思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

第三文明10月号より

2007-09-13 23:10:42 | 書籍引用
(註:この前段で、戸田先生の「獄中の悟達」が語られている)
戸田が「生命」を第一としたとき、創価学会員は未来にわたって、権威主義の聖職者の介在も、聖職者が所有する物質的な信仰の対象-たとえば大御本尊など-に依存することもなしに、「仏」と直結できるようになった。
そのような信仰の対象が学会のものであったなら、それはそれで素晴らしいことかもしれないが、はじめから所有しないほうがよいに決まっている。なぜなら世界中のどこであれ、創価学会員が朝晩、自宅で唱題している御本尊こそが本当の御本尊であり、現実の生活の中心だからだ。「本当の御本尊」を拝むために、はるばる日本の総本山に参詣しなくてもよいのだ。本当の御本尊は、我が生命そのものであり、今いるところにあるのだ。
これが、1944年3月のその日、戸田城聖が小さな独房のなかで悟達した真実だった。彼は、数カ月後の釈放の時ではなく、その悟達の瞬間に自由になった。「仏とは生命なり」と悟達したその瞬間、彼は自由になり、現代仏教が誕生したのだ。

《第三文明10月号 「クラーク・ストランド氏の特別寄稿」より抜粋》

…………………………

クラーク・ストランド…現代宗教ジャーナリスト。アメリカ仏教誌『トライシクル』元編集長。アメリカほか各国で、欧米における仏教運動の専門家として知られる(第三文明同号より)。


僧俗一致

2007-09-11 23:57:56 | 書籍引用
むかしから、僧俗一致ということが、わが宗内では叫ばれている。ところが、僧俗一致していたような寺はなかった。
なぜないかという理由は、この信者側も悪い。坊さん側にもある。なぜかというと、お坊さん側では、信者を子分か家来のようにして使おうという頭がある。信者側では、坊さんを養っているという頭がある。
ある御尊師がいうたことばですが「どうも、旧信者は、金を出さないで文句ばかりいっている。困ったものだ」というおことばをうけたまわったことがありますが、これは冗談であるか、うそであるか、ほんとうであるか、私は知りません。この点を直さなければならんのです。
ただ、お坊さんのなかでも、人格が高く、学問の深い方は、なんにも問題は起こっておらない。ことばでも不快気分を与えないだけの気持ちを、信者に起こさせる。
自分に力がなく、また、いいかげんだというと、信者の実力あるもののきげんをとって、そうして、その、自分の地位を安定せしめようとする坊さんがある。そういう坊さんにきげんとられた信者は、かならず退転して、ろくな目にあわない。
いつも、夕張だけは、ほかもまた行きますけれど、ここで最初に注意しておくことは、お坊さんに、おのれは、おせじをつかわないで、そして、どこまでも尊敬する。尊敬とおせじは違います。
ここは紙一重の差がついている。尊敬する。そうして、できるだけこのお寺の御僧侶が、不自由のないようにすることを心がける。
そのかわり、御尊師にもしまちがいがあるならば、陰口なんてきかずに、正々堂々と忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になります。だが、面とむかって堂々と話すことは、けっして罰にはなりません。しっかりやりなさい。

《戸田城聖全集 第四巻 P.559》

…………………………

昭和32年8月20日、夕張の興隆寺での戸田先生の指導。

「無条件で僧侶を尊敬せよ」とは仰ってないのである。
あくまでも、広宣流布のために我が身を投げ打たれたからこそ、尊敬せよと仰せなのだ。


少年にとって最も大切なもの

2007-09-05 23:15:56 | 書籍引用
最も大切なもの、失ってはならないものは、まず、正義感だといいたい。たとえ誰が反対しようと、正しいと信じたことは、どこまでも貫いていけるような人であってもらいたいのです。

