない。何も調べもせず、わからないわからないと軽々しく言っている人に、これから囲碁を学ぼうと志す人達からの期待に応える事が出来るのでしょうか。囲碁を教えるという事は、囲碁の打ち方や技術のみを説明するだけが役目ではない筈。

≪次世代の指導者の育成を急げ≫ 

 『四強二修』と云う、昭和の観戦記者が作った言葉があります。
 菊池康郎、平田博則、村上文祥、原田実の強豪4人に、佐々木と西村の2人の「修」。
 アマチュアでありながらもプロに対して勝るとも劣らぬ実力。そんな評価を受け実績もある人達。そんな強豪達の青少年期の事を探る事で、また囲碁指導者としての経験や工夫を訊ねる事で、今後の囲碁界における教育や指導法の手がかりを探る事が出来るのでは無いか、私はそう推測します。

 私が佐々木先生に受けた指導、その大半は囲碁指導のあり方についてでした。分かりやすく伝える事、本質を誤解無く理解して貰う事。私がそれらについてある程度受け入れられたのは、池上彰さんや永六輔さんの著書を読み、伝える為の重要性をある程度意識していた為でしょう。また佐々木先生とは、大正や昭和の著名な経営者や、スポーツ関係者のコーチングについての話題が広がりました。もしも私が囲碁以外の事について何も関心がなければ、囲碁指導の在り方など考える事は無かったはずです。そんな議題について追究していく内、囲碁指導についての新しい可能性が見えてきました。それらは、現代のプロに対しても意見具申するに値する物かもしれません。
 囲碁の実力を強くする方策はいくつもあるでしょうが、囲碁普及の重要性を良く理解出来る指導者を育成する事は極めて困難。今の囲碁界、囲碁の指導者の技量はあまりにも喜ばしい物ではありません。一人一人の人生に良き指針を与えられる、優れた指導者を一人でも多く育成しなければならない。今この機会に、囲碁の普及と青少年の育成を急がねばなりません。
 梶原先生や佐々木先生程の実力や見識ある指導者が必要なのですが……

 井山裕太と云う関西の天才棋士が世界大会で優勝された事は快挙かもしれませんが、何もしなければ一過性の幸福的現象として終わってしまう。
 世界の頂点に立つ意味。それは、囲碁を知らない人々に大いなる希望と夢を与える意味があるのですから。

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