次に私が申し上げたいことは、広布の最前線で戦うということは義務ではなく、権利でなくてはならない、ということである。
なぜならば、広布の組織のまっただなかで精進していくところに、自分自身を真金の人に鍛えていくことができるからである。学会の組織は自らを鍛える人間革命への触発の場であり、同志はそのためのかけがえのない善知識なのである。
(中略)
経文に”和合僧”とあるが、現代でいえば”組織”のことである。この仏法者の組織を破壊する”破和合僧”が、もっとも罪の重い五逆罪のなかにあげられていることは周知のとおりである。つまり、広布組織を破壊し、その充実、発展の障害をすることである。
それゆえ、広布の組織を軽蔑し、実践活動をきらう人は、外見はどうあれ、行きつくところは地獄であり、提婆達多の末流といわざるをえないのである。
ともかく学会の組織は、政治組織でも官僚組織でもない。”生命対生命の感応の組織”であり”人間と人間が打ち合う世界”なのである。この尊い生命の組織を軽んずるものは、自分の生命を軽んずることに通ずる。
《広布第2章の指針 第9集 P.140》
……………………………
昭和52年1月16日に関西で行われた、第1回男子部代表者会でのご指導。
ここには組織の中で戦うことの重要性とともに、その本体となる組織がどうあるべきかが示されているように思う。
我が使命は、そのような組織を我が地域に築くことにある。
なぜならば、広布の組織のまっただなかで精進していくところに、自分自身を真金の人に鍛えていくことができるからである。学会の組織は自らを鍛える人間革命への触発の場であり、同志はそのためのかけがえのない善知識なのである。
(中略)
経文に”和合僧”とあるが、現代でいえば”組織”のことである。この仏法者の組織を破壊する”破和合僧”が、もっとも罪の重い五逆罪のなかにあげられていることは周知のとおりである。つまり、広布組織を破壊し、その充実、発展の障害をすることである。
それゆえ、広布の組織を軽蔑し、実践活動をきらう人は、外見はどうあれ、行きつくところは地獄であり、提婆達多の末流といわざるをえないのである。
ともかく学会の組織は、政治組織でも官僚組織でもない。”生命対生命の感応の組織”であり”人間と人間が打ち合う世界”なのである。この尊い生命の組織を軽んずるものは、自分の生命を軽んずることに通ずる。
《広布第2章の指針 第9集 P.140》
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昭和52年1月16日に関西で行われた、第1回男子部代表者会でのご指導。
ここには組織の中で戦うことの重要性とともに、その本体となる組織がどうあるべきかが示されているように思う。
我が使命は、そのような組織を我が地域に築くことにある。