ぶらぶら★アフリック

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国連コートジボワールミッション(ONUCI)が実質撤退完了

2017-02-21 12:30:25 | アフリカ情勢
14年間にわたってこの国に展開した国連コートジボワールミッション(ONUCI)、つまり国連による平和維持活動。安保理マンデートでは完全撤退期限は今年6月30日と定められているが、当地2017年2月20日の夜までに、軍、警察などのほとんどの実戦部隊が撤退を完了。僅かの残務要員を残し、実質的任務を終えた。

(2016年7月、ヤムスクロウ・ブアケ間にて)


まだコートジボワールにPKOなんていたの?とお感じの方もいるかもしれない。それだけ14年の間に、この国で起きたことは、大きな傷跡として残っている。

ONUCIが展開されたのが2003年、実質的に国が南北に分断された状況で、ローラン・バグボ大統領、北部反政府軍、国連の間でリナ・マルクーシ和平協定が締結された後だった。

国家の南北分断と信託ライン、イボワリテ、選挙管理委員会の独立性と信頼性。選挙実施、選挙後危機における激しい戦闘。コートジボワール危機は常にONUCIとともにあった。外国人排斥の流れの中で、バグボ政権はONUCI に反駁、愛国青年団(Jeunes Patriots)には標的にされた。

ンボテもこの間、何度とアビジャンに足を運んだ。チョイ・ヨンジン、ケンダースなど歴代の国連事務総長特別代表とも意見を交わしたことが思い出される。

一時は一万人規模で展開したONUCI。急速な復興と経済成長の中、いつしかこの国の風景に似つかわしくない存在となっていった。


その撤退前夜。2016年7月の一連の暴動。2017年初頭からの兵士騒擾と労働者デモの嵐はこの国の紛争後の傷跡と危うさを露呈した。まるでONUCI撤退の後ろ髪を引くように。

しかし時遅し。この国の治安はもう国連頼りにはできない。自ら戦後を乗り越えて行く試練の始まりでもある。

・・・と思ったが、この国にはまだ仏軍、通称リコルヌが残っている。最後の砦を残さざるを得ない状況がこの国と地域の現実でもある。


(おわり)

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