思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

自分に勝つ

2009-05-29 22:39:17 | 書籍引用
 結局、自分に勝つといっても、なんのために勝たねばならないか、という根本的な目的観が大事になってくるわけです。目的が高ければ高いほど、崇高であればあるほど、偉大な人間革命といえる。だが、目的はどんなに広大であろうとも、具体的な実践は、日々の些細な一つ一つの行動、振る舞いにならざるを得ない。

《小林 正巳著 現代人物論 池田大作 p.224》

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 昭和44年発行の本より抜粋。
 これは、巻末にある著者と池田先生の対談における、先生の言葉。

 どのような戦いに挑む時でも、決して忘れてはならないことである。

誠実な振る舞い

2009-05-21 00:42:05 | 書籍引用
 かなり以前のことだが、ある地方の学会の事務所に酔っ払いがあばれこんだ。どうやら追い払ったが、その直後連絡をうけた池田は、すぐ隣近所を回り、事情を説明して”お騒がせしました”の挨拶をするように指示した。「騒ぎが収ってやれやれと、だれもそこまで気がつきませんでした」とその幹部は述懐している。
 
 《小林正巳著 現代人物論 池田大作 p.44》

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 あるとき、池田は来客との話の中で、来客が読んだある本についての話が出た。池田は読んでいなかった。客が帰った後、池田はすぐその本を取り寄せて読み、翌日その来客に読んだ旨を伝えた。ちょっとしたことだが、できないことである。

 《小林正巳著 現代人物論 池田大作 p.47》

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 昭和44年に発行された本より引用した。
 
 常々、先生より「誠実であれ」とご指導をいただくが、それが実際にはどのようなものであるのか、我々はあまり判っていないのではないだろうか。
 何故なら、会合等で先生のスピーチを学び、「誠実に人と接することが何より大事なのだ」ということが判ったとしても、それが具体的なイメージを伴わないからである。

 無論、「誠実さ」といっても内面からにじみ出るものであり、具体的にどのような姿・行動をとるかは人によって違うだろう。また、内面を伴わないうわべだけの「誠実さ」など、簡単に作り物であると見破られてしまう。

 では、「誠実な人間」になるには、どうすればよいのだろう。

 それはやはり、先生の「行動」から学ぶことが大事であると思う。
 先生の「行動」を通して、「誠実に人と接する」とはどのようなことなのかを学び、それを我が身に現じてゆく。そうすることで、「誠実な人間」へと成長できるのだと思う。

 その意味において、もっと師匠の「行動」を学ばなければならないと、改めて決意した次第である。

信心の大事な基本

2009-05-15 23:04:36 | 書籍引用
 信心の大事な基本について、六点にわたって確認しておきたい。
 第一に、幹部の家で、子どもが信心していないのは、母親の信心の責任である。これは、牧口先生、戸田先生の教えである。
 子どもに信心をさせなければ、結局、子どもも、親も、損をしてしまう。また、親が幹部だからといって、その子どもを特別扱いする必要はない。
 学会は「信心第一」である。本当に広宣流布のために尽くしている「信仰者」こそが、いちばん偉いのである。
 第二に、先日、ある投書があった。それは「私たちは一生懸命、選挙の支援活動をしている。候補者の家族自体が、もっと真剣にやってもらいたい」と。
 正論であるから、一言、言っておきたい。本来、支援活動については、学会は、あくまでも自由である。
 第三に、戸田先生いわく「組織を大切にしない人は、わがままな信心である。それでは功徳は出ない」と。組織の中で、人々のために苦労していること自体が尊い仏道修行である。
 広宣流布を推進し、魔を打ち破る。その、崖を登っていくような戦いこそが、地涌の菩薩の姿である。
 第四に、幹部は、会員をわが子のごとく愛していかなければならない。そこに本物の指導者の真髄がある。
 戸田先生はよく、法華経講義が終わると、参加者に、「聞いてくれて、ありがとう!」と、ていねいにお礼を言われていた。この戸田先生の心を思えば、幹部は絶対に威張ってはならない。
 第五に、特に壮年幹部は、婦人部を絶対に叱ってはいけない。自分の奥さんを叱れないで、人の奥さんを叱るなど、とんでもないことである。
 第六に、報告などで「悪しき権力と戦う」という言葉がよくあるが、権力は魔性であり、悪辣であるのに決まっている。甘ったれた気持ちで、そのようなことを言うのは、よほど厳しい認識のわからない人間である。
 また、よく「正義を証明します」とあるが、正義は正義に決まっている。正義だから迫害を受けているのである。幼稚な表現を使うものではない。

 《池田大作全集 第88巻 p.85~》*2009.5.18、里奈子さんのご指摘により、出典を追記しました。
 
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 平成9年5月26日、中部代表者会議でのご指導。
 非常に厳しい言葉で綴られており、身の引き締まる思いである。

