思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

叱咤激励

2009-11-26 00:40:10 | 思索の断片
 前回の記事でも触れたが、「反論としての思想」のコメント欄で小野不一さんからありがたい叱咤激励を頂戴した。

 年齢のこともあってか、なかなか組織で叱咤激励(というより主に叱咤)を受けることがないので、とてもありがたく思ったのである。
 特に『常識豊かで、つまらない大人になるな』という部分に、心を動かされた。
 20歳の頃、活動していなかった私に信心を教えてくださった先輩が、そういう先輩だったのである。 
 とにかく、さまざまなことを実践の中で叩き込まれた。書類の作り方から、行方不明のメンバーの捜索まで。
 
 私事で恐縮だが、この度、新たな役職を拝命することになった。
 そのことを、その先輩(既に壮年部)に報告したところ、ここでもまた叱咤激励を受けた。
 
 不思議なもので、そうすると気持ちが若返ったようになるのである。
 まだまだ成長していける、課題は多いぞ、という自覚ができる。
 
 同じような激励を小野さんから頂戴したことで、さらなる精進を決意した次第である。

反論としての思想・続き

2009-11-23 10:45:55 | 思索の断片
 前回の記事について、小野さんからありがたい叱咤激励をいただいた。感謝。
 
 では、記事の続きを書いておきたい。
 
 前回の最後の部分を、もう少し詳細に見てみる。
 インドでは権威に対しての反論であったはずの仏教が、日本へ渡来し、後世になるにつれ「権威」へと変貌していく。
 その過程は、古代インドにおいて、ヴェーダの時代が進むにつれて特権階級が生まれ、バラモン教へと変貌していく過程によく似ているように思われる。
 いつの間にか、「救う側」と「救われる側」、さらには「救われない側」が出来てしまうのだ。
 バラモン教では、司祭になれる身分を固定し、シュードラがヴェーダを唱えたら舌を切る、覚えたら体を切断する、とされている。そのくらい徹底した身分差別であった。

 そこを否定したはずの「仏教」が、日本において同じような過ちを犯すことになる。

 仏教が権力者による護国を目的とした時、仏教の心は失われてしまっていたのだろう。
 権力者に取り入り、後ろ盾となってもらい、その財力をもって自分を利するようになってしまっていた当時の日本仏教界――そこに反抗したのが、日蓮大聖人であったように思える。
 つまり、「救う側」であり「権力者側」にいることで民衆から離れてしまった日本の仏教諸派に対して、日蓮大聖人は「民衆こそが主役」「民衆こそが仏」との旗を掲げて、敢然と立ち向かわれたのだと思う。
 
 そうして「権力に対して戦いを挑む」日蓮仏法であったが、私にはそれすらも時とともに失われていった、と思える。
 「直系」「正統」をもって任じる日蓮系宗派もあったが、700年という長い年月を経て、僧侶と信徒が「救う側」と「救われる側」の関係へと変貌していった。
 そこに登場したのが、日蓮仏法を現代に蘇らせた「創価学会」であったと思う。

 創価学会の掲げる「民衆根本」「人間主義」というのは、まさに「生きた日蓮仏法」であると思う。
 であるがゆえに、創価学会の中に「救う側」と「救われる側」が存在してはならない(なお念のため書いておくが、これはもちろん「救う」という気持ち・意思を否定するものではなく、「救う側」という「固定的な立場」を作ってはならないという意味である)。

 ともあれ、創価学会はこれからもあらゆる権威、権力、権力化と戦い続けなければならない。
 それこそが仏法の真髄であるように、私には思えるのだ。

反論としての思想

2009-11-16 00:24:51 | 思索の断片
 現在、古代インドに関する本をあれこれと読んでいる。
 過日「釈迦仏法」という記事の中でも書いたのだが、「そもそも釈迦仏法とは何か」についての理解を深めたいと思ったからである。
 
 まず読み始めたのは、さまざまな経典の解説書だった。次いで日本仏教の歴史、成立に関する本を何冊か読んだ。
 しかし、それでは判らなかったことがある。
 「なぜ、仏教が説かれたか」である。

 その疑問を解決するために、古代インド仏教の本を読んだ。そして現状、もう少し遡ってインド哲学、古代インドの歴史について学んでいるところである。
 
 大ざっぱに書いてしまうと、古代インドに存在したのは自然崇拝的なものであり、宗教として体系づけられているものではなかったようだ。
 そこへアーリア人の侵入があり、「ヴェーダ時代」を経て、支配のシステムとしての「バラモン教」が成立する。
 バラモン教は、輪廻転生などを根拠として「支配する側は生まれ変わっても支配する側であり、奴隷は生まれ変わっても奴隷である」とする身分の固定化を行う(いわゆる四姓制度・ヴァルナ制度)。
 それに続いて、仏教とジャイナ教などが生まれたようである。

 いまのところ、その辺りまでしか判っていない。いや、ここまでの部分でも判っているとは言い難いかもしれない。
 しかし、その中で少々思ったことがある。

 つまり、「人間を区別するバラモン教」への反論として、仏教が生まれたという部分があるのではないだろうか。
 もちろんそれだけではないだろうが、そういう捉え方が出来ると思う。

 さらにいえば、本来、権威に対する反論であったはずの仏教が、後世になるにつれ「権威」へと変貌していく。
 そうして権力者のものとなってしまった仏教を、民衆の手に取り戻そうというのが「日蓮仏法」だったといえるのではないだろうか。

 なお、私の認識に間違いがあれば、指摘していただければ幸いである。

書は言を尽さず 言は心を尽さず

2009-11-03 15:32:18 | 思索の断片
  これは、太田入道殿御返事の末文に出てくる言葉である。

 『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』(p.1012)

 ところで今日、図書館で見ていた本に同じような表現が載っていて驚いた。

 《子曰く「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」と。》(易経)

 「意」と「心」の違いはあるが、ほぼ同じだといってよいと思う。
 Soka netの御書検索で見てみると、他にも「建長寺道隆への御状」「多宝寺への御状」「強仁状御返事」でも同様の表現が見られる(使われている意図は異なるが)。
 ちなみにいずれも、「心」となっている。

 日蓮大聖人御在世には、すでに「易経」も日本に入ってきているはずなので、特に不思議な話ではない。
 ただ、ふと思ったのは、大聖人の御書の中には『「出典元」が存在する表現』が、意外と多く含まれているのではないか、ということである。
 そういうものを見つけるのも、また興味深いものだ。