(歩く人間と野良猫)
「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵、二代目中村吉右衛門さんの表情、所作、殺陣、語り、いいですね。平幹二朗さんも良いですね。沖縄では80代にして色気を感じさせたのは真喜志康忠さんです!別に超ハンサムというわけではないですね。
沖縄の役者でやはり真喜志康忠さんは格別です。100年に一人の沖縄の名優です。
沖縄の伝統芸能を担う中堅や若者も組踊が世界無形文化遺産に登録されて以来、注目されています。
どうも組踊では女形が注目を浴びているのですが、男の立役も注目です。組踊の按司の役柄がその中心ですが、康忠節と慕われてフアンの人気の的だった真喜志康忠さんは、役者としてぎりぎりまで、とことん、芸能者・芸術家としての矜持を示した俳優です。
去年から介護が必要な家族の付き添いで思いがけなく時代劇を見る機会が増えました。この間見たことのない時代劇を見るようになって、よく知られた主役を演じる何人かの有名な男優の芸を見ているのですがー、たとえば「暴れん坊将軍」の吉宗役の松平健、「必殺仕事人」の中村主水の藤田まこと、池波正太郎作品「剣客商売」の秋山小兵衛(藤田まこと)と息子の秋山大治郎(山口馬木也)そして老中田沼意次役の平幹二朗、「遠山の金さん」の中村村梅之助(他同じ役で杉良太郎、松方弘樹、高橋英樹、東山紀之など)、柴田錬三郎の小説に登場する剣客「眠狂四郎」の市川雷蔵(最近の田村正和など)、他「盤嶽の一生」の役所広司もいます。
その中で飛びぬけているのは中村吉右衛門さんですね。役職からくる峻厳さの中に人情の機微が感じられ、所作や表情が何ともいえず引きこまれる役者です。厳しさと優しさ、物語がかもす人物像もあるのだろうけれど、その物語を実写して映像として見せるときの監督の手腕も重要な要素だろうけれど、脇役の演技も見逃せないが、やはり主役の力は大きいです。
同じスタッフで映像を撮っているように見える「鬼平犯科帳」と「剣客商売」、共に映像(背景)がとてもいいのです。物語の舞台の町並みや自然の光景、カメラ映像の美しさ、また音楽や効果音などもいいですね。
中村吉右衛門さんが人間国宝、文化功労者、かつ芸術院会員だということは圧倒的な人気にもよるのでしょうが、圧倒的な役者としての技量の深さなのですね。
歌舞伎座や南座で歌舞伎を見たことは数回ほどで、生の舞台を観ることはなかなかないのですが、テレビでその芸の深さを堪能できるのは幸いです。
さて、女形の若手は琉球芸能(組踊)でも何人か注目されていますが、立役で真喜志康忠さんのような魅力のある役者は?と問うと、その後継者は育ってきていますね。ただし、戦前・戦後の沖縄芝居を体験し、戦前の名優芸を身近に見て、競演し、戦後の芝居全盛時代を通り抜けてきた真喜志康忠さんは、復帰運動(方言撲滅運動を伴う)の中で衰退していく芝居役者として、闘ってきた方ですね。
すでに二冊の書籍を世に出しています。多読で「沖縄芝居」を現代に蘇らせるために、奮闘し、新しい沖縄芝居の創作にも取り組んできました。かつ80年代には沖縄芝居実験劇場に中心になってかかわり、現代沖縄芝居を大城立裕さんや演出の幸喜良秀さんたちと生み出したのでした。
史劇や時代劇のみならず、琉球歌劇も堪能で、喜劇も創作しています。そのマルチ・タレントの一座の座長は、復帰後の時代の潮流を読み取り、組踊の伝承者としても果敢に取り組んでいたのですね。その真喜志康忠さんの役者芸のすごさを作品ごとにきちんと捉え返す必要があるようです。その技芸の元になった経験と役を演じるために苦心し、取り組んだ鍛錬の痕跡をきちんと書き残す必要があります。
