子連れパチンコ客、駐車拒否を 2011/08/04(木)毎日新聞より
車中に置き去りにされた子供が熱中症で死亡するという痛ましい事故、数年前より問題になっていますが、後を絶ちません。これらを防止するために、警察が関係団体に対し指導を行ったそうです。
ただし最近では置き去りの手口が悪質になって来ているとそうです。特殊なフィルムを窓の内側から貼り付け、車中の様子を見えにくくする手口。また、ベビーシートやチャイルドシートにタオルをかけ、子供の存在に気付きにくくする手口。これらをする人たちはプライバシー権や個人情報保護などの法的権利を口にするようですが、子供の生命・生存にかかわる問題なれば、いずれはこれらの行為を厳しく規制する法整備が必要になるのかも知れません。
実はこの問題、「育児放棄」に関わる問題。しかし、それだけに注目してはいけません。
「子供を車中に置いたままパチンコに行く」
という行為、あえて性善説に立って考えるならば、
「今の日本の母親は、育児孤独に陥っている」
と、私は考えています。
例えばよく言われるように、都会に住む人たちはマンションに住んでいる。管理人の常駐やオートロックなど防犯システムはしっかりしているけれど、隣の部屋に住む人との付き合いがない。また仕事の都合上、親と同居する事が出来ない。さらには保育所の不足などで子供を預ける事が出来ず、仕事に行くこともままならない。
また地方の場合、「子育ては母親がするもの」という意識が(特に年配者に)強いため、子供を預けて遊びに出かけるということが難しい。もしそんな事をしては悪いうわさが流れ、近所付き合いが難しくなる。また、仕事先が遠方という例が多く(例えばご主人は東京方面に車で50分、義父は反対方面に車で80分)、子供がけがや急病であってもすぐに駆けつけてもらう事が出来ない。
特に地方は人口減少などでバスや鉄道などの交通手段が少なくなり(廃線も多い)、一人に一台自家用車がないと就職できなくなり、それが原因で高齢者や学生などが買い物や通学が困難になっているという事が取り上げられています。これに関しては、以前NHK総合テレビで特番が組まれています。
今回幼児が車中で熱中症で死亡したという問題は、石川県輪島市との事。地方には大型駐車場を持つ郊外型のパチンコ店も多く、そこに子供を連れてきたという事は、地方であっても人間関係が疎遠になっているという事が推測されます。
※教育評論家の尾木直樹先生が、
「自分がパチンコに行くため、子供を自宅に留守番させて学校に行かせない」
という報告をされていました。(『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系列より) こういった事例は特殊な個々の問題ではなく、現代日本の代表的な病巣ととらえた方が正しいのかもしれません。
子育ては世間一体で
子育ては親、特に母親がするものというのが代表的な考え方。しかし長く続く不況に男性が低収入を強いられている事、また女性の社会進出により母親が育児に時間を多く割けなくなっている事。これらが一因となって、男性が育児に参加する「イクメン」が増えているそうです。
しかしこれにも問題が考えられます。育児を通じて男性が鋭気を養い、仕事の励みにできると言うなら問題はありません。しかし、育児に時間を取られ体力気力を奪われ、それが仕事にも響くように事になってしまったら、それは間違いなく悪循環。育児過労という事例が増えてしまっては、将来的に男性会社員の給与を減らそうという動きが出てくるかもしれません。
そういえば、「男性は女性より、子育てでストレスを感じる人が多い」という話を聞いた事があります。これは本当なのでしょうか。
また根本的な問題として、今の女性にとっても、子育ては未経験の分野。少子化や一人っ子が増えている時代傾向の中で、妹や弟のお守のお手伝いをしたという人は、ベビーブーム世代の方と比べても減少しているのではないでしょうか。小中学校の家庭科の授業でも裁縫や料理などの勉強はしますが、子供の世話に関しては、幼稚園教諭や保育士に関する過程のある学校へ進学しないと学べない。
それなのに子供が生まれたら育児に専念しなければいけないというのは、どう考えても無茶な話。子育て経験のない母親に任せっきりにするのではなく、経験豊富な祖父母や近所のおばちゃん方が積極的に関与するべきです。そこから子育てを学び、母親・父親としての力をつけていくのがこれからの目指す社会なのではないのでしょうか。
そういえば以前、「託児所のある碁会所はないものか」という事を、木下かおりさんのブログに書き込ませていただいた事があります。木下さんは興味を持って下さいました。
ただしこの場合、法律にのっとった環境整備が必要なのでお金がかかるでしょうが、特に都心では利用を望む人が多いのではないかと思います。それに何より、
「母親を育児ストレスや育児孤独から解放する」
という事が私の考えですから、営利目的ばかりではなく社会的大義もあるはずでず。
碁会所というところは、大抵が個人経営や家族経営。儲けもほとんど無く、赤字が出なければそれでいいというのが現実です。
そういった個人経営・家族経営の店では難しいでしょうが、日本棋院であれば可能なのではないでしょうか。例えば二カ月に一回のペースで女性のための入門教室などを開くとき、東京本院の一階を託児室として開放。そこにはベビーシッターや保育ママといった方にその日だけ来ていただき、お子さんが遊べるようにする。
もしそれが好評であるならば、二カ月に一回から一カ月に一回、さらには一週間に一回と増やしていく。
場合によっては、東京本院の近くで働く方のための託児所として開放する事はできるのかどうか。考えられる問題は、保育所は厚生労働省の管轄、日本棋院は文部科学省の管轄。手続きや交渉に関しては厄介かもしれません。では、日本棋院の一階の教室で開催している囲碁教室はどうするのか。それは、都内の碁会所などに協力をして頂き、「日本棋院のサテライト教室」を開けばいい。都内の場合、常連のお客さんはたくさんいらっしゃいますが、時間帯によっては幾らかの余裕もあります。そんに時間帯にサテライト教室を開いたとしたら、碁会所にも安定的な収入が見込めますし、お客さんにとっては市ヶ谷まで出かける必要がなくなる。
2011年、日本棋院は財団法人から公益財団法人へ移行したそうです。
「囲碁の普及は社会的な意義がある」
と国から認められたわけですが、囲碁を普及させるだけでよいのか。特に近年の日本のコミニティー(近所付き合い・世代を超えた交流)はもろいものになっていますが、それらの問題を囲碁普及で回復・再構築させる事はできないものか。
日本の囲碁界が一丸となって考えてもいい問題だとは思うのですが。