イギリスの有名な政治家にグラッドストンという人がいました。首相になること四回、学問、道徳の面においても尊敬を集めた偉人の一人ですが、彼がイートン中学に在学していたころ、学校でストライキ騒ぎがもちあがったことがありました。それは、ある生徒が一人の教師を憎み、皆を扇動して起こしたものでした。
だがグラッドストンは、そんなことはストライキの理由にならないと、たった一人で反対したのです。多数の意見には従うべきだとの非難が彼に集中し、なかには乱暴する生徒もありました。しかしグラッドストンは最後まで主張を曲げず、ついにストライキを中止させたということです。
(中略)
日本には特に”長いものには巻かれろ”という考え方があって、少しぐらい不合理だと思っても、権力をもつ人などからいわれたときには、それに従ってしまうようなことがよくあります。
私は、これは悲しいことだと思います。これからの時代を背負っていく君たちは、正しいと思ったことはどこまでも貫いていける人であってほしい。自分の主義主張をどうどうと貫徹できる人こそ、人間として最も立派な人だと思うのです。

《未来をひらく君たちへ 池田大作 著》

…………………………

初版は1972年9月。私がもっているのは1982年12月発行の第28刷。

これは確か、私が小学生の頃に母が買ってくれたものだ。
子供の頃から読書が大好きだったこともあって、買ってもらってすぐ読んだ記憶がある。

少年少女からの質問に池田先生が答える、という形で進んでいくのだが、その中で最も印象に残ったのが表題の質問に答えた前掲の話である。

何故そんなに印象に残ったのかは覚えていないが、幼心に「グラッドストンのようになろう」と思ったのは覚えている。

その誓いを果たせているか我が胸に問いつつ、前進していきたい。

一対一の対話

2007-09-04 00:58:03 | 書籍引用
この一対一の地道な活動、これを実践しきった人が真の仏道修行者です。その人が人間革命を成就できる人です。最高の革命児であり、人材であります。上のほうに立って大きい声を張りあげたり、新聞やテレビに出てうまくやっているような人が、本当の人材や真実の王仏冥合の革命児であると考えてはなりません。
幹部は、後輩の指導・育成にあたっては、十分にこの点を注意していただきたい。一対一で指導する、一対一で育成していくことが大切です。それをただ命令的に伝え、組織を通して伝達すればそれでいい、ということになったら危険です。どれほど後輩の人達が苦労するかしれません。可哀想です。
故に、幹部は、自分自身というものを常に見つめて、戒めていただきたい。なによりも自分自身の成長に心がけ、だれよりも福運を開いていっていただきたいのです。

《池田会長講演集 第二巻 P.114》

…………………………

昭和44年10月19日、神奈川県幹部会での指導。
このような指導を、つい先日も聖教新聞で読んだように思う。

40年近く経っても池田先生の指導性は、全く変わらない。
故に、問題は受け手である我々のほうにあるのだ。

「指導は、我々一人一人になされているのである」と自覚しなければ、「文章を読んだだけ」になってしまう。

アンドレ・マルロー氏との対談

2007-09-01 02:15:39 | 書籍引用
池田:(略)しかし、そうした日本人のフランスにたいする敬意にたいして、少なからず傷をつけているのが、核実験のたび重なる強行です。日本人は核爆発によって、長崎と広島の市民、数十万人が殺された。また、アメリカの核実験による放射能を含んだ死の灰で、犠牲者を出した暗い思い出をもっている。
これは政治以前の問題であり、人間の生存への脅威です。生存の権利を最優先するという立場から、私はフランスの知性と良心を代表するマルロー先生に、この席で、フランスが実験中止に向かって努力されるべきではないかということを申し上げておきたい。

マルロー:これについてはご返事を避けたいと思います。

池田:お立場があると思います。

《人間革命と人間の条件 文庫版P.37》

…………………………

フランス政府文化大使アンドレ・マルロー氏と池田先生の対談集より。1974年5月18日に行われたもの。

過去の対談での池田先生は、かくも率直で過激であるようだ。