思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

「矢島周平」とその周辺

2009-02-15 01:58:39 | 思索の断片
以前に創価仏法研鑽掲示板でも話題に上ったことがあるが、戦前、戦後の創価学会に矢島周平という人物がいた。
この矢島氏はなかなか謎の多い人物であり、資料的にもあまり残されていないようである。
大雑把に略歴を記すと、戦前からの学会員であり、戦時中の弾圧の際に逮捕・投獄されている。また、戦後、戸田先生が事業の苦境から理事長を辞任された際、矢島氏が次の理事長となっている。
しかし、いつの間にか第一線からは退いていたようで、後に日蓮正宗の僧侶として出家している。

私は西野辰吉氏による「戸田城聖伝」という本を持っており、実はそこに書かれた内容と創価学会で学習した内容が異なり、それについての真偽を自分なりに調べたことがある。

それは何かというと、矢島氏は戸田先生と同じ日に逮捕されているが、結局牢獄で退転することなく、戸田先生に先立つこと3ヶ月前の昭和20年4月、保釈となっているのである。
現在の教学試験で習う「創価学会の歴史」では、「退転しなかったのは、牧口先生と戸田先生の二人だけでした」というようになっていて、矢島氏のことには触れていない。
しかし、実際には矢島氏も退転していないのである。

そんな矢島氏であるが、今年に入ってから聖教新聞に連載されていた「若き指導者は勝った」のなかで、その名前を目にした。
いろいろと詳しいことが書かれており、「そうだったのか」と思うような部分も多かった。
しかし、同時にやはり不鮮明としかいえないような部分もあり、それについて少々書いておきたい。

特に気になる記述がある。1月10日付けの連載にはこうある。
『しかし、これほど世話になったというのに、矢島は軍部政府の弾圧に屈した。共産主義を捨て、さらに恩師の牧口をも捨て去ったのである』
これは、何のことを指しているのだろうか。
矢島氏は退転しなかったはずではなかったか。

…じつは、この部分に妙な胡散臭さを感じるのである。
この文章には、「矢島は退転した」とは書かれていない。しかし、普通に読めば「軍部政府の弾圧により、退転した」と理解してしまう。いわゆる「未必の故意」である。

また、その後にはこんな記述もある。
『これだけの変節を繰り返してなお、混乱のすきを突いて理事長になるとは、相当に抜け目のない人物といわざるをえない』
混乱とはなんだろうか。当時混乱していたのは戸田先生の事業であり、創価学会が何らかの混乱状態にあったとは思えない。しかも理事長の指名は戸田先生によるものだったはずである。
また、矢島氏は戦後間もなくから戸田先生とともに創価学会の中心軸にいたはずで、当時はどの座談会にも戸田先生が入られたが、日程が重なってそれが果たせない場合は、片方を矢島氏が担当することになっていたほどである。


ただ、最終的に出家したというところから見ても、「学会の中で生き抜く」という人ではなかったようだ。
同じ日の新聞には、矢島氏の「悪行」も種々記されている。

私は、決して矢島氏を弁護したいわけではない。
しかし、事実は事実である。
たとえ、矢島氏の本質がどれほど酷いものであったとしても、戦時中は退転せずに保釈となったのである。
その点については、絶対に誤魔化すべきではない。
さらにいえば、「退転しなかった矢島氏でさえ、結局は純粋な信心を貫けなかった」と書いたほうが、ストレートでよいようにも思う。

いずれにせよ、細かい誤魔化しは命取りになるとだけ記しておきたい。

思索の現状

2009-02-11 00:31:09 | 思索の断片
週に一度は更新を…と思っていながら、それすらも果たせていない当ブログである…。

現在、思索を深めるためにいろいろな資料・文献に当たっているのだが、では何を思索しているのか。
今回は、カテゴリーの名前どおり、『思索の断片』を記しておきたい。

1.『「仏性内在」と「仏とは生命である」は、意味において同じなのか、それとも違うのか?』

…一切衆生には、悉く仏性がある(ちなみにこれは涅槃経)とされているが、ではそれと戸田先生の「仏とは生命である」という獄中の悟達は、同じ意味なのだろうか?


2.『鳩摩羅什の仏法(仏教)観はどのようなものであったのか?』

…なぜ鳩摩羅什なのかというと、それはやはり妙法蓮華経を著したから、ということになる。
これはもう知られていることと思うが、一般的に竺法護が訳した「正法華経」は、サンスクリット語の経典に忠実に逐語訳されているといわれている。
それに対して「妙法蓮華経」はどちらかというと意訳が多いらしい。確かに法華経を通読した時に、私も感じた。
特に偈の部分になると、サンスクリット語の和訳と対比するのが煩雑なほどであったのだ。

では、そのように訳した鳩摩羅什は、一体どのような仏法観を持っていたのだろうか?
それを知る手がかりとして、慧遠と鳩摩羅什の質疑応答をまとめた「大乗大義章」を読みたいと思っている(読んで理解できるかどうかは判らないが)。

というのも、私が鳩摩羅什について教わった時、「鳩摩羅什は『自分が死んで火葬されても、私の舌は焼け残るであろう』と言って死んだ。そして、その通り舌は焼け残ったのだ」というふうに聞いた。
それを聞いた私の認識は、「そうかあ。鳩摩羅什は法華経を正しく訳したからそのようになったのか」というようなものだったが、鳩摩羅什は何も法華経だけを訳したわけではなかったのだ。般若経も、無量寿経も訳しているのである。
これが、私にとっては意外であった。そこから鳩摩羅什に対して興味を持ったのである。


概ね、以上の2点である。
まだまだ何らの結論も出ない状態であるが、少しずつでも研鑽を進めていきたい。

功徳について

2009-02-09 17:36:23 | 書籍引用
 「功徳には、祈りの結果が直ちに目に見える利益、つまり顕益と、目には見えない利益である、冥益とがあります。大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。
 ある場合には、信心してすぐに病気が治るということもありますが、本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうようなものではありません。『棚からボタモチ』のような、自分は何もせずに、どこからか幸運が舞い込んでくるのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落させてしまいます。
 では、冥益とは何か。
 たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化していないように見えますが、五年、十年、二十年とたつうちに、大きく生長していきます。それと同様に、五年、十年、二十年と信心に励むうちに、次第に罪障を消滅し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります」
 多くのメンバーは、功徳といえば、「顕益」と思い込んできた。それだけに、「冥益」の話に、驚いた人もいた。伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。

《新人間革命 第八巻 P.82》

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現在読み進めている「新人間革命」より抜粋させていただいた。

我々も、決して勘違いしないように心せねばならない。