M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

福岡 新柳町(2)

2012年04月29日 17時00分00秒 | ◇福岡
福岡遠征のラストスパート。もう少し新柳町を歩く。


現在はもはや見る影もないが、遊廓の入口にはかつて、石製の大門が建っていたという。
そのなごりなのか、ここ一帯の電柱には「大門」と書かれたプレートが貼られている。

 
二重庇と欄間が特徴的な和風建築。外壁はトタンで覆われており、なんともいえない。


不思議な構造の建物。窓の配置も奇妙な印象を受ける。奥がどうなっているだろうか。

 
微妙な壁の色や、二階の窓のテントが、単なる住宅ではなかったことを示している。
右手に回ると、奥まった意味ありげな入口が現れた。想像をかき立てる造りだ。

 
木材やモルタルの色あせ具合が時の流れを感じさせる。
注目は二階の窓の組子細工。戸袋の大和張りにも細かいこだわりがうかがえる。


遊里につきものの銭湯。裏手に回ると、極太の煙突が姿を現す。
廃業してしまったのか、ウェブ上の地図に「桜湯」の記載は見あたらない。

 
かつて新柳町には、「一楽」という名の、奇抜な外観で知られる大楼が存在した。
このホテルがその末裔なのか、単に名を借りたのかは不明だが、無関係ではあるまい。

福岡 新柳町(1)

2012年04月29日 16時30分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線
明治43年、柳町から移転
大正4年、業者数47、娼妓数650
昭和5年ごろ、業者数42、娼妓数520
昭和30年、業者数76、娼妓数648

 
歴史を感じさせる料亭。位置としては、かつて遊廓のあった手前になるだろうか。
当時は芸妓もいたそうだから、この周辺は、花街的な役割を担っていたのかもしれない。


不思議な外観の建物。ななめに引っ込んだ入口や、怪しげな壁の色が気になる。


レトロな三階建て。一応写真を撮ってみたものの、遊里とは無関係かもしれない。

 
連続するアーチが象徴的なカフェー建築。
玄関や腰に貼られたタイルは、遊里であまり見ない種類だが、当時のものだろうか。

 
迫力のある三階建て。看板建築調の前面だけでなく、うしろのほうも三階まである。
奥行きはさほどではないとはいえ、部屋数は相当ありそうだ。

 
平凡なモルタル造りのように見えて、後方へ回ると、そう単純ではない構造が見えてくる。
外観はかなりリフォームされているため、もとの姿を想像するのは難しい。


角を切った建物というと、角地に建っているイメージがあるが、目の前に例外が現れた。
全体の造りも独特。和風のようでありながら、単純に和風とはいえない様式である。

選擇寺

2012年04月29日 16時00分00秒 | ◇福岡
柳町遊廓(新柳町遊廓の前身)ゆかりの寺。
遊女のひとりである雪友の墓と、ほかの遊女たちの無縁墓が建てられている。