あの男気のある爽快な演技は、男冥利の気風の良さ、それがどこから滲んできたのか。役柄に対する徹した想像力と、同じ舞台を作る座員や他の役者との呼吸、観客との呼吸の取り方も大事だったと言えるのでしょう。観客席から座員の演技を見据えていた座長の姿もあったのですね。観客(あんまーたち)のまなざしによって鍛えられるのだとよくお話していました。
平良 進さんは、舞台の上で演技に夢中になり気絶せんばかりの熱演について、お話していますね。
その他、役者真喜志康忠芸のすごさを語る方々は多いです。
今一度、実際の舞台を見た方々の演技の面での証言を得なければならないようです。
と同時に沖縄の伝統芸能や現代劇を演じる役者の身体論、演技論をきちんと取り組まなければなりませんね。
よく演出の幸喜良秀さんが沖縄の身体性について言及しています。沖縄ならではの感性、演技理論があってもおかしくないですね。幸喜さんは独自の経験の中で後継者を育ててきていますね。現在組踊の伝承者で沖縄芝居の史劇や歌劇で主役を演じる中堅の芸能者は、舞踊や組踊に支えられた技量の上に写実的な芝居の様式を学びながら演じているのですが、何しろ、上演回数は少ないので、横一列にプロデュース公演の作品に出まくっています。舞台で鍛えられる役者の技量があるといえるようですが、ヴェリシミリテュドゥがあり、ほんとらしさ、で役に向かっていくエネルギーが優れた役者を鍛えていくのかもしれませんね。
しかし組踊役者が必ずしも優れた琉球歌劇や史劇の主役にはなれないのですね。芸域の深さ、広さ、多様な芸事をたしなんでいる沖縄の芸能者の姿は、頼もしい限りですが、一歩抜きん出ている役者は、かなり舞台の場数を踏んでいますね。昨今は他府県でも頻繁に公演をし、かつ海外公演も盛んな沖縄です。そのネットワークを身近なアジアにも、もっと広げて交流できたらいいですね。世界的なヒットを得るアジア演劇の動向も見据えながら、沖縄独自の世界に羽ばたける作品を創作し、それを上演していく機運がもっと高まることを期待したいです。
つまり沖縄の役者の魅力のトップは真喜志康忠さんで、氏を定点に現代の沖縄の舞台役者を見ています。すると、男優では伝統芸能では神谷武史さん、同じ武史で現代劇では、福永武史さんですね。神谷さんは歌劇の主人公としては、歌唱がとても良いわけではありません。
このコラムにコメントが寄せられました。小渡和道さんのことは念頭から離れません。投稿された方が「2012年の一雄先生の独演会の際に、組踊「 おどろみゆ華の命」に、小渡さんが演じた阿麻和利。気品と美しさ、そして色気があって、圧倒されました。組踊は若い人たちの活躍が著しいですが、組踊の立ち方で最も美しい人だと思います。」と書かれていますが、その通りです。
組踊の立方で最も美しいかたです。でもこの最も美しい方がなぜ「琉球組踊保存会」の保持者になれないのでしょうか?おそらく組踊や琉球歌劇や史劇を含めてこの方ほど美しい立ち方はいません。すでにこのブログで言及しました。佐辺良和さんも金城真次さんも、小渡さんのそばに立つとしぼんでしまいます。舞台でこれほど美しい立役はいませんね。芸能組織なり仕組み、システムの欠陥を思わずにはおれません。
最近宇座仁一さんが存在感を増していますね。中背ながら味のある按司や嘉数道彦さんの質のいい新作沖縄芝居の座長の役など、また「多幸山」で見せた旅人の役、内から溢れる人間味が良いですね。組踊の谷茶の按司も踏襲していますね。続く!
