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アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

映画『ティンブクトゥ』監督の描きたかったものとは?~アブデラマン・シソコ監督来日(3)

2015-07-03 07:30:17 | アフリカ映画
連載中のフランス映画祭シリーズ。前回より、アブデラマン・シサコ監督の'timbukutu'について、その時代背景をご紹介してきた。

※映画『ティンブクトゥ』についてはこちらから↓
映画『ティンブクトゥ』その時代背景~アブデラマン・シソコ監督来日(2)

フランス映画祭の過去記事はこちら↓
フランス映画祭~今年のアフリカ注目映画は?!

映画『バマコ』~アブデラマン・シソコ監督来日(1)



この映画、ストーリー的には一部で議論があるようだが、制約と限界の中で、よく当時の現実を再現したと、ンボテは高く評価したい。そして画像の美しさ、叙景手法、叙述の作り込みは秀逸である。ちなみに撮影は彼の母国、モーリタニア。サヘルの美しい自然と、そこで息づいてきた暮らしぶりは、サヘル以外の地では再現不可能だろう。


さて、この映画の後に、アブデラマン・シサコ監督とのフリー質問のコーナーが設けられた。その模様をご紹介してみよう。


前日、映画『バマコ』上映後のマスタークラスでもシソコ監督とのトークの時間が設けられた。インタビュアーが対談を進めていくと、監督は「僕たち壇上ばかりで話をしているじゃないか。私は映画を見てくれた皆さんと意見交換したいのだ。」マイクを会場に向けるよう要望した。

「自分は映画人。映画を語り、来てくださった皆様と話をするのは容易なことではない。」朴訥とした口調で話しかける。


この日のトークでは、壇上でのインタビュアーによる対談はなく、そのまま質疑がフロアにオープンにされた。

- 出演者の演技がリアルすぎる。テロリストや抵抗する町の人など、役者なのか?本当の実在する人物を起用したのか?
「どちらも起用した。主人公のキダーンはギターリスト。妻役は歌手だ。映画を演じるのは初めてだった。イスラム武装勢力のリーダーはフランス系アルジェリア人の俳優。歌を歌って逮捕され、鞭打ちにあった女性はマリの女優だ。一般の人も映画に登場する。わたしはそういう手法には慣れているのだ。」


水辺の決闘のシーンについて。漁師の黒人アマドゥウに、水を飲みにきた牛を殺された「おとしまえ」をつけにきた場面だ。サヘル地域のコンテクストをいつも見つめているンボテとしてはかなりリアルな設定。夕暮れの砂漠、それを写して赤く染まる水辺。水中の決闘。生死を決したところで、キダーンが河を渡り戻っていくシーンは映画の中でも最も印象に残る。

- この場面のメッセージは何か?
「見る人の感覚に委ねたいが、自分としては人間のもろさを描いたつもりだ。いま死にゆく人と、明日死ぬ運命にある人。はかない生を描きたかった。」

この場面、夕暮れの絶景で撮られたもの。暮れ行く景色がそのはかなさをさらに浮き立たせる。「夕暮れのシーンだったので、たった一回のテイクで撮った。」

キダーンがピストルを身につけ、家を離れようとする時には、妻のサティマが思いとどまらせようとする。「アマドゥのところに行くのに、武器はいらないわ。話し合うのよ。」キダーンはこれを聞き入れかなった。そしてアマドゥは暴発したピストルの弾で命を賭し、キダーンはイスラム武装勢力に刑を執行される運命となる。諍いのある砂漠世界で、平和を主張し続けてきたトゥアレグの女性思いがここに描かれている。


映画では暴力や死を描写した場面もあるが、血を見ることがなかった。「人の死を描くのに血はいらない。暴力のシーンもなくていい。わたしの映画はアメリカ映画ではない。静かな暴力として描くことで、その残虐性を浮き彫りにすることができるのだ。」


- 監督の映画では、イスラム武装勢力も魂を持った人間であり、人の親であり、報道で描かれる残虐な存在というものとは一線を画しているように感じられたがが。
「そのとおりだ。人間性を描きたかった。ジハーディストも人間だ。暴力的な側面と人間としての優しさ(doux)を持ち合わせているはずだ。そこに解決があるとも思えてくる。」


- ボールのないサッカー、取り締まりから隠れてたしなむ音楽。暴力の支配下での日常があまりにリアル。これは事実に基づくものなのか?
「そのとおり。トンブクトゥが解放されてすぐに現地に入った。たくさんの人から現地の事情をつぶさに聞いて、作品を作った。」


- 最後のシーン。キダーンの刑の執行の場面に、妻のサティマが飛び込み、そこで射殺され、映画は幕を閉じる。なぜこのシーンを最後にしたのか。

「不器用ながら溢れる想いで敵討ちに入ったシーン。トゥアレグの女性の強い意思と抵抗(geste de femme)を描いた。」


深い思索の中で一つ一つのシーンが描かれてきたことが伝わってきた。

監督はこう言ってセッションを閉めた。「簡単な映画ではなかったかもしれない。しかし、もしこの映画を見て、何か考えるところを皆さんの心に残せたとすれば、この作品の意義があったと思う。」

映画『Timbukutu』は、今年の冬にも渋谷ユーロスペースで公開となる予定だ。

(おわり)

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