第五点の「人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を守りきってゆく」という点についても一言申し上げれば、「開目抄」にいわく「大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん、念仏申さずばなんどの種種の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし(御書全集232ページ)」とございます。
信教の自由、精神の自由を守りぬいていくという仏法者としての決意と理念は、この御本仏日蓮大聖人の師子吼に明確に示されていると拝することができるのであります。いかなる大難にも、いかなる脅迫にも、いかなる誘惑にも屈することはない。ただ、この仏法が最高の哲理であることを確信するがゆえに、断じてこの信仰を貫いていくのであります。
この大聖人の、生涯にわたる血のにじむ実践からほとばしる叫びをわが命として、文字どおり身に読みきったのが代々の会長であります。初代牧口会長は、獄中にその崇高な生涯を閉じられ、第二代戸田会長は、二年間の獄中生活にも「身は従えども心は従わず」と徹底して精神の不服従を叫ばれ、残る生涯を広宣流布に捧げられました。
私もまた、妙法の実践護持のため、無数のいわれなき中傷、批判の嵐のなかを生きぬいてまいりました。
ともあれ、いかなる権力による迫害にも屈せず、いかなる栄華の誘惑にも流されず、己の信ずる正義を貫き通す、この信教の自由、人間精神の自由を死守しゆくところに、究極の人間の尊厳を守り、確立する鍵があると申し上げておきたい。
《広布第二章の指針 第9集 P.89~90》
…………………………
昭和51年10月24日、札幌文化会館で行われた第39回本部総会でのご指導。
「永遠に仏法中道を進もう」と題された冊子にもなっている。
これを読んでいただければ、何を『死守する』と仰せになっているか、師匠の指導を「利用」しているのは誰か、よく判っていただけると思う。
信教の自由、精神の自由を守りぬいていくという仏法者としての決意と理念は、この御本仏日蓮大聖人の師子吼に明確に示されていると拝することができるのであります。いかなる大難にも、いかなる脅迫にも、いかなる誘惑にも屈することはない。ただ、この仏法が最高の哲理であることを確信するがゆえに、断じてこの信仰を貫いていくのであります。
この大聖人の、生涯にわたる血のにじむ実践からほとばしる叫びをわが命として、文字どおり身に読みきったのが代々の会長であります。初代牧口会長は、獄中にその崇高な生涯を閉じられ、第二代戸田会長は、二年間の獄中生活にも「身は従えども心は従わず」と徹底して精神の不服従を叫ばれ、残る生涯を広宣流布に捧げられました。
私もまた、妙法の実践護持のため、無数のいわれなき中傷、批判の嵐のなかを生きぬいてまいりました。
ともあれ、いかなる権力による迫害にも屈せず、いかなる栄華の誘惑にも流されず、己の信ずる正義を貫き通す、この信教の自由、人間精神の自由を死守しゆくところに、究極の人間の尊厳を守り、確立する鍵があると申し上げておきたい。
《広布第二章の指針 第9集 P.89~90》
…………………………
昭和51年10月24日、札幌文化会館で行われた第39回本部総会でのご指導。
「永遠に仏法中道を進もう」と題された冊子にもなっている。
これを読んでいただければ、何を『死守する』と仰せになっているか、師匠の指導を「利用」しているのは誰か、よく判っていただけると思う。