思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

本仏論雑感

2016-10-28 22:45:33 | 思索の断片
実に久しぶりの更新となった。
壮年部となって3年、変わらず未だ浅学の身ではあるが、思っていることを書いておきたい。

教学試験に携わる中で「本仏論」という言葉に触れる機会があるが、これはなかなか複雑な内容をはらんでいるように思う。
そもそも「本仏」とは「迹仏」に対する語で、簡単に言えば「根本の仏」ということになる。
そして「本仏論」といった時に議論される内容としては、何を(または誰を)さして本仏とするのかという事になるだろう。

創価学会では、日蓮を「末法の御本仏」としている。
それに対して、「日蓮は自身の本地を上行菩薩としており、本仏であるとは言っていない。だから、日蓮を本仏とするのは間違いである」という見解がある。
もちろんそれはひとつの見解なのだが、その論法で言えば「釈尊は自身を本仏であるとは言っていないので、釈尊を本仏とするのは間違いである」という事も成り立つ。
そのことからも判るように、何が(誰が)本仏なのかを規定するのは、本人の自覚ではなく後世の人間であるという事だ。

であれば、日蓮が久遠実成釈尊を本仏と規定したように、創価学会が日蓮を本仏と規定することに何ら問題はないという事になる。
と同時に、いわゆる日蓮宗が釈尊を本仏としていることも何ら問題ないということになる。

つまり、「何を本仏とするのか」という議論と「日蓮は何を本仏としたのか」という議論は、別物であるという事だ。
この点が混同されてしまっているから、議論が建設的なものではなく相手への批判に終始してしまうのではないだろうか。