思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

創価学会は、人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する

2008-11-30 00:44:11 | 書籍引用
 第五点の「人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を守りきってゆく」という点についても一言申し上げれば、「開目抄」にいわく「大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん、念仏申さずばなんどの種種の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし(御書全集232ページ)」とございます。
 信教の自由、精神の自由を守りぬいていくという仏法者としての決意と理念は、この御本仏日蓮大聖人の師子吼に明確に示されていると拝することができるのであります。いかなる大難にも、いかなる脅迫にも、いかなる誘惑にも屈することはない。ただ、この仏法が最高の哲理であることを確信するがゆえに、断じてこの信仰を貫いていくのであります。
 この大聖人の、生涯にわたる血のにじむ実践からほとばしる叫びをわが命として、文字どおり身に読みきったのが代々の会長であります。初代牧口会長は、獄中にその崇高な生涯を閉じられ、第二代戸田会長は、二年間の獄中生活にも「身は従えども心は従わず」と徹底して精神の不服従を叫ばれ、残る生涯を広宣流布に捧げられました。
 私もまた、妙法の実践護持のため、無数のいわれなき中傷、批判の嵐のなかを生きぬいてまいりました。
 ともあれ、いかなる権力による迫害にも屈せず、いかなる栄華の誘惑にも流されず、己の信ずる正義を貫き通す、この信教の自由、人間精神の自由を死守しゆくところに、究極の人間の尊厳を守り、確立する鍵があると申し上げておきたい。

《広布第二章の指針 第9集 P.89~90》

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昭和51年10月24日、札幌文化会館で行われた第39回本部総会でのご指導。
「永遠に仏法中道を進もう」と題された冊子にもなっている。

これを読んでいただければ、何を『死守する』と仰せになっているか、師匠の指導を「利用」しているのは誰か、よく判っていただけると思う。

洞察

2008-11-19 22:04:15 | 書籍引用
 柏原ヤス(総務・参議院議員)は婦人部の最長老、若い時代からの池田をよく知っている。
  もう十何年になりますか。参謀室長時代だったと思います。地方指導で福島県郡山市へ行って、みんなである旅館に泊まった。
  そこのおかみが会員だったが、経営不振で、いまにもつぶれそうな旅館だった。おかみが窮状を訴えると、会長は、
  「フロ場が悪い。もっと立派にしなさい。温泉旅館にフロがなくてはダメだ。この旅館は必ずよくなる。がんばりなさい」
  といっていた。そのとき、
  「繁盛するようになったら、きっと泊まりにきますよ」と付け加えていた。
  私たちは、そんなことを、すっかり忘れていた。
  十余年たって、郡山へ寄ることがあった。すでに会長になっていて、行動にもいろいろ制約がある身になっていたが、その日は、自分で旅館を指定するんです。
  どうして、そこに行くのか、私たちにはわからなかった。あとでいわれて思い出したが、参謀室長時代に約束した旅館だったんです。おかみは、たしか班担として健在でした。泣いて喜びましてね。
  
    〔中略〕

 こんな話もある。
 池田の”秘書官”は中西(総務・庶務室長)だが、あるとき、腹痛で動けなくなった。池田はたまたま用事を頼むために、夫人に中西を呼ぶよう命じた。夫人は実情を聞いたが、中西は”まもなくよくなる”というので”いま電話中なので、まもなくきます”といって、その場をつくろった。
 すると、まもなく、池田は夫人に「中西君はどうだい。大丈夫か」と聞いた。なんにも話していないのに、なぜわかったのか、と不思議に思ったが、あいまいな返事のまますませた。
 夫人は、その後すっかり忘れ、夜遅くなって雑談をしていると、池田が「中西君はどのくらい悪いのか聞いてごらん」と突然いいだした。電話で容体を聞くと「大丈夫か、治ったか」といっただけで、また別の話になってしまったという。
 夫人から直接聞いた話だが、私は神秘的な話だとは思わない。池田が中西をよく知っているからだと私なりに思う。だれよりも中西を知っているためだと思う。
 洞察は、きびしい実践のなかから生まれるものだ。池田にこの話をしたら笑いながら「親は子供のことがわかるでしょう。あれですよ」といった。

 
《央 忠邦 著 「池田大作論」 P.264~269》

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『池田大作論』の「洞察」と題された章より抜粋。

我々リーダーは、「池田先生はすごい」と言っているだけでは駄目だ。
「先生の名代」というのであれば、その師の姿を一分でも体現しなければならない。
そうあってこそ、「弟子の姿を見れば、師匠の偉大さがわかる」ということに繋がっていくのだろう。

同じ本に、こんな池田先生の言葉が載っている。以前にも引用した部分だが、決意の意味も込めて再度引用したい。
非常に重い言葉である。

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「私はあくまで、恩師の指針を実現できるかどうかで、真の弟子か否か決まると信じてやってきた。」

言葉と共通認識

2008-11-16 07:33:35 | 思索の断片
我々が話をするとき、その「言葉」について共通の認識がなければ意思の疎通は図れない。
共通認識があるからこそ、他人同士が事柄を共有できるのだ。
例えば、「白」といえばほぼ誰もが同じようなイメージを持つことが出来る、といった具合である。

また、そういった一般的な言葉のほかに、それぞれの分野において使用される「専門用語」がある。
専門用語はあまり普段は使われることはないが、その分野においては必要な言葉である。
ところが、どうもその用語の意味自体を取り違えたり、不適切な使い方をするケースが多いようである…。


