思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

シビアな数字

2009-07-16 00:39:48 | 思索の断片
 東京の戦いは、完勝という素晴らしい結果だった。
 私もほんの少しではあるが貢献することができ、陣列に加わる事が出来てありがたく思った。
 その意味において、私は東京・全国の同志の皆様に心から感謝したい。

 
 しかし、数字というものは実にシビアな側面を持つものである。
 そしてその「数字」は、来たるべき戦いを勝ち抜くことが容易でないことを示している。
 勝って兜の緒を締める意味を込めて、また厳しい現実を直視するために、あえて記しておきたい。

 手元に、「東京の戦い」における党派別得票数の資料がある。
 この資料には、前回との比較が掲載されているのだが、いくつかの衝撃的な事実があった。

 ①自・民・公・共の中で前回よりも「総得票数」を減らしたのは、公だけである(マイナス42,865)。
 ②自・共は全体の約半分で「得票減」だったが、公は2ヶ所を除いて全て「得票減」である(2ヶ所とは、世田谷と豊島)。
 ③平均すると、前回比で超重では約マイナス476、重で約マイナス1955、激で約マイナス2922となり、激のほうがマイナスの幅が大きい。

 もちろん、候補者の数や様々な状況によって当選するかどうかは左右されるため、この状況が即ち「次の戦い」に直接反映されるものではないかもしれない。
 さらにいえば、前回よりも増やした自が落ち、減らした公が当選、という区もある。
 前回と今回では政治状況も「風向き」も異なるだろう。

 私たちの目指す「頂」を思うとき、上記①の事実は重いと言わざるをえない。
 だが、それを打ち破ることこそ、「戦い」といえるのではないだろうか。
 

「釈迦仏法」

2009-07-03 02:29:20 | 思索の断片
  先頃、創価王道で紹介されていた『ブッダは歩むブッダは語る』(友岡雅弥:著)という本を読了した。
 月刊誌「第三文明」に連載されていたそうだが、私の頭の中にあった「ブッダ」「釈尊」という存在が、大きく変わったといって過言ではない。

 私たちが「釈迦仏法」と言う時、そこには若干の侮蔑が込められている場合が多い。
 それは無理もないことで、私たちは教学を習う中で「末法においては、釈迦仏法は功力を持たない」ということを「常識」として身につけてしまっているのだ。
 だからこそ、「末法に流布すべき日蓮仏法」との対比として「釈迦仏法」が存在するのだろう。

 しかし、よく考えてみたい。
 そもそも「釈迦仏法」とは何なのだろう。
 私たちは「釈迦仏法」の何を知っているというのだろう。

 「釈迦仏法」を採用せよ、というのではない。
 ただ、その内容に対する充分な検討もなく、「釈迦仏法は~」などといっても説得力を持たない。
 それはただの独善となってしまう。

 もちろん、私自身全く教学未練のため、何の結論もここに書くことは出来ない。
 しかし、判っていない事を「判っている」と思ってしまうようなことだけは避けるべきだろうし、レッテルを貼ることで理解したような気になることは危険ですらある。
 
 そして、これは何事に関しても言えることである。

 なお、先述の本を読んで、古代インドにおける仏教と、それが伝来したはずの中国仏教(あるいは漢訳仏典)に相当な「開き」があるのではないか、と感じた。
 これについても学んでいこうと思う。