(註:この前段で、戸田先生の「獄中の悟達」が語られている)
戸田が「生命」を第一としたとき、創価学会員は未来にわたって、権威主義の聖職者の介在も、聖職者が所有する物質的な信仰の対象-たとえば大御本尊など-に依存することもなしに、「仏」と直結できるようになった。
そのような信仰の対象が学会のものであったなら、それはそれで素晴らしいことかもしれないが、はじめから所有しないほうがよいに決まっている。なぜなら世界中のどこであれ、創価学会員が朝晩、自宅で唱題している御本尊こそが本当の御本尊であり、現実の生活の中心だからだ。「本当の御本尊」を拝むために、はるばる日本の総本山に参詣しなくてもよいのだ。本当の御本尊は、我が生命そのものであり、今いるところにあるのだ。
これが、1944年3月のその日、戸田城聖が小さな独房のなかで悟達した真実だった。彼は、数カ月後の釈放の時ではなく、その悟達の瞬間に自由になった。「仏とは生命なり」と悟達したその瞬間、彼は自由になり、現代仏教が誕生したのだ。
《第三文明10月号 「クラーク・ストランド氏の特別寄稿」より抜粋》
…………………………
クラーク・ストランド…現代宗教ジャーナリスト。アメリカ仏教誌『トライシクル』元編集長。アメリカほか各国で、欧米における仏教運動の専門家として知られる(第三文明同号より)。
戸田が「生命」を第一としたとき、創価学会員は未来にわたって、権威主義の聖職者の介在も、聖職者が所有する物質的な信仰の対象-たとえば大御本尊など-に依存することもなしに、「仏」と直結できるようになった。
そのような信仰の対象が学会のものであったなら、それはそれで素晴らしいことかもしれないが、はじめから所有しないほうがよいに決まっている。なぜなら世界中のどこであれ、創価学会員が朝晩、自宅で唱題している御本尊こそが本当の御本尊であり、現実の生活の中心だからだ。「本当の御本尊」を拝むために、はるばる日本の総本山に参詣しなくてもよいのだ。本当の御本尊は、我が生命そのものであり、今いるところにあるのだ。
これが、1944年3月のその日、戸田城聖が小さな独房のなかで悟達した真実だった。彼は、数カ月後の釈放の時ではなく、その悟達の瞬間に自由になった。「仏とは生命なり」と悟達したその瞬間、彼は自由になり、現代仏教が誕生したのだ。
《第三文明10月号 「クラーク・ストランド氏の特別寄稿」より抜粋》
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クラーク・ストランド…現代宗教ジャーナリスト。アメリカ仏教誌『トライシクル』元編集長。アメリカほか各国で、欧米における仏教運動の専門家として知られる(第三文明同号より)。