思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

創価学会の矮小化

2012-06-25 10:17:17 | 思索の断片
 最近特に感じていることなのだが、創価学会の目的とは何だろうか。

 もちろん「広宣流布」や「世界平和」といった答えが返ってくるかもしれない。
 または、「社会に通用する一流の人間育成」という答えもあるかもしれない。
 「一人ひとりが幸せになること」と答える人もいるだろう。

 しかし、よく考えていただきたい。

 我々が日常やっている活動は、どこまでその「目的」に通じているのだろうか。

 私がますます危惧していることは、学会活動の「哲学性のなさ」である。

 創価「学会」であるはずなのに、学ぶ機会が非常に少ない。
 こういうと、「御書や先生の指導を日常活動の中で学んでいる」と反論されるかもしれないが、残念ながら活動の場で学ぶことのほとんどは「今の戦いに勝つ」事を目的とした、アジテーションとしての「学習」である。そうである限り、そこには「哲学を学ぶ」という姿勢はないといえる。

 哲学性のなさが何に繋がっているかといえば、「創価学会の矮小化」である。

 創価学会が目指しているものを体現しているはずの我々の姿が、「創価学会の利益(りえき)のために行動している」姿になってしまっている。
 本来なら全民衆に寄与すべき「活動」が、「創価学会のため」の活動になってしまっている。
 これは本当に「大乗仏教」なのだろうか。

 今こそ、我々は常に自問自答しながら本当の「前進」をするべき時であると思う。

6 コメント

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Unknown (its-value)
2012-07-04 00:28:31
利益(りえき)というのは最難関の哲学だと実感しています。


例えばお金を稼ぐというのは本当に難しい作業です。


天才たちは新型の哲学で自動的にお金が入ってくるようにプログラミングしています。(これは普通レベルの思考ではできないことです。最先端の哲学的な行為です。)


利益を獲得すること、


それが価値論という創価学会の潜在的な遺伝子だとおもいます。


ですので利益追求型の現状で良いのではないでしょうか。


そこから学べること(哲学)は多いと思っています。


結局、こういう風に疑問に回答してくれる人が非常に少ないというのは私も危惧していますが・・・
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同感! (ナポレオン)
2012-07-22 08:38:01
始めまして、時々拝見させて頂いております福島県の会員であります。私も貴方様の投稿・御回答に同感と深い思いを感じております。

さて私は今の創価学会には失望です。
全ての闘いが目的を見失っていると感じています。

学会としても個人としても「何の為」がずれ始め、また善と悪も判断できなく放置したままに成っている始末であると実感しています。残念ですが。

今後も色々発信してください。宜しくお願い致します。
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Unknown (藤村眞樹子)
2014-11-29 06:26:08
会員でないのですがコメントさせていただきます。
学会は失望していてはいけないのではありませんか?
まだまだ力を持っているのだと思います。

その力を世界の平和のために役立てるべきであると思います。
また高齢化社会で学会員でない方をも含めて笑顔を増やすことに努めていただきたいと思います。
いま必要なのはお金ではなく笑顔だと思います。
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創価脱会カウンセリング (野良の三毛猫)
2018-12-31 19:17:31
創価脱会カウンセリング
野良の三毛猫です

創価学会は
愚者のぬるま湯
詐欺集金団体です
支部長 婦人部長は
単なる アホです

返信する
創価はヤバいですよ! (wainai123753)
2022-10-25 06:46:50
私も、三毛猫さんと同じ立場で、
創価は、邪義邪説邪道邪法邪教の邪師、池田大作さん、そもそもの話、牧口さんから、初期の時代から、そもそも間違いから出発していった、こう私は個人的にとらえて居ります。
戸田第二代会長は、立派な方です。この方は、御宗門に多大なるご尽力、素晴らしい卓越した御教示、大なるカリスマを発揮し、昭和二十~三十年代初頭を、あっという間に駆け抜けてゆきました。
問題は、この後、二年の空白期間を経て、権力闘争を経て、ジャジャジャーン、池田さん登場です。
相当、宴会をぶち上げたりして、当時の大幹部をもてなしたり、自分が気に入られる為に、あの手この手で、誑し込んだのでしょうね。
人心掌握の池田さん、当時、武闘派で知られた池田さん、当時の幹部は、三十台の若き池田大作さんに魅入られてゆきます。
というより、これだけ、カネかけられて、下手したら、自分もこの池田某にいじめられかねないですから、権力を握ってゆく池田氏には、誰もがイエスマン、文句も言えなくなる雰囲気です。
この二年間を、戸田先生亡き後の二年間を、小説の「人間革命」では、実に美談で師弟の絆を語るが、実際は、あれは、あくまでも、「小説」創価学会のまるっきり本当本物の「史実」ではない訳です。
相当、脚色され、美談話に勝手に盛り、盛り上がった、勝手気ままな、今ではそちらの方が、真実の、客観的に見た史実の方よりも、池田先生の手柄話に、会員たちは拍手喝さいを送る「正史」となり、されて居る、現今です。
でもねえ、学会員さんたち、あなたがた、この、美談で持ち上げられた、巨大な、誇大な妄想とも言うべき、言わば、作り上げられた世界、学会員だけのお花畑の世界、学会員御用達ファンタジーの世界、全てが、「想像」「捏造」「偽造」「偽物」の世界だと言う事。
これが、まだ、ノンフィクション、リアルで現実的な、ルポルタージュの、鎌田慧さんや、これはもう知の巨人、立派な方で、立花隆さんだったら分かるんですが、
まるっきり「偽」の世界ですからね。
噂によると、旧人間革命をかかれたのが、どこぞの出版社社長の、篠原善太郎さん、この人であり、だから、新人間革命とは、文体も、文章の構成も、何もかもが全く違う印象でした。
これも噂ですが、「新」の方は、聖教新聞ライターチーム、元々出版関係に明るい、書き物の得意な方々が書かれているとかいないとか。
篠原氏、篠原さんは、旧人間革命執筆後、もうとっくに御存命ではあられないですからね。

