遊廓→赤線
明治43年、柳町から移転
大正4年、業者数47、娼妓数650
昭和5年ごろ、業者数42、娼妓数520
昭和30年、業者数76、娼妓数648
歴史を感じさせる料亭。位置としては、かつて遊廓のあった手前になるだろうか。
当時は芸妓もいたそうだから、この周辺は、花街的な役割を担っていたのかもしれない。
不思議な外観の建物。ななめに引っ込んだ入口や、怪しげな壁の色が気になる。
レトロな三階建て。一応写真を撮ってみたものの、遊里とは無関係かもしれない。
連続するアーチが象徴的なカフェー建築。
玄関や腰に貼られたタイルは、遊里であまり見ない種類だが、当時のものだろうか。
迫力のある三階建て。看板建築調の前面だけでなく、うしろのほうも三階まである。
奥行きはさほどではないとはいえ、部屋数は相当ありそうだ。
平凡なモルタル造りのように見えて、後方へ回ると、そう単純ではない構造が見えてくる。
外観はかなりリフォームされているため、もとの姿を想像するのは難しい。
角を切った建物というと、角地に建っているイメージがあるが、目の前に例外が現れた。
全体の造りも独特。和風のようでありながら、単純に和風とはいえない様式である。
明治43年、柳町から移転
大正4年、業者数47、娼妓数650
昭和5年ごろ、業者数42、娼妓数520
昭和30年、業者数76、娼妓数648
歴史を感じさせる料亭。位置としては、かつて遊廓のあった手前になるだろうか。
当時は芸妓もいたそうだから、この周辺は、花街的な役割を担っていたのかもしれない。
不思議な外観の建物。ななめに引っ込んだ入口や、怪しげな壁の色が気になる。
レトロな三階建て。一応写真を撮ってみたものの、遊里とは無関係かもしれない。
連続するアーチが象徴的なカフェー建築。
玄関や腰に貼られたタイルは、遊里であまり見ない種類だが、当時のものだろうか。
迫力のある三階建て。看板建築調の前面だけでなく、うしろのほうも三階まである。
奥行きはさほどではないとはいえ、部屋数は相当ありそうだ。
平凡なモルタル造りのように見えて、後方へ回ると、そう単純ではない構造が見えてくる。
外観はかなりリフォームされているため、もとの姿を想像するのは難しい。
角を切った建物というと、角地に建っているイメージがあるが、目の前に例外が現れた。
全体の造りも独特。和風のようでありながら、単純に和風とはいえない様式である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます