思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

五老僧の問題

2009-12-31 22:30:02 | 思索の断片
 最近、気になっている事のひとつに「五老僧」のことがある。
 日蓮大聖人に後を託された六老僧(日興・日向・日昭・日持・日朗・日頂)のうち、日興上人を除いた五人の高弟を言う。

 もっとも、これは日興門流独自の呼称であるように思えるし、「五老僧が日蓮大聖人の流儀に背いた」というのもどこまでが客観的な事実であるのかというと、案外と心許ないように思う。
 「五人所破抄」や「富士一跡門徒存知の事」にしても、ある意味で日興門流の視点を免れるものではなく、客観的な資料とは言い切れないように思う。

 ただ、私は「五老僧は日蓮大聖人の流儀に背いていない」といいたいわけではない。背いたという「客観的な資料」を確認したいのである。
 そうでなければ、それは「史実」ではなく「派閥の論理」となってしまうような気がするのだ。

 これについては、これから深めていく予定である。

 …………………………

 本年も多数の方にご来訪いただき、まことにありがとうございました。
 多忙ゆえ、なかなか頻繁に更新できていませんが、これからも思ったことや学んでいることなどの思索の断片を書き綴って参ります。

 2009年もそろそろ暮れようとしております。
 明年が、ともどもに境涯を開く一年となりますように。 

                         那由他 楽人

ささえる

2009-12-15 00:19:14 | 思索の断片
 前回の記事でも少々触れたが、今回私は新たな役職を拝命した。
 その日から、あれこれと非常に多忙な日々が続いている。ブログの更新もままならない。

 そんな今夜のこと。会合の合間に帰宅した私に、小学生の長男がふとんの中から話しかけてきた。
 
 いわく、本部長というのは部長よりも偉いのか、と。
 それに対して私は、役職は上かもしれないが偉いわけではない、と答えた。
 これが息子には難しかったようで、なぜ役職は上なのに偉くないのか、という話になった。
 そこで私が説明したのは、概ね以下のようなことである。

 創価学会というところは、会員が大事である。そのために役職があり幹部がいるのである。
 だから、幹部の使命とは何かというと、会員の皆さんを支えることなのだ。
 地区リーダーは地区のメンバーを支え、部長は部のメンバーを支える。
 だから本部長は、部長の下で部長と本部のメンバーを支える使命がある。
 ということはある意味、一番下にいるのは会長になる。
 学会の役職とは、そういうものだ。上の役職になったからといって、偉くなるのではない。

 そんな話をして納得した様子だった息子が、不意に尋ねた。


 「じゃあ、僕らみたいな会員は、誰をささえるの?」


 正直、今まで考えたこともなかった。
 いろいろ考えて口にしたのは、「学会員じゃない人を支えるのが使命だと思う」ということだった。

 そこで嫁が息子に、あなたが一人でも多くの友達を支えられるようになったら、みんなもっと幸せになれるでしょ?と口をはさんだ。

 「会員は、誰を支えるの?」
 
 子どもの視点からすれば、ごく普通の質問だったのかもしれない。
 しかし、あらためて我々の戦いの「在り方」を考えさせる、深い質問だったように思う。