「将来、二十年先か、三十年先か、五十年先になるかわからないが、妙法の土壌からまったく新しい真の政治家が出現したとしたらどうだろう。多数の民衆の衆望というものを担った偉大な一世を風靡するような政治家が、われわれの土壌から出たとする。衆望のおもむくところ、民衆はその政治家を信頼するに足るとして彼の政策遂行に協力せずにはいないだろう。こうなると、この政治家を中心として民衆自身の望む政党もできるであろう。
こうなると、いまの会員の支援など問題でなくなる。社会の広汎な民衆の支持こそ基盤となる。つまり、会員は選挙権の行使に気をつかわなくて済むにいたるだろう。時代とともにここまで拡散しなければ政治の分野の広宣流布とはいえないのではないだろうか」
《人間革命 第10巻 「展望」 文庫本p.302》
…………………………
今回の戦いを終えて、数人のメンバーに「『人間革命』の10巻「険路」「展望」の章を読んでほしい」と伝えた。そこに書かれている中で読んでほしかった部分が2箇所あったからだ。
ひとつは前回引用した部分。そしてもうひとつは今回引用した部分である。
数年前から言っていたことであるが、現在の公明党の「政治」は、例えるなら『重箱の隅をきれいにして「ほら、ここみてください!私がこの重箱の隅をきれいにしたんですよ!」と言っているようなもの』だと思っている。
そして、われわれ支持する側も「重箱の隅」を強調するしかないのだ。
上記引用は、戸田先生の言葉として語られている部分である。
そしてそれは、取りも直さず池田先生の思想である。
「民衆の衆望」を担った政治家が、はたして公明党から出たであろうか。
いや、出ようとしているのだろうか。
「社会で実証を示す」という言葉がある。
それを政治の次元で実現していくことこそが、政治家にとっての使命であるはずだ。
「一流の政治家」を志さないのであれば、出馬しないほうがいい。
そういう意味でいえば、公募という手もありだと思う。
ともかく、公明党には猛省をしていただきたい。
支援者の「信心」に訴えなければならないなんて、あまりにも情けない。
あらゆる面において総括し、早急に力をつけていただきたい。
もう時間は残されていないのだ。
こうなると、いまの会員の支援など問題でなくなる。社会の広汎な民衆の支持こそ基盤となる。つまり、会員は選挙権の行使に気をつかわなくて済むにいたるだろう。時代とともにここまで拡散しなければ政治の分野の広宣流布とはいえないのではないだろうか」
《人間革命 第10巻 「展望」 文庫本p.302》
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今回の戦いを終えて、数人のメンバーに「『人間革命』の10巻「険路」「展望」の章を読んでほしい」と伝えた。そこに書かれている中で読んでほしかった部分が2箇所あったからだ。
ひとつは前回引用した部分。そしてもうひとつは今回引用した部分である。
数年前から言っていたことであるが、現在の公明党の「政治」は、例えるなら『重箱の隅をきれいにして「ほら、ここみてください!私がこの重箱の隅をきれいにしたんですよ!」と言っているようなもの』だと思っている。
そして、われわれ支持する側も「重箱の隅」を強調するしかないのだ。
上記引用は、戸田先生の言葉として語られている部分である。
そしてそれは、取りも直さず池田先生の思想である。
「民衆の衆望」を担った政治家が、はたして公明党から出たであろうか。
いや、出ようとしているのだろうか。
「社会で実証を示す」という言葉がある。
それを政治の次元で実現していくことこそが、政治家にとっての使命であるはずだ。
「一流の政治家」を志さないのであれば、出馬しないほうがいい。
そういう意味でいえば、公募という手もありだと思う。
ともかく、公明党には猛省をしていただきたい。
支援者の「信心」に訴えなければならないなんて、あまりにも情けない。
あらゆる面において総括し、早急に力をつけていただきたい。
もう時間は残されていないのだ。
コメントありがとうございました。
「人間革命」は、ぜひ何度も読んでください。私は、新たに役職を拝命するたびに通読するようにしています。
また、学会組織の現状打破については、「官僚主義の打破」だけでは充分ではないと思っております。
お互い、模範の広宣流布の闘士となれますように頑張っていきましょう。
無礼となるだろうことを承知で投稿いたします。
貴ブログの表題どおり、会員には稀有な、「思考停止」に陥ってはおられない方とお見受けします。
「まさかが実現」直後の「雲海の着想」。そして、戸田と伸一二人だけの師弟対話。
この箇所を、50年以上が経過した現時点において何度も拝読・思索するかぎり、すでに党の存在意義は失われているように思えてなりません。
現状を冷静に俯瞰するなら、会そのものが構成員の信仰心を利用した、政治・ビジネス集団に変質しつつあるといわれてもやむを得ないでしょう。
長くなりそうですので、詳細は、以下の掲示板に投稿した拙稿をごらんいただければ幸甚です。こちらは小生の知るかぎり、もっともまっとうな会員系掲示板と存じます。(<h>を補ってください)
ttp://www.reiko.cn/tea/yybbs.cgi 以上、失礼申しました。
申し訳ありませんでした。
存在意義が失われているかどうかは私には判りませんが、我々自身がもっと「公明党を訓練しなければならない」とは思っております。
大事なのは、「何のために戦うのか」ということではないかと思う次第です。
先の投稿で紹介した大森礼子氏主宰のbbsにも何度か書いたことですが、曲がりなりにも、すべての大衆のための国民政党を標榜するなら、公明党は、人材の供給元としても、さらに、実質的な運動の担い手等、すべての面で学会(員)に依存しなければ存続しえない現状を恥じるべきでしょう。
政治家となって、政界における“広宣流布”を、と意気込む学会員は、公明党候補者として会員に媚を売るより、むしろ、他党の公募に応じて自己の実力をアピールし、議会に打って出るぐらいの気概を持て! といいたい。徒党を組むこともなくプロの世界で活躍する数多くのスポーツ部員等を見習って――。
また、学会自体も、丸抱えで党を支援することは、双方共が、かえって良識ある国民からはそっぽを向かれていることにいい加減気づかねばなりません。これは、古くから言われてきた「政教一致」批判とはまったく次元の異なる嫌悪なのです。
われわれの信仰心に基づく献身的支援は、それが献身的であればあるほど、一般市民には、残念ながら何とも形容し難い違和感を覚えさせるのでしょう。
最後に、やや古い本ですが、政治と宗教の関係性について今なお鋭い批判力を失わない本を紹介します(図書館かネット古書店で入手できます)。おススメです。 恐惶謹言。
宮田光雄(東北大名誉教授)著『日本の政治宗教 天皇制とヤスクニ』(朝日選書 185)1981年
コメント欄で私の考えを書くより、きちんと記事にしてお返事に代えようと思っているのですが、ただいま挫折中です。
もうしばらくお待ちいただけると幸いです。
宮田教授(ドイツ思想史専攻)の著書を一度ご覧になり、思索を深められることをお勧めします。
わが学会を、「この世界に永遠に続いていくべき団体」(10/22聖教 3面)とまで嘱望する知識人がいる一方、はたして党はどうなのかと考えるたび、歯がゆく思えてなりません。
学会の用心棒政党として、“共依存”関係を維持しつつ細々と生き延びようとするか、戸田会長が「展望」の章で述懐しているような、多数の民衆の衆望を担った政治集団たりうるのか、まさに正念場に立っていることは間違いないでしょう。
私には、現在の状況が続く限り、双方ともに不幸な結末を招きかねないのではと懸念されてなりません。
以上、拙稿への返信にはおよびません。今後の記事に期待しております。お元気で。失礼しました。