これを、これは、これが、池田大作さん、彼もカリスマだけはある人だったが、あの人一人で、ここまで、旧革命十二巻、新革命三十一巻、本当に自身の手で、実際に書けたのでしょうか。晩年は、十数年間以上、公の場には姿を現しては居りません。
この整合性の取れない付かない、矛盾だらけの膨大な書物、誰が読むんですか❓読むとすれば、狂人の沙汰、域ですよ。

読むだけで、頭がおかしくなる、私は、旧は全十二巻全て読みましたが、新は、たしか、六巻か七巻までで挫折致しました。新は全二十何巻までは揃えては居りましたが。
それら全てを、私の場合、福島県郡山市にある、日蓮正宗のお寺、無量山寿海寺に、その他、邪宗邪教の手の染まった、キリスト教の旧新約聖書全一巻を、三冊も四冊五冊も、新約だけで二、三冊、キリスト教はこの他にも、祈りの本、キリストは十年近くやったから邪教の害毒で沢山の本を子のお寺で処分した。その他、禅の本、臨済録、鈴木大拙の本類、他、浄土真宗歎異抄、伝統宗教が多かった。
その中で、一番を占めたのが、私の場合は、新興宗教教団の創価学会系列の出版社による、出版物の類であった。
ゴルバチョフとの対談、松下幸之助さんとの対談、世界中の博士との対談、対話対話、と、まるで、仏教仏法の安売り。しかし、その中では、ちっとも池田さんは、仏教の話なんか、ちょこっとしか出てこない。何じゃこりゃ、の世界。
一番多かったのが、創価の本。この、無造作に、ただ乱造に、腐る程集めた所業、罪業罪障に、只今の私は、深く怯え、怖れ、コワい、助けて―と、祈るような気持ちで実際に、今は祈っている。

日蓮正宗の、富士大石寺奉安堂に厳護された、七百五十年、八百年の伝統を保持し、実際に大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様に、今はコロナ禍で中々、まみえず、お逢い、お慕い申す事が叶わないが、(行ける人たちは今でも行ってるが)、是非とも、最低でも、一年に一度は、せめて御戒壇様には、御目通りが叶うよう、自身、立派に信心してゆこうと決めている。

何が、創価であって良かったのかは、自身、さっぱり判らぬ。
ただ、そこで受けた、集団教育、池田さんの世界文学者・世界哲学者の話、等々、冗長には過ぎた。
しかし、中には、非常なヒマつぶし、私の人生の反省に於いては、多少は、文学、哲学の素養には、中には、万に一つでも、役立つものがあったのかな、程度である。
それも皆、池田さんの自分の趣味の世界、域を出ず、毎回、衛星中継(同中)ではけむに巻かれたが。

しかし、当時は健康健在だった(今も車いすで施設で元気だが)母と夜行った、夜中の母の車運転の同中は、最高に楽しかった。母と一緒の同時体験がそうさせたのは言うまでもないが。
ここに、母との体験上の、思い出話で、この文の幕を閉じたい。

