最近、気になっている事のひとつに「五老僧」のことがある。
日蓮大聖人に後を託された六老僧(日興・日向・日昭・日持・日朗・日頂)のうち、日興上人を除いた五人の高弟を言う。
もっとも、これは日興門流独自の呼称であるように思えるし、「五老僧が日蓮大聖人の流儀に背いた」というのもどこまでが客観的な事実であるのかというと、案外と心許ないように思う。
「五人所破抄」や「富士一跡門徒存知の事」にしても、ある意味で日興門流の視点を免れるものではなく、客観的な資料とは言い切れないように思う。
ただ、私は「五老僧は日蓮大聖人の流儀に背いていない」といいたいわけではない。背いたという「客観的な資料」を確認したいのである。
そうでなければ、それは「史実」ではなく「派閥の論理」となってしまうような気がするのだ。
これについては、これから深めていく予定である。
…………………………
本年も多数の方にご来訪いただき、まことにありがとうございました。
多忙ゆえ、なかなか頻繁に更新できていませんが、これからも思ったことや学んでいることなどの思索の断片を書き綴って参ります。
2009年もそろそろ暮れようとしております。
明年が、ともどもに境涯を開く一年となりますように。
那由他 楽人
日蓮大聖人に後を託された六老僧(日興・日向・日昭・日持・日朗・日頂)のうち、日興上人を除いた五人の高弟を言う。
もっとも、これは日興門流独自の呼称であるように思えるし、「五老僧が日蓮大聖人の流儀に背いた」というのもどこまでが客観的な事実であるのかというと、案外と心許ないように思う。
「五人所破抄」や「富士一跡門徒存知の事」にしても、ある意味で日興門流の視点を免れるものではなく、客観的な資料とは言い切れないように思う。
ただ、私は「五老僧は日蓮大聖人の流儀に背いていない」といいたいわけではない。背いたという「客観的な資料」を確認したいのである。
そうでなければ、それは「史実」ではなく「派閥の論理」となってしまうような気がするのだ。
これについては、これから深めていく予定である。
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本年も多数の方にご来訪いただき、まことにありがとうございました。
多忙ゆえ、なかなか頻繁に更新できていませんが、これからも思ったことや学んでいることなどの思索の断片を書き綴って参ります。
2009年もそろそろ暮れようとしております。
明年が、ともどもに境涯を開く一年となりますように。
那由他 楽人