山門。


読みは「せんちゃくじ」。


雪友の墓は、寺の裏手のほうにあった。
雪友は大変信心深く、寄進も多かったため、特別に墓が建てられることになったようだ。


「博多柳町 名娼 雪友之墓 文久元年六月廿七日 寂十九歳」とある。
死因は不明だが、非常に若くしてこの世を去ったことがわかる。


重ね置きされていた卒塔婆を、失礼して横並びにして撮影させていただいた。
右が雪友の卒塔婆、左が雪友の母親の卒塔婆。

最後に両手を合わせて、寺を辞去。
次の目的地へ向かうバスの中で、無縁墓を見忘れていたことに気づいた。

福岡 大浜 ~拾遺編~

2012年04月29日 15時30分00秒 | ◇福岡
大浜のあれこれを落ち穂拾い的に。

 
大浜公民館。大浜の名を残す数少ない物件の一つ。


看板建築。手がかりがなく、何かの店だったのだろうとしか想像できない。
興味を引かれたのは、建物の両脇に残る不思議な石柱。下の写真二点がそれだ。

 
[左]向かって左側。低い石柱である。かろうじて「櫻木」と読み取れる。
[右]右側。何か書かれているようにも見えるが、判読不能。

 
タイルをまとった極太の円柱が惹かれた。ただし遊里とは無関係だろう。


カフェー建築を思わせる豪華な三階建て。カフェーほどの築年数はなさそうだ。

 
タイルが散乱していた駐車場。かつてはこの場所にも妓楼が建っていたのだろう。

 
駐車場の塀。手前にタイル、奥にレンガの装い。
もとより塀だったのか、もしくは建物の壁だったのか、まったく想像がつかない。

福岡 大浜(2)

2012年04月29日 15時00分00秒 | ◇福岡
大浜探索を続行。

 
アーチ窓や丸窓、本を開いたような形状の窓と、華やかな窓の数々が建物を引き立てる。
要所にあしらわれたタイルは、大小さまざま、色とりどり。末長く残っていてほしい。

 
奥深い入口が気になる看板建築。二階の茶色い塗装(石材?)はあまり見ない色あいだ。


戦後に建てられたとおぼしき旅館。現役ではないようだが、転業旅館だったのだろうか。
外観に目立った装飾はなく、地味な見た目ながら、どことなく独特の雰囲気がただよう。


二階の装いが凝っている。皿を伏せたようなアーチが、大小合わせて十二個。
玄関脇の赤い壁も見のがせない。よく見ると、二階も赤が色あせたような感じがある。

 
玄関まわりに趣向が集中。八角形の飾り窓や二重の屋根の演出がおもしろい。
建物が小さい上、かなり直されているため、本来どんな建物だったのかは定かでない。

 
県道43号線を渡り、東側へ。遊里はこちら方面にまで及んでいたと思われる。
写真は和とも洋ともつかない物件。木彫りや鉄格子など、じつに多様な装飾が見られる。


出格子が美しい和風建築。妓楼に直結するような艶っぽい雰囲気は感じられない。
このあたりは商店街だったのか、大半の建物は、古いながらも遺構でない印象を受けた。

福岡 大浜(1)

2012年04月29日 14時00分00秒 | ◇福岡
私娼街→赤線
昭和4年、業者数85、娼妓数293
昭和30年、業者数120、娼妓数300


左右に入口を配している。和風ともカフェー風ともつかない中庸的なデザインが特徴。
微妙にせり出した二階の出窓がおもしろい。下部にあしらわれた雲形の装飾も印象的だ。

 
二階のアーチ窓が象徴的。反対側は三階建てになっており、窓の造作も見のがせない。
アーチ窓をよく見ると、円柱のねじれが左右対称で、シンメトリーの美学が感じられる。

 
軽自動車が通れるくらいの路地に、この建物がひっそりと残っていた。
建物は小ぶりながらも、重厚なタイル使いが存在感を放っている。


外壁に塗られた色のせいか、どっしりとした雰囲気をただよわせているカフェー建築。
タイルの装いを除外しても、建物全体の造りが普通の家屋ではないことを物語っている。

 
上記物件から二点。[左]青タイルで彩られた円盤状のオブジェがおもしろい。
[右]カーブを描く壁と、それに呼応する窓とタイルが絶品。赤タイルとの対比も効果的だ。


一見なんということのない小旅館だが、写真に写っている猫が館内へ入っていったので、
誘われるように中をのぞいてみると、欄間に施された雲形の装飾が目に飛び込んできた。

 
窓の縁や小窓の庇に、こげ茶色の豆タイルがあしらわれている。
入口は、ふさがれているものを含めると四つだろうか。この規模にしてはかなりの数だ。

北九州 戸畑(2)

