えむこの小部屋

音楽と写真と自然と・・・・

北海道知事公館

2010-07-06 16:35:17 | ぶらり
花フェスタ、バラ園の後、知事公館に寄ってみました。
無料で見学できます。

 
実はこちら側が表なんですよ。


この胸像あまりにも素晴らしく、一瞬、ベートーヴェンかと思いました。
   彫刻家 中村晋也氏作 「村橋久成」という方です。

村橋久成って誰?
村橋久成という方は、サッポロビールを作った方なんですね~。

 村橋は1842年、薩摩藩の上級藩士の長男として生まれました。
幕末、薩摩藩英国留学生としてイギリスに渡り、ロンドン大学に学びました。
イギリス人たちに「サツマ・スチューデント」と呼ばれた15名の留学生のうちのひとりです。

帰国後、箱館戦争で活躍。
明治4年、開拓使に入り、おもに農業振興に情熱を傾けました。
明治13年の北海道官有物払い下げがあり、
黒田清隆が同じ薩摩出身の五代友厚らに破格の条件で払い下げようとしたことが
「薩摩閥の官財癒着」として新聞にすっぱ抜かれ、
一大スキャンダルとなりました。
村橋が突然辞表を出し開拓使を去ったのは、この事件の直前の明治14年5月のことでした。

村橋久成は、消息を絶った後、雲水のような身なりに姿を変えて全国各地を
行脚放浪していたと云われます。
明治25(1892)年神戸市郊外の路上で疾病のため倒れていたのを発見。
施療院に収容されたが「鹿児島県士族、村橋久成」とだけ言い残して息絶えました。

明治初期の時代の中、官民癒着を許せないという信念を貫き通した人、潔さを感じました。


手が込んでいます。




曇りガラスが素敵です。

明治25年にこの土地を開拓使に奉職していた森源三氏が購入し、邸宅を設け、
養蚕に従事したそうです。
館内には、森源三ご夫妻の写真が飾ってありました。
その後、この敷地と邸宅を三井合名会社が購入。戦後、一時米軍に接収。
昭和27年札幌市の所有。その後、道有地と交換し今は道の所有だそうです。
森源三氏の邸宅は現存していないそうです。
ここは、「三井別邸新館」だそうです。

この森源三氏、札幌農学校の第2代の校長なんですね。
有島武郎と森源三の長男とは、札幌農学校時代の友人で、
「或る女」に出てくる実業家の青年だそうです。知りませんでした。