志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

停電の闇の中で読書、電気がないと生活は一挙に劣化だねと「遠野物語」を読む若者が言った!

2012-09-30 04:14:14 | グローカルな文化現象

                             (琉球王府時代の菓子)

29日は午後から停電である。自然の光の中で授業で学生と読んで演じたいピンターのThe Homecoming などを読んでいた。若者は「遠野物語」を読んでいると言った。「おれ高1の時に買って一応読んだんだよ」とのことだった。民俗に興味があると言っていた若者はネットでも小説はよく読んでいたのらしい。蝋燭の火を灯しながらコンビニで買ってきたチキンなどを食しながら、『遠野物語』の中の怖い物語の話をした。わたしはその物語の全部を読んだ記憶がないので、面白かった。

「電気ないと生活は一挙に劣化だね。コンビニは人で溢れていたよ」とのことだった。

「停電だから光に吸い寄せられるというより電気がないから料理も作れないしね」

「オール電化のシステムは困るね、あれは電力会社にはうまい蜜だけど、ガスも使わないと困るね」

「そうね、電気は無敵ではないね、簡単に台風で停電だし」

「前にニューヨークが大停電という事件もあったね」

「真っ暗な都会は不気味で、現代文明は意外と脆いのかもしれないね」

「いざとなった時、電気がないことを想定して考えないといけないね」

「やはりポータブルのラジオは必要だね」

「あったけどどこへ消えたのかな、1台買わないとね」

深い闇が広がっていった。闇の怖さは尋常ではない。終日明るい光を浴びているせいか、闇が怖いと思った。『遠野物語』の中の不思議な物語は闇が深い環境の中で生きてきた者たちにとってありえた世界である。闇が深い世界で生きてきた人類である。油や蝋燭の光の中で夜を過ごすこと、漆黒の闇の、その魑魅魍魎があふれるような時空をイメージする。妖怪や幽霊や魔物が満ち溢れていたのは確かだろう。今、闇や夜は電気の力で薄くなったきた。妖怪も幽霊も逃げ出す世界だ。光を浴びて退散である。しかし簡単に闇に放り投げられる街の生活でもある。テレビやネットのない空間で、わずかな光の中で本を読む。沈思黙考はそこから始まるのかもしれない。光と闇の境界で佇むのも悪くはない体験だった。

「闇の中を歩いて旅した一昔だね、月の明かりがかなり助けになったのだろうね。そういえば陽暦ではなく陰暦の方が自然のサイクルにはあっているみたいだね」

「戦前までは陰暦で戦後アメリカ世になって陽暦ですか」

「実際は陰暦が生活のリズムにあっているのに無理して陽暦を取り入れたんだね」

「それは変える必要があるね、すべて西洋に倣えの時代はもういいよね」

夜の闇の中で人は早寝早起を実践してきたのだろう。今午前4時36分、深夜に起きている。朝の方が近い。科学技術がもたらしたもの、その恩恵を受けている。そして失ってきたものも多いのだと、なんとなくに停電で思い知らされてもいた。狂い風の威力に参ったが、ものすごい風の脅威はあっと過ぎ去ったが、その間、引きこもりをさせられる。

自然の脅威に晒される昨今の地球である。いや古代からそうだったのかもしれない。人為的脅威と自然の脅威、どちらも手をつないでやってくる。

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ハロルド・ピンタの作品世界では崩壊する家庭が描かれる。The Homecomingもそうだ。その中に一人登場する女性は娼婦であり母であり妻である。自由な女である。性の魅力により男たちを支配する女である。二重規範の中のどちらかではなくこの間の2つのイメージを一つにする女の登場は極めて興味ふかい。娼婦と母性、妻が共存する一人の女、んん男たちの理想の造形なのか、どうなのか、女をコールガールにする考えをもつ男たちの存在は何だ?しかし女は男たちの思惑を超えていく可能体としても存在する。さてどう読み解くか?

アイデンティティーの混乱では教師が夜のバーでアルバイトをするようなそんな女の2つの仮面を描く。

自由な女とは?母性とは?妻とは?夫とは?家族とは?母親の浮気でできた息子とは?

 


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