沖縄の役者でやはり真喜志康忠さんは格別です。100年に一人の沖縄の名優です。
沖縄の伝統芸能を担う中堅や若者も組踊が世界無形文化遺産に登録されて以来、注目されています。
どうも組踊では女形が注目を浴びているのですが、男の立役も注目です。組踊の按司の役柄がその中心ですが、康忠節と慕われてフアンの人気の的だった真喜志康忠さんは、役者としてぎりぎりまで、とことん、芸能者・芸術家としての矜持を示した俳優です。
去年から介護が必要な家族の付き添いで思いがけなく時代劇を見る機会が増えました。この間見たことのない時代劇を見るようになって、よく知られた主役を演じる何人かの有名な男優の芸を見ているのですがー、たとえば「暴れん坊将軍」の吉宗役の松平健、「必殺仕事人」の中村主水の藤田まこと、池波正太郎作品「剣客商売」の秋山小兵衛(藤田まこと)と息子の秋山大治郎(山口馬木也)そして老中田沼意次役の平幹二朗、「遠山の金さん」の中村村梅之助(他同じ役で杉良太郎、松方弘樹、高橋英樹、東山紀之など)、柴田錬三郎の小説に登場する剣客「眠狂四郎」の市川雷蔵(最近の田村正和など)、他「盤嶽の一生」の役所広司もいます。
その中で飛びぬけているのは中村吉右衛門さんですね。役職からくる峻厳さの中に人情の機微が感じられ、所作や表情が何ともいえず引きこまれる役者です。厳しさと優しさ、物語がかもす人物像もあるのだろうけれど、その物語を実写して映像として見せるときの監督の手腕も重要な要素だろうけれど、脇役の演技も見逃せないが、やはり主役の力は大きいです。
同じスタッフで映像を撮っているように見える「鬼平犯科帳」と「剣客商売」、共に映像(背景)がとてもいいのです。物語の舞台の町並みや自然の光景、カメラ映像の美しさ、また音楽や効果音などもいいですね。
中村吉右衛門さんが人間国宝、文化功労者、かつ芸術院会員だということは圧倒的な人気にもよるのでしょうが、圧倒的な役者としての技量の深さなのですね。
歌舞伎座や南座で歌舞伎を見たことは数回ほどで、生の舞台を観ることはなかなかないのですが、テレビでその芸の深さを堪能できるのは幸いです。
さて、女形の若手は琉球芸能(組踊)でも何人か注目されていますが、立役で真喜志康忠さんのような魅力のある役者は?と問うと、その後継者は育ってきていますね。ただし、戦前・戦後の沖縄芝居を体験し、戦前の名優芸を身近に見て、競演し、戦後の芝居全盛時代を通り抜けてきた真喜志康忠さんは、復帰運動(方言撲滅運動を伴う)の中で衰退していく芝居役者として、闘ってきた方ですね。
すでに二冊の書籍を世に出しています。多読で「沖縄芝居」を現代に蘇らせるために、奮闘し、新しい沖縄芝居の創作にも取り組んできました。かつ80年代には沖縄芝居実験劇場に中心になってかかわり、現代沖縄芝居を大城立裕さんや演出の幸喜良秀さんたちと生み出したのでした。
史劇や時代劇のみならず、琉球歌劇も堪能で、喜劇も創作しています。そのマルチ・タレントの一座の座長は、復帰後の時代の潮流を読み取り、組踊の伝承者としても果敢に取り組んでいたのですね。その真喜志康忠さんの役者芸のすごさを作品ごとにきちんと捉え返す必要があるようです。その技芸の元になった経験と役を演じるために苦心し、取り組んだ鍛錬の痕跡をきちんと書き残す必要があります。
あの男気のある爽快な演技は、男冥利の気風の良さ、それがどこから滲んできたのか。役柄に対する徹した想像力と、同じ舞台を作る座員や他の役者との呼吸、観客との呼吸の取り方も大事だったと言えるのでしょう。観客席から座員の演技を見据えていた座長の姿もあったのですね。観客(あんまーたち)のまなざしによって鍛えられるのだとよくお話していました。