 ちなみに平成9年といえば、私が初めて折伏を成就した年。

会長辞任

2009-05-08 02:14:24 | 書籍引用
『毎日新聞 昭和54年4月24日 夕刊』

【創価学会池田会長が辞意】後任に北条浩氏昇格か

 創価学会の池田大作会長(51)は24日午後三時から開かれる総務会で会長辞任を発表するものとみられる。
 24日発行の同会機関紙「聖教新聞」は一面トップに「”七つの鐘”終了に当たって」という池田会長の「所感」を掲載したが、これは同会長の「辞意」と受けとめられる内容。
 後任には北条浩理事長(55)が就任することが確実とみられる。
 また、他の役員についても、ほとんど全員を変更するほどの新体制となる。
 同会は昭和五年の創立以来、七年を一期として興隆をはかってきたが、この五月三日が七回目の「七年」にあたることから、池田会長はこれを機に退き、名誉会長になることにした模様。
 池田氏は戸田城聖第二代会長の死去後二十一年にわたって同会をひきい、同会を七百五十万世帯に拡大させ、公明党を創設し、政界の中道勢力にまで育て上げた。

『毎日新聞 昭和54年4月25日』

【創価学会新会長に北条氏】「宗門との協調」強調 集団指導の新会則

 池田氏は名誉会長に

 創価学会は二十四日午後、東京・新宿の同会新宿文化会館で総務会を開き、池田大作会長(51)の辞表を受理、後任の第四代会長に北条浩理事長(55)の就任を決めた。総務会では、新たな会則を制定、終身制になっていた会長の任期を五年間と改め、池田氏が名誉会長に就任した。また池田氏は日蓮正宗の信徒団体の代表である法華講総講頭の地位も辞任し、名誉総講頭に就任することが内定した。
 同会の機関紙、聖教新聞は二十四日「七つの鐘終了に当たって」と題する池田会長所感を発表、学会の今後の指導を後継者にゆだねる方針を明らかにしており、第三代会長に就任後、満19年を迎える五月三日を前に辞任を決意したもの。
 北条新会長と池田氏は総務会終了後、午後七時から新宿区信濃町の聖教新聞社ロビーで記者会見、北条新体制発足に伴い①日蓮正宗法主の指名する僧侶を最高顧問とする②同法主の指導に基づく会長、理事長らで構成する最高教導会を置く③会長の諮問機関として参事会を設置する――など日蓮正宗総本山との”話し合い路線”を確立するとともに、これまでの個人指導に代わり集団指導体制を明文化したことを明らかにした。さらに後任の理事長を森田一哉同会副会長とするなど新会則に基づく新設の幹部人事を公表した。
 池田氏は、会長辞任の動機について「二十年間、最高指導者を続けたのは長すぎた。後進に道を譲ることが新しい創造につながる」と述べ、ここ数年、日蓮正宗総本山との間で続いた内紛について「宗門には七百年の伝統の教義があるが、(学会は)社会に開いた運動をしており、食い違いが出た。学会にも行き過ぎがあったが、いま話し合いがつき、宗門の十分な指導を受けることになった」と語り、両者の協調体制を強調。このほか健康上、会長職の激務に耐えられなくなったこと、学会創立五十周年で学会の基礎が確立したことなどをあげた。池田氏は今月二十二日、日蓮正宗総本山大石寺を訪れ、総講頭の辞任を申し立てて認められており、これまでの話し合いが一段落したため辞任したものとみられる。
 今後の活動について池田氏は「会長職を離れても平和と文化教育について後継者を見守っていきたい」と語った。
 池田会長は昭和三十五年戸田城聖第二代会長の後任として就任、内外にわたる布教活動で創価学会を七八八万世帯に拡大、公明党を創設、政界の一翼を形成した。しかし、昭和四十五年の言論出版への干渉事件のあと、政教分離の原則が確立され、四十九年学会の宗教法人上の代表役員として当時筆頭副会長だった北条氏をあてた。
 その他の新人事は次の通り。
 総務会議長、和泉覚副会長▽中央会議議長、秋谷栄之助・同▽師範会議議長、辻武寿・同▽参事会議長、小泉隆参事▽監正審査会委員長、青木亨副会長▽中央審査会委員長、中西治雄総務

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池田先生の会長辞任を報じる一般紙より引用。

破れざれば

2009-05-01 23:57:30 | 思索の断片
 先日、男子部の会合で報恩抄を学ぶ機会があった。
 その帰り道、共に参加したメンバーが「大白蓮華の通解で、抜けているところがあったのではないか」と言い始めた。
 以下、その説をまとめる。

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 『これは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ』

 この部分の通解として、大白蓮華には以下のように記されている。

 『これはひとえに、父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国の恩を報ずるために、身を削り、命を捨てたのである。しかし、命を害されることもなく、今日に至ったのである』

 この通解では、『破れざれば』の意味が飛んでしまっているのではないだろうか。
 そのまま現代語訳すると《身をやぶり命を捨てたが、破れなかったので、そうであるのである》となるはずで、何かが《破れなかったので》今日に至ったはずだ。
 
 では、身をやぶり命を捨てても破れなかったものとは何か。

 あくまでも個人的な思いになるが、それは、《信心》なのではないだろうか。
 つまり、《身をやぶり命を捨てたが、信心が破れなかったので、今日に至ったのである》となるのではないだろうか。

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 だいたい以上のような主張であった。
 
 確かに報恩抄の講義本をみても大白蓮華と同じような通偈となっているが、確かに「何ゆえ」命を害されることなく今日に至ったのか、という部分に関しては明示されていないように思える。

 その意味において、私はメンバーの説に賛同しておきたい。