以上。長文失礼。よしなに。wainai.
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創価はヤバいですよ! (wainai123753)
2022-10-25 06:46:57
私も、三毛猫さんと同じ立場で、
創価は、邪義邪説邪道邪法邪教の邪師、池田大作さん、そもそもの話、牧口さんから、初期の時代から、そもそも間違いから出発していった、こう私は個人的にとらえて居ります。
戸田第二代会長は、立派な方です。この方は、御宗門に多大なるご尽力、素晴らしい卓越した御教示、大なるカリスマを発揮し、昭和二十~三十年代初頭を、あっという間に駆け抜けてゆきました。
問題は、この後、二年の空白期間を経て、権力闘争を経て、ジャジャジャーン、池田さん登場です。
相当、宴会をぶち上げたりして、当時の大幹部をもてなしたり、自分が気に入られる為に、あの手この手で、誑し込んだのでしょうね。
人心掌握の池田さん、当時、武闘派で知られた池田さん、当時の幹部は、三十台の若き池田大作さんに魅入られてゆきます。
というより、これだけ、カネかけられて、下手したら、自分もこの池田某にいじめられかねないですから、権力を握ってゆく池田氏には、誰もがイエスマン、文句も言えなくなる雰囲気です。
この二年間を、戸田先生亡き後の二年間を、小説の「人間革命」では、実に美談で師弟の絆を語るが、実際は、あれは、あくまでも、「小説」創価学会のまるっきり本当本物の「史実」ではない訳です。
相当、脚色され、美談話に勝手に盛り、盛り上がった、勝手気ままな、今ではそちらの方が、真実の、客観的に見た史実の方よりも、池田先生の手柄話に、会員たちは拍手喝さいを送る「正史」となり、されて居る、現今です。
でもねえ、学会員さんたち、あなたがた、この、美談で持ち上げられた、巨大な、誇大な妄想とも言うべき、言わば、作り上げられた世界、学会員だけのお花畑の世界、学会員御用達ファンタジーの世界、全てが、「想像」「捏造」「偽造」「偽物」の世界だと言う事。
これが、まだ、ノンフィクション、リアルで現実的な、ルポルタージュの、鎌田慧さんや、これはもう知の巨人、立派な方で、立花隆さんだったら分かるんですが、
まるっきり「偽」の世界ですからね。
噂によると、旧人間革命をかかれたのが、どこぞの出版社社長の、篠原善太郎さん、この人であり、だから、新人間革命とは、文体も、文章の構成も、何もかもが全く違う印象でした。
これも噂ですが、「新」の方は、聖教新聞ライターチーム、元々出版関係に明るい、書き物の得意な方々が書かれているとかいないとか。
篠原氏、篠原さんは、旧人間革命執筆後、もうとっくに御存命ではあられないですからね。

これを、これは、これが、池田大作さん、彼もカリスマだけはある人だったが、あの人一人で、ここまで、旧革命十二巻、新革命三十一巻、本当に自身の手で、実際に書けたのでしょうか。晩年は、十数年間以上、公の場には姿を現しては居りません。
この整合性の取れない付かない、矛盾だらけの膨大な書物、誰が読むんですか❓読むとすれば、狂人の沙汰、域ですよ。

読むだけで、頭がおかしくなる、私は、旧は全十二巻全て読みましたが、新は、たしか、六巻か七巻までで挫折致しました。新は全二十何巻までは揃えては居りましたが。
それら全てを、私の場合、福島県郡山市にある、日蓮正宗のお寺、無量山寿海寺に、その他、邪宗邪教の手の染まった、キリスト教の旧新約聖書全一巻を、三冊も四冊五冊も、新約だけで二、三冊、キリスト教はこの他にも、祈りの本、キリストは十年近くやったから邪教の害毒で沢山の本を子のお寺で処分した。その他、禅の本、臨済録、鈴木大拙の本類、他、浄土真宗歎異抄、伝統宗教が多かった。
その中で、一番を占めたのが、私の場合は、新興宗教教団の創価学会系列の出版社による、出版物の類であった。
ゴルバチョフとの対談、松下幸之助さんとの対談、世界中の博士との対談、対話対話、と、まるで、仏教仏法の安売り。しかし、その中では、ちっとも池田さんは、仏教の話なんか、ちょこっとしか出てこない。何じゃこりゃ、の世界。
一番多かったのが、創価の本。この、無造作に、ただ乱造に、腐る程集めた所業、罪業罪障に、只今の私は、深く怯え、怖れ、コワい、助けて―と、祈るような気持ちで実際に、今は祈っている。

日蓮正宗の、富士大石寺奉安堂に厳護された、七百五十年、八百年の伝統を保持し、実際に大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様に、今はコロナ禍で中々、まみえず、お逢い、お慕い申す事が叶わないが、(行ける人たちは今でも行ってるが)、是非とも、最低でも、一年に一度は、せめて御戒壇様には、御目通りが叶うよう、自身、立派に信心してゆこうと決めている。

何が、創価であって良かったのかは、自身、さっぱり判らぬ。
ただ、そこで受けた、集団教育、池田さんの世界文学者・世界哲学者の話、等々、冗長には過ぎた。
しかし、中には、非常なヒマつぶし、私の人生の反省に於いては、多少は、文学、哲学の素養には、中には、万に一つでも、役立つものがあったのかな、程度である。
それも皆、池田さんの自分の趣味の世界、域を出ず、毎回、衛星中継(同中)ではけむに巻かれたが。

しかし、当時は健康健在だった(今も車いすで施設で元気だが)母と夜行った、夜中の母の車運転の同中は、最高に楽しかった。母と一緒の同時体験がそうさせたのは言うまでもないが。
ここに、母との体験上の、思い出話で、この文の幕を閉じたい。

以上。長文失礼。よしなに。wainai.
返信する

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