思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

石田 次男氏 発言集

2007-08-21 02:28:11 | 書籍引用
皆様は「石田 次男」という方を御存じだろうか。

この方は、学会の中でもいろいろと華々しい経歴を持っているのだが、最終的には学会を脱会したはず(不確かな記憶だが)。

よく学会嫌いの人達が「石田次男は池田大作との権力闘争に敗れた」「本当は石田次男が第三代会長になるはずだった」などど言っているが、我々としては当時の事は記録でしか知ることはできない。

私の手許に『創価学会の歴史と伝統』と題する本がある。
この本は昭和50年から51年に聖教新聞に掲載された「座談会」をまとめたものであり、初代牧口先生、第二代戸田先生、そして第三代会長誕生までを様々な方が語っている。

その座談会で、石田氏がどのような発言をしているのか。
いくつか拾い上げてみたい。

………………………

司会:ところで戸田前会長の入信ということですが、これは牧口初代会長の存在がなければありえなかったとも思われるのですが、この点はいかがでしょう。

石田:その通りです。牧口会長という人格に戸田前会長は師事した。牧口会長が信心しているから前会長も入信した。まさしく人生の師弟不二といってよい。私も戸田前会長に薫陶をうけながら、ながらく病気で倒れ、申し訳なく、慙愧に耐えない。これから真剣に報恩の決意を新たにしている。

…………………………

石田:今、つくづくと戸田前会長の巻頭言等をみると、創価学会の思想というものの出発点がどこにあったかが判明します。
「(註:ここで戸田先生の昭和24年の巻頭言を引用)」私なんか当時の聖教新聞の編集長として、先生の意中も知らず、勝手に論を展開してしまった。今思えば、申しわけない気持ちでいっぱいだ。

…………………………

司会:(略)恩師の陰にはつねに恩師をささえる池田会長の苦闘があった。

辻 :そうです。私などもアパートにお邪魔することがあったのですが、質素そのものの生活であった。それでいながら、恩師に対しては親せき等から金銭を工面してでも心配を最小限におさえて、構想を助けていったのです。

石田:そんなことはあまり知らないものだから、食事などにさそわれると、喜んでそれに甘えていたものです。少しでも小遣いができると、まわりの青年に心を配り、おいしいものをごちそうしてくれたのです。

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以上、数カ所に渡って抜粋してみた。

勿論これ以外にも発言はあるが、教学的・哲学的な内容には強い方だったように見受けられる。

意図的に自省的な発言を抜粋したわけだが、さて、本当にこの方が「第三代会長」になるはずだったのだろうか?

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