いま、その、御本尊様より、票のほうがよく見える年なのです。一票二票とはいる、それがなんだかありがたく見える年なのです。それは見させておいてあげなさい。
同じ岸系といっても、いろいろある。ここらでへたくそに立った代議士の応援などやらないように。私は宗教団体の王様なのであり、岸先生は政治団体の王様なのです。立場が違うだけです。ただ人間を理解しあえばいいのです。
《戸田城聖全集 第4巻 p.599》
…………………………
昭和33年の「3.16広宣流布記念式典」において、戸田先生が「創価学会は宗教界の王者である」と宣言された、と習った方は大勢いらっしゃることと思う。
しかし驚いたことに、戸田先生がそのように仰った部分は、書籍では存在しない。いちばん近いと思われるところが、上記引用箇所である。 読んでいただければ判るように、これはご自身のことを言われているのであり、創価学会のことを仰ってはいないのである。
全文を読んでも、主に岸総理(当時)のことを様々に語られており、「創価学会は宗教界の王者」との趣旨は出てこない。
だが、この講演のタイトルは「宗教界の王者」となっている。これは一体どうなっているのだろうか。
考えられる可能性としては、次の2点が挙げられる。
1.そのような発言はなかったが、戸田先生としてはそういうことを話されるつもりであった。
2.発言自体はあったが、昭和59年発行の本であり宗門との摩擦を防ぐ意味で削除された。
いずれにせよ、「創価学会の歴史」の検証は必要なことなのかもしれない。
同じ岸系といっても、いろいろある。ここらでへたくそに立った代議士の応援などやらないように。私は宗教団体の王様なのであり、岸先生は政治団体の王様なのです。立場が違うだけです。ただ人間を理解しあえばいいのです。
《戸田城聖全集 第4巻 p.599》
…………………………
昭和33年の「3.16広宣流布記念式典」において、戸田先生が「創価学会は宗教界の王者である」と宣言された、と習った方は大勢いらっしゃることと思う。
しかし驚いたことに、戸田先生がそのように仰った部分は、書籍では存在しない。いちばん近いと思われるところが、上記引用箇所である。 読んでいただければ判るように、これはご自身のことを言われているのであり、創価学会のことを仰ってはいないのである。
全文を読んでも、主に岸総理(当時)のことを様々に語られており、「創価学会は宗教界の王者」との趣旨は出てこない。
だが、この講演のタイトルは「宗教界の王者」となっている。これは一体どうなっているのだろうか。
考えられる可能性としては、次の2点が挙げられる。
1.そのような発言はなかったが、戸田先生としてはそういうことを話されるつもりであった。
2.発言自体はあったが、昭和59年発行の本であり宗門との摩擦を防ぐ意味で削除された。
いずれにせよ、「創価学会の歴史」の検証は必要なことなのかもしれない。
昭和59年に刊行された『戸田城聖全集』は所持していませんが、亡き父から受け継いだ『戸田城聖先生 講演集(上・下)』(創価学会版・昭和36年10月発行初版)には、那由多さん引用の個所は以下のように記されています。
【今、その、御本尊様よりね、票のほうが御本尊様よりよく見える年なのだから。一票二票とはいるだろう。あれがなんだかありがたく見える年なのだから。それは見させておいてあげなさい。
同じ岸系といっても、いろいろあるな。ここらでへたくそに立った代議士の応援などやるなよ。私は宗教団体の王様なのだから、岸先生は政治団体の王様なのだ。立場が違うだけです。ただ人間を理解しあえばいいのだよ。】(下巻 p.378)
微妙に表現が変えられているのはおわかりでしょうか。
ただ、那由多さんご推測の、「発言自体はあったが、昭和59年発行の本であり宗門との摩擦を防ぐ意味で削除された」というのは当たらないのでは?
このときの話の全体を通読すると、戸田会長には、当時、学会が新興宗教のひとつと思われていることが腹立たしく、日蓮正宗という700年来の伝統ある宗派に属する在家集団であることを強調したかったのではないかと思われます。
戦後、雨後の筍のごとく生じた数多の新興宗団などとは、まったく違うのだという意味での“王様”発言だったと私は考えています。
ともあれ、小説である『人間革命』が、歴史的事実をそのまま描いているかのように受け取ることは、かなり注意を要することでありましょう。