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ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

星に願いを~コンゴ川・七夕ストーリー(1)

2014-07-08 07:30:20 | ぶらぶらアフリカ論
昨夜7月7日は日本的には七夕の夜だった。織姫と彦星が年に一回だけ、天の川を渡って会うことが許される日。しかしその天の川も、ここ東京では厚い雲に覆われ、今年は2人が会うことは許されなかった。なんという切ない夜だろうか。

この話を思うと、いつでも頭をよぎるのが、ンボテの天の川。そう、コンゴ川である。


世界第二位の流量と流域面積を誇るコンゴ川。その大河を挟んで二つの首都が隣接する。コンゴ民主共和国のキンシャサと、コンゴ共和国のブラザヴィルだ。この首都間の距離、世界で最も近いそうだ(ローマとバチカンというのもあるがそれはちと反則笑)。

どちら側からも、青々と町並みを望むことができる。キンシャサで銃撃戦があれば、川を超えてブラザヴィルにも流れ弾が着弾する。ブラザヴィルで弾薬庫の爆発があれば、キンシャサ側でもガラスが割れる。そういう距離だ。

(キンシャサから見たブラザヴィル)


(ブラザヴィルから見た雨に煙るキンシャサ)


もともとキンシャサは人為的に大きくなった政治都市。しかしそのルーツで言えば、もともとは二つの街は同じ言葉を話し、同じもの食べていた部族がこの地の住民であった。

18~19世紀にアフリカがが列強によって支配され、1884-1885年の植民地再分割に関するベルリン会議で固定化した。ブラザヴィル側は仏領中部アフリカに。キンシャサは、なんとベルギー国王、レオポルト二世の私領、つまり時差付きの広大なお庭となった。

歴史は末尾のリンク記事に譲ろう。

それから130年。両国の独立後、54年。川の両岸は、異った歴史を歩み、異った運命を辿った。

いまでも両国の違いを明白に見て取れる。キンシャサからブラザヴィルに渡るには、ンゴビラ・ビーチという河川港から船に乗る。渡河はわずか10分ほど。しかし出入国にはそれぞれ1時間以上の時間を要する。距離以上の厚い壁がそこにはある。

ブラザヴィル側は国全体でも人口約150万人。空気が澄み、のんびりした雰囲気。緑のタクシーが我々を待ち、町の移動もスムーズだ。

あちらからこちらへ戻ってくるとだいぶ様子が違う。帰りの船に乗り、キンシャサが近づいてくると、だんだんウォーっという喧騒が襲ってくる。そして船が着岸すると護衛の官憲がお決まりの儀礼でお出迎え。「カバンの中身を見せろ。こっちは朝から何も食ってねぇんだ。」今でこそだいぶ良くなったと聞くが、どんなあんばいだろうか?

どこが織姫と彦星かって?あ、忘れてた。それは次回!

(つづく)

◆コンゴとベルギー
前編~ベルギー統治がもたらしたもの
後編~二つの国を結ぶ切れない関係
続編~アンゴラ領カビンダのお話

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