平良 進さんは、舞台の上で演技に夢中になり気絶せんばかりの熱演について、お話していますね。
その他、役者真喜志康忠芸のすごさを語る方々は多いです。
今一度、実際の舞台を見た方々の演技の面での証言を得なければならないようです。
と同時に沖縄の伝統芸能や現代劇を演じる役者の身体論、演技論をきちんと取り組まなければなりませんね。
よく演出の幸喜良秀さんが沖縄の身体性について言及しています。沖縄ならではの感性、演技理論があってもおかしくないですね。幸喜さんは独自の経験の中で後継者を育ててきていますね。現在組踊の伝承者で沖縄芝居の史劇や歌劇で主役を演じる中堅の芸能者は、舞踊や組踊に支えられた技量の上に写実的な芝居の様式を学びながら演じているのですが、何しろ、上演回数は少ないので、横一列にプロデュース公演の作品に出まくっています。舞台で鍛えられる役者の技量があるといえるようですが、ヴェリシミリテュドゥがあり、ほんとらしさ、で役に向かっていくエネルギーが優れた役者を鍛えていくのかもしれませんね。
しかし組踊役者が必ずしも優れた琉球歌劇や史劇の主役にはなれないのですね。芸域の深さ、広さ、多様な芸事をたしなんでいる沖縄の芸能者の姿は、頼もしい限りですが、一歩抜きん出ている役者は、かなり舞台の場数を踏んでいますね。昨今は他府県でも頻繁に公演をし、かつ海外公演も盛んな沖縄です。そのネットワークを身近なアジアにも、もっと広げて交流できたらいいですね。世界的なヒットを得るアジア演劇の動向も見据えながら、沖縄独自の世界に羽ばたける作品を創作し、それを上演していく機運がもっと高まることを期待したいです。
つまり沖縄の役者の魅力のトップは真喜志康忠さんで、氏を定点に現代の沖縄の舞台役者を見ています。すると、男優では伝統芸能では神谷武史さん、同じ武史で現代劇では、福永武史さんですね。神谷さんは歌劇の主人公としては、歌唱がとても良いわけではありません。
このコラムにコメントが寄せられました。小渡和道さんのことは念頭から離れません。投稿された方が「2012年の一雄先生の独演会の際に、組踊「 おどろみゆ華の命」に、小渡さんが演じた阿麻和利。気品と美しさ、そして色気があって、圧倒されました。組踊は若い人たちの活躍が著しいですが、組踊の立ち方で最も美しい人だと思います。」と書かれていますが、その通りです。
組踊の立方で最も美しいかたです。でもこの最も美しい方がなぜ「琉球組踊保存会」の保持者になれないのでしょうか?おそらく組踊や琉球歌劇や史劇を含めてこの方ほど美しい立ち方はいません。すでにこのブログで言及しました。佐辺良和さんも金城真次さんも、小渡さんのそばに立つとしぼんでしまいます。舞台でこれほど美しい立役はいませんね。芸能組織なり仕組み、システムの欠陥を思わずにはおれません。
最近宇座仁一さんが存在感を増していますね。中背ながら味のある按司や嘉数道彦さんの質のいい新作沖縄芝居の座長の役など、また「多幸山」で見せた旅人の役、内から溢れる人間味が良いですね。組踊の谷茶の按司も踏襲していますね。続く!
nasakiさんもブログ記事に書かれておられますね。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/df306a0226fb46b2e3c62a8d0733ed75
古典音楽の中村一雄先生が 人間国宝になったニュースを聞いて思い出しました。
2012年の一雄先生の独演会の際に、組踊「 おどろみゆ華の命」に、小渡さんが演じた阿麻和利。気品と美しさ、そして色気があって、圧倒されました。
組踊は若い人たちの活躍が著しいですが、組踊の立ち方で最も美しい人だと思います。