去るものは去り、残ったものは戸田を信じて、ぎりぎりの努力を傾け、事ここにいたったのである。戦いに悔いはなかったが、敗れた事実に、限りなく無念の思いが、こみあげてきた。沈痛な戸田から視線をそらし、一同はただ耳を澄ましていた。
「いま、僕は経済戦で敗れたが、断じてこの世で、負けたのではない。信心では少しも敗れていない。この五尺の身を広宣流布の大願に叩きつける覚悟は、いまも、これからも微動だにしていないことを、信じてもらって差しつかえない。大聖人様の仏法が敗れないかぎり、戸田は信心では絶対に敗れることはないのです」
《人間革命 第四巻 「怒濤」 文庫本p.219》
…………………………
戸田城聖は輾転反側(てんてんはんそく)して深い想いに沈んだ。彼はわが胸を掌でなでながら、会長に就任して以来の五年間を遡行して考えた。彼の考えた作戦や展開は、たとえどんな困難にあっても乗り越えて、ことごとく的を射り、完璧なまでに成功してきた。このたびの世間の風の中での作戦も、側近の首脳幹部たちは、いろいろの障害があったものの、同じく成功するものと楽観しているに違いない。すべては、九日の正午ごろに大勢は判明するだろうが、おそらく彼らははじめての挫折を知って驚愕するだろう。
広宣流布もいよいよ険しい道にさしかかったものだと、ひしひしと彼は身にこたえた。哀感に沈んだのでも、まして絶望に襲われたのでもない。険しい山の絶壁が、彼の眼前に聳(そび)えたっているのを直視したのである。彼は己心にその山をまざまざと見た瞬間、一首の和歌にわが心を託し、愛すべき全会員の一人ひとりに呼びかけた。
いやまして険しき山にかかりけり
広布の旅に心してゆけ
戸田城聖は、遠い未来の幾山河にいつまでも思いを馳せていた。時計は深夜の丑の刻、二時を指していた。つまり、昭和三十一年七月九日の午前二時である。
《人間革命 第十巻 「険路」 文庫本p.280》
…………………………
人生行路にあって
かりに 不運にも
姿は敗れることがあったとしても
信心の二字だけは
決して敗れてはならない
信心の二字が不撓であるならば
いつの日か必ずや
その人には
勝利の満足の証が待っている
その証は
社会の中に厳然として
明確に証明されるのが
事の仏法であるからだ
《青年よ二十一世紀の広布の山を登れ》
…………………………
我が使命を全うするのみ。
「いま、僕は経済戦で敗れたが、断じてこの世で、負けたのではない。信心では少しも敗れていない。この五尺の身を広宣流布の大願に叩きつける覚悟は、いまも、これからも微動だにしていないことを、信じてもらって差しつかえない。大聖人様の仏法が敗れないかぎり、戸田は信心では絶対に敗れることはないのです」
《人間革命 第四巻 「怒濤」 文庫本p.219》
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戸田城聖は輾転反側(てんてんはんそく)して深い想いに沈んだ。彼はわが胸を掌でなでながら、会長に就任して以来の五年間を遡行して考えた。彼の考えた作戦や展開は、たとえどんな困難にあっても乗り越えて、ことごとく的を射り、完璧なまでに成功してきた。このたびの世間の風の中での作戦も、側近の首脳幹部たちは、いろいろの障害があったものの、同じく成功するものと楽観しているに違いない。すべては、九日の正午ごろに大勢は判明するだろうが、おそらく彼らははじめての挫折を知って驚愕するだろう。
広宣流布もいよいよ険しい道にさしかかったものだと、ひしひしと彼は身にこたえた。哀感に沈んだのでも、まして絶望に襲われたのでもない。険しい山の絶壁が、彼の眼前に聳(そび)えたっているのを直視したのである。彼は己心にその山をまざまざと見た瞬間、一首の和歌にわが心を託し、愛すべき全会員の一人ひとりに呼びかけた。
いやまして険しき山にかかりけり
広布の旅に心してゆけ
戸田城聖は、遠い未来の幾山河にいつまでも思いを馳せていた。時計は深夜の丑の刻、二時を指していた。つまり、昭和三十一年七月九日の午前二時である。
《人間革命 第十巻 「険路」 文庫本p.280》
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人生行路にあって
かりに 不運にも
姿は敗れることがあったとしても
信心の二字だけは
決して敗れてはならない
信心の二字が不撓であるならば
いつの日か必ずや
その人には
勝利の満足の証が待っている
その証は
社会の中に厳然として
明確に証明されるのが
事の仏法であるからだ
《青年よ二十一世紀の広布の山を登れ》
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我が使命を全うするのみ。