志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

Twitter とその奥にあるブログなど見ていると、新聞紙面の情報:時評や批評の感性の鈍さを感じる!

2012-07-30 22:07:25 | グローカルな文化現象

                          (ベランダから見る朝明けの薄いピンクの雲、お元気ですか?)

2011年の11月からTWITTERにはまっている。昨今ではWIJの実況中継にも参加してツイートしたりしているが、東京の国会包囲のキャンドルデモがライブで身近に感じられ、デモ隊の一喜一憂に反応したりしている。ツイートにも多様な人間の参加があり、意図的にスパームをばらまく人々もいる。日夜ONになっているツイターは世界の状況を網羅しているゆえに、飽きることはない。逆に落ち込んでいるとツイターに励まされることがままある。ウェブ空間で共感できる方々との連帯感が生まれる。

不思議な世界。様々な情報が流れている。既成の新聞では登場しないような情報が満載である。自然TVも見ないし、新聞は、文化欄と特集記事だけということにもあいなる。そしてすでにツイターでお馴染みの方の発言など、非常にワンテンポ遅れていると感じる。一度得た情報が繰り返されると古い、遅いという感覚になってしまうのかもしれない。既視感もある。思想や批評の視点もまたそうである。日本が守るべきは日本国憲法で、真に憲法を生かしていこうという声がある一方で、現実のリアリティーにそぐわないとして改憲の声も大きくなったりしている。日本の沖縄化なんて標語はずっと前から言われてきた。それが今頃納得したかのように、著名な翻訳者が言ってのける。いまさらね。戦後67年の日本の民主主義の欺瞞や偽善がこちらからは丸見えだったのよ、と沖縄が主張しつつけてきたかどうかは、記録媒体としての新聞や書物が記録している。

それにしてもブログやツイターの世界にアクセスして相乗効果的な空間に身を置いている者とそうではない者たちの差が、研究者の間にもあり得るかどうか、ありえるのかもしれない。今、このモメントの感性がツイターの感性である。それに時を置いた、間合いの中で組み立てられることばとの差異がある。ツイターをやっていると紙面でみる批評さえもすでにもう新鮮さを感じなくなる、これは怖い。いったい何をいっているのかな?最新の事実や真実の開示はここまでいっているのに、今頃そんな事言っているの?の感覚になってしまっている所がある。そして既成の知の砦なり構築に陳腐さも感じている。それでも体系や形式があり、そのフォーマットに従わざるをえないというアナログの健在もある。

おそらく膨大な情報の中でもしかしツイターでも信頼できる方々の発言や批評は手堅い。原発問題はこの方が信頼できると、ある方のことばが常に引用される。孫崎さんのツイターも氏の戦後日本の欺瞞についての発言など、目が開かされる。戦後67年、戦後総体を捉え返さざるをえない日本の現在、反・脱原発の路上の民主主義が毎週繰り返されている。その実況中継に参入しながらいろいろと考えさせられる。日本は変わりそうだと思いたい。ここからどこへ向かうのか?ネットのグラス・ルーツにはまだ希望がある。

このモメントが持続して、明日からあさってへ!

 

 


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