2012年04月29日 11時30分00秒 | ◇福岡
ひきつづき戸畑を歩く。

 
堅固な印象のカフェー建築。この規模にしては入口が少ないほうかもしれない。
特筆すべきは玄関の装飾。波状にうねった壁にきっちり貼られたタイルに圧倒される。


指示代名詞の屋号。性的な意味合いを含む単語だが、そういう意図はあるまい。
よく観察すると不思議な造りをしている。遺構かどうか定かではない。

 
小料理屋風の一軒。撮影時には気づかなかったが、右側面の崩れ方が不自然。
ひょっとすると、以前は右奥の建物(「あそこ」の物件)とつながっていたのかもしれない。


スタイリッシュな石材が特色。艶っぽさに欠けるとはいえ、普通の住宅には見えない造り。
石材に比べ、木材の朽ち方が目立つ。石材はリフォームの成果なのだろう。

 
県道を渡り、南鳥旗町へ。こちらには古い旅館やホテルが残っている。
写真の物件が転業旅館なのかは不明だが、華やかなタイルの装飾は見ごたえがあった。


上記物件の裏手。袖看板や凝った引き戸を見ると、単なる通用口とは思えない。
想像を刺激されるたたずまいである一方で、思い過ごしである可能性も高い。

 
現役旅館のようだ。規模はかなりのもので、遺構なら相当な大店だったであろう。
建物は古そうだが、徹底的にリフォームされており、昔日の面影はほとんど感じられない。

北九州 戸畑(1)

2012年04月29日 10時30分00秒 | ◇福岡
私娼街→赤線
昭和4年、業者数81、娼妓数318
昭和30年、業者数93、娼妓数279

 
[左]洋瓦とタイルが特色のカフェー建築。二階中央の金具は袖看板のなごりだろうか。
[右]玄関の上部。優美なカーブを描く壁にすき間なく貼り付けられたタイルが映える。


玄関まわりのごてごてした石材と、きれいに塗り直された外壁とのギャップが強烈。
腰の手前に積み上げられている黒ずんだレンガは、はたして当時のものなのだろうか。


トタンやモルタルに覆われた和風建築。トタンやモルタルも相当な年季が入っている。
なんらかの客商売を営んでいた長屋だろうと推察できるものの、具体的な業種は不明。

 
どことなく不思議なフォルムをした物件。引き戸の配置もやや不自然に見える。
唯一サイディングを施されていない腰まわりは、茶褐色のタイルで統一されている。

 
和風建築の前面をリフォームし、カフェー調に改めた建物。
腰や床がタイル張りになっているほか、白塗りの部分にもタイルの凹凸が見て取れる。


角を切った和風建築。渋い色調のタイルは、当初からの装いではないかもしれない。
窓の小ささと少なさが奇異な印象を与えるが、何か理由があるのだろうか。


小料理店の長屋。当時の遊客は、こういった店で一杯引っかけてから登楼したのだろう。

北九州若松 新地

2012年04月29日 09時30分00秒 | ◇福岡
私娼街→赤線?
昭和4年、業者数61、娼妓数244


国道199号線沿いにある和風建築。
妓楼という雰囲気ではないものの、二階の繊細な出格子に惹かれて撮影。

 
一見なんの変哲もない長屋のようでいて、どことなく気になる雰囲気をただよわせている。
入口の数はなんと六つ。そのうち四つが中央に固まっている。


庶民的な居酒屋があちこちに点在している。新地だった時代のなごりだろうか。
奥に見えるちどり横丁は、複数軒の飲み屋が入った長屋建築。


角を切ったデザインが気になる物件。トタンによるサイディングがうらめしい。
平行に延びる二階の庇が一風変わっている。こういう構造は二重庇と呼べるのだろうか。

 
こちらもトタンで覆われているが、屋根に目を向けると、帆船を模した棟飾りを発見。
二階の屋根が微妙にカーブしており、まるで建物全体がふくらんでいるかのように見える。