仏教用語に、「空(くう)」という言葉がある。
まだまだ勉強中の身なので大雑把なことしか書けないが、この「空」という言葉がよく誤解されているようだ。

空という漢字は「空っぽ」「空き部屋」「空腹」というように使われることが多い。
要するに”ない”ということを表すのだ。
それと同じく、「空(くう)」を「無」として理解し、「むなしい」「虚無」と認識されることがある。
だが、それは間違いであるようだ。

「空」と同じような意味を持ち、同じような誤解を受けているのが「無常」である。
この言葉も本来の意味でいえば「不変であるものはない」ということなのだが、一般的には「全てが滅び去ってしまう」といった意味に捉えられている。

では、「不変であるものはない」とはどういうことだろうか。
これは「空」にも通じることだが、『固定的な実体というものはない』ということであり、言い換えれば『無限の可能性を秘めている』ということではないだろうか。
その「可能性」が、縁にふれて現実化する前の状態…様々な可能性が冥伏した状態を、「空」というのだろう。
しかし、ある集団(いわゆる小乗教)は「無」と認識し、ニヒリズムに陥ったのである。その言葉の本質的な意味を誤解し、「釈尊の教え」を曲げてしまったのだ。

こうして見ると、言葉の本当の意味を理解しておくことが如何に大切かが判る。

”自分ではこういうつもりで本迹と言っている”というのは勝手だが、それで意思の疎通が出来なくなったりあらぬ誤解を生むのであれば、その言葉を使うべきではない。

*参考文献…『法華経』田村芳朗著

「総括」の必要性

2008-11-08 23:57:52 | 書籍引用
最強の組織を目指す指揮官は「敗因」を分析する責務がある。

《あぁ、阪神タイガース 野村克也著 P.14》

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現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也氏が、阪神の監督時代を振り返って「何故結果を残せなかったか」を綴った書。
引用したのは、「まえがき」の一部。

他の著書でもしきりに述べられているが、野村監督は”プロセス主義者”である。
つまり、「どのような過程を経て勝ったか」が大事であり、「たまたま勝った」では駄目だ、ということ。
野村監督によれば、「ピッチャーの投げる球ひとつひとつに全て意味がある」のだそうだ。
野球は”見る専門”である私には、そこまでの事は判らないが。

ところで、今回のタイトルに『「総括」の必要性』と書いた。
ここでいう「総括」とは、ひとつの「戦い」を終えた後で行う総括のことである。

他の地域のことはあまりよく知らないが、最近我が地域の男子部では「総括」がないことが多いように思う。勿論、何らかの”反省会”のようなことはやっているだろう。
しかし、年間やもっと長期的な展望に基づいての「総括」が出来ている部は、ほとんどないだろう。それどころか、ひとつの戦いを終えても総括の場を設けていない組織が多数あるように思えるのだ。

私を育ててくれた先輩は、どんな些細なことであっても必ず総括の場を設けた。

どのように目標をたてたのか。
目標に対してどのように取り組んだのか。
その通り出来たのか。
できなかったのは何故か。
意識の問題か。
物理的な問題か。
もともとの設定の問題か。
次回の戦いに対して、それを踏まえてどのように取り組むのか。
とにかく徹底して話し合った。
それでなくては、戦ったことが次へと繋がらないのだ。
野村監督が言うように、最強の組織を目指すのであれば徹底した分析が必要なのである。

ピッチャーの投げる球とは、我々に即して言えば「今日一日の戦い」だろう。
「目標」に到達するために、今日一日をどのように戦うのか。
逆に言えば、今日一日の戦いが目標到達の一歩となっているかどうかである。

それは、単純に「積み重ね」という意味ではない。
野村監督のいう「全ての球に意味がある」とは、「前の球がああだったから、今投げる球はこうで、次に投げる球はこうなる」という具合に、全てが関連してくるのだ。

それを総括で分析し、次の戦いに備える。
これがなければ、「持続的な向上」は望めないだろう。


御本尊に感謝

2008-11-01 17:27:47 | 書籍引用
 私の恩師である戸田前会長は、よく、このように申されておりました。
「御本尊に対して、つねに感謝の気持ちがある人は、ますます福運が開かれていくものだ」と。
 人間というものは、凡夫のはかなさゆえに、ひとたび地位や名誉を得ると、どうしても傲慢な姿勢に陥りがちです。信心の世界にあっても、こうした油断は、とうぜん厳しく戒めていくべきものであります。求道、感謝の気持ちが薄らいでくると、いつしか信仰姿勢が傲慢になり、それが高じて、真実の和合僧である学会を批判したり、同志に怨嫉をするようになってしまう。
 要するに、それは自分の力を過信して”一生成仏”という尊い目的を忘れ、自分自身の人間革命という原理を教えてくれた原点の創価学会、なかんずく根本の御本尊を軽視した増上慢の生き方に陥っているのです。真の信仰にめざめたわれわれには、こうした福運を消し、自分自身をも破壊させる慢心の振る舞いだけは、けっしてあってはならない、というのが戸田前会長の遺言でありました。
 ここでいう”感謝の心”とは御本尊を受持し、その功徳の源泉に縁することへの感謝であり、大勢の同志に守られ、指導、激励を受け、御書を学び得たことに対する感謝という意味です。この強い感謝の一念は、自分自身の境涯を大きく開き、功徳の薫風を生命の宮殿に吹き込ませる福運開花の本因につながるのであります。日々の仏道修行に心から感謝している人は、やはり諸法実相の道理で、なんともいえない福々しさがある。皆さん方も、そういう人生を築き、悠々自適の生涯を送られんことを心から願望してやみません。

《広布第二章の指針 第9集 P.55~》

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昭和51年10月4日、三重・中部第一総合研修所で行われた『三重の日記念勤行会』での池田先生のご指導。

このご指導を、よくよく拝するべきであると思う。