志情(しなさき)の海へ

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「沖縄考古学会」《先史時代の墓と葬制》7月1日、読谷文化センターにて、あの頭蓋骨はどこに?

2012-06-28 20:12:46 | グローカルな文化現象

                              (遺髪)

先史時代の墓と葬制という、なぜか惹きつけられる研究発表が来る7月1日、読谷文化センター中ホールで開催される。是非、最新の研究成果をお聞きしたい。先祖がどのように弔われてきたのか、生死の儀礼儀式はどのような時間を経過してきたのだろうか?なぜか胸騒ぎがするような不思議がやってきた。蝶の命のリズムを見たばかりゆえなのか、ありとあらゆる命のサイクルは神秘に満ちているように思える。

 骨といえば、小学生の頃、男子生徒が小学校近くの豪の中から頭蓋骨をもってきて教壇の上に置いたことがあった。わんぱく少年たちの人の度肝を抜く冒険は怖さよりもふざけの遊びが感じられた。あの骨は元の場所に戻されたのだろうか。琉球が三山に別れていた頃に戦った当時の武士の骨だとの噂だったが、実際はどうなのだろう?その豪には川が流れていて、そこには離島からわたってきたノロと村の青年だったか僧侶だったか、とのロマンスの物語も伝えられていた。すでにしてその場所もブルトーザーが周りの地形を変えて、でも遠くの海の風情は変わらない。

思い出は姿を変えていく。時がたっても変わることのない造形やイメージがある。あの時、あの場所であの、あのと想い出す。そういえば、基地の街で米兵を相手にクラブを経営していた父親を嫌っていた同級生の君ちゃんは綺麗な女の子だったが、幸せに暮らしているのだろうか?風の便りにお母さんが離婚したとも聞いていた。今頃はーー。

離婚が不思議ではないこの島はなんでも日本という国で最も離婚率が高いという。それが嘘のような本当の話で、フランス語の教師によると結婚届けを出さないカップルと子供の形態はフランスでは半分を占め、子供の数も増えているという。形に縛られない個と個が自立して家族を営む。やがてこの島もその形態になっていくのかもしれない。

骨の話だったのだ。骨はどうしたのだろうか?愛する者が火葬場で焼かれてその骨がボロボロになり、お箸で掴んで骨壷に入れる儀式がある。ついさきほどまで確かに意識を持ち魂を有していたはずの肉体が昏睡状態になり呼吸が止まり死体となる。その刹那に意識や魂はどこを彷徨うのだろうか?唯物論的に物体が消えれば、死体の「物」になれば魂は消える。しかし焼かれて骨になり細かくぐじゃぐじゃにされた身体を大事に骨壷に入れてお墓や納骨堂に納める。もはやあの立派な頭蓋骨は消えたのだろうか?(火葬になって以来人間の頭蓋骨はボロボロに砕けた骨の欠片になってしまった!)

わたしが死ぬ時は火葬にしないで土葬にしてわたしの頭蓋骨をそのまま残してほしいと思ったりする。あの小学校4年生の時、教室の教壇の上の立派な頭蓋骨のように!わたしの頭蓋骨をたまに取り出してゆかりのある者たちが眺めて酒を飲み交わすのも悪くはないのかもしれない、などと咄嗟の思いつきを書き記しておこう。そして遺髪だが、遺髪は残したい。好きな者たちの遺髪は大事にとっておきたいという思いがある。わたしは一人の敬愛した方の遺髪を大切にもっている。


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