 
二棟の細長い建物が並んでいるように見えて、実際はつながった一軒。
左側がタイル貼りになっているが、もともとの装飾ではないように思えた。

 
相当手を加えられていながらも、本来の和風建築の意匠がところどころに残っている。
一の字つなぎが見事な欄干や、あまり見ない色づかいのタイルが印象的だった。

北九州若松 連歌町

2012年04月29日 08時30分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数110


連歌町跡の標柱。「葦平文学散歩」とある。
火野葦平は若松出身の小説家だが、遊廓とのかかわりはつかめなかった。

 
表の通りには何も残っていないようなので、路地に重点をおいて探索。
さっそくカフェーを思わせる建築物が現れた。奥に引っ込んだ入口が意味ありげに映る。

 
カーブを描く入口。こういった曲面に石材をあしらうのは非常に難しいと思われる。
建物全体の装いも見てみたかったが、残念ながら白いトタンに覆われてしまっていた。


和風建築をリフォームしたとおぼしき現役のそば屋。
平側のモルタル様の外壁は明らかにリフォームの結果と思われるが、その意図は不明。

 
小料理屋だろうか。手作り感のあふれる壁面装飾や擬木など、全体的にチープな印象。
とはいえ、結果的に記憶に残る外観に仕上がっているのだから、狙いは成功だろう。


中川通りを挟んだ向かい側。こちらにも往年の歓楽街を偲ばせる光景が広がっていた。

 
若戸大橋口交差点の近くで、「銘酒街」と記された電柱プレートを発見。これにはびっくり。
「銘酒屋街」じゃないぞ、と頭を冷やしつつ周辺を探る。正体は飲み屋の集合店舗だった。

北九州小倉 旭町

2012年04月29日 07時00分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線?
昭和5年ごろ、業者数30、娼妓数250

現役の風俗街。けっして広くはない地域の中に様々な風俗店が混在している。
比較的新しい建物が多く、明らかに遺構と断定できる物件は見つからなかった。

 
[左]小倉駅南口を出て、ペデストリアンデッキの西端から見下ろした光景。
[右]反対側から。風俗店からテレクラ、カラオケ店、ビジネスホテルまで揃っている。


ストリップ劇場にビデオルーム。まさしくなんでもありだ。

 
建物の側面にも入口が設けられている。いくつかの店は現役のようす。
近づいてみると、奥まった入口に丸椅子が一つ。昔はもしや……と想像がふくらむ。


ポルノ専門のレトロな映画館。
「I」が男女のポルノ、「II」が男性同士のポルノを扱っているらしい。


わずかながら年季を感じさせる建物が残っている。

 
旭町(現在の船頭町)の風俗業のメインジャンルともいえるソープランドの密集地区。
呼び込み店員の姿は見あたらない。関東地方と違って早朝営業がないのだろう。

 
旭町で唯一注目の和風建築。外装は地味ながら、場所が場所だけに気になる建物だ。
入口の上部には洋裁研究所の看板が残っている。それ以前はどうだったのだろうか。

北九州小倉 京町

2012年04月29日 06時30分00秒 | ◇福岡
青線
旭町に寄り添うようなその立地から、旭町の遊客を狙った青線街だったと想像できるが、
旭町の戦後の状況がいまひとつ定かでないため、断言はできない。

 
通りに並ぶのは、居酒屋、風俗店、弁当屋など、雑多な店舗の数々。
店と店のあいだにはアーチの骨格が残り、さらにその奥へと路地がつづいている。

 
路地。小店舗がひしめき、各店から袖看板が突き出ている。典型的な青線街の光景だ。
それにしても荒れ方がひどい。いつなくなってもおかしくない。


石材をあしらった入口まわり。スタッコ仕上げのような外壁は看板の跡だろうか。

 
赤線でも通用しそうな、しっかりした造り。青線跡で出格子を目にするとは思わなかった。
赤紫色にくすんでしまっている壁も、かつては鮮やかな色彩で人目を引いたことだろう。

 
荒れていて最初は気づかなかったが、青線にしては堅実な造りの建物が多い。
奥へ進むと、風流な飾り窓が現れた。開け放たれた戸の内側はタイル張りになっている。


この組合は、おそらくもう存在しないのだろう。


きれいにサイディングされているものの、どことなく奇妙なフォルムが見て取れる。
現役の店という雰囲気はない。いまは住居として利用されているのかもしれない。