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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

甲府・茅野・韮崎・浅間温泉・松本

2018年06月23日 05時30分00秒 | ◆甲信越
長野遠征。前乗りして一日で帰宅。
時おり雨に降られて往生した。

茅野では「遊女小路」なる謎の細道を歩く。
周辺はどこを見回しても田園まじりののどかな住宅地で、花街らしい風情は皆無だった。
この名にはどんな由来があるのだろう。

中込

2015年09月09日 09時30分00秒 | ◆甲信越
長野遠征。
中込に遊里の記録はないと思うが、かなりの規模のスナック街が現存する。

この日は小諸まで足を伸ばす予定だったものの、
台風による大雨のため、中込のみで撤退。
ところが帰宅途中で雨は上がり、最終的にはすっかり晴れてしまった。

どこかで待機していればよかった、という後悔もあるけれど、
帰宅できなくなるリスクと背中合わせだったためしかたない。

豊川稲荷社

2013年06月29日 18時30分00秒 | ◆甲信越
花街と密接に関わっていた神社。遊里との関係は不明。




「下諏訪料藝組合」と刻まれている。
「料藝」は、料理屋と芸妓置屋、つまり二業を意味するのだろうか。

 
カフェーの屋号が記されている。これはめずらしい。


手水石に「下諏訪料理家組合」とある。料藝組合とは異なる組織なのだろうか。
あるいは料藝組合の前身なのかもしれない。



 
石灯籠の台座。右に下諏訪藝妓置家とあり、左に屋号が連なっている。

下諏訪

2013年06月29日 18時00分00秒 | ◆甲信越
明治17年、貸座敷数6、娼妓数13
昭和4年、貸座敷数7、娼妓数42

上記のほか、湯田町に芸妓数98、御田町に芸妓20、娼妓27
という昭和初期の記録がある。
湯田町と御田町の間にさほどの距離はない。明確な区分はあったのだろうか。


湯田町の景色。旧中山道の坂道に旅館や銭湯が並んでいる。

 
旅館の傍らに置かれている下諏訪宿の説明書き。
飯盛女について触れられている。

 
松形の装飾窓から漏れる光が玄関を優雅に彩る。



 
三階建ての旅館建築。看板で「下諏訪宿」と謳うのが定番らしい。

 
料理店を思わせる建物。湯田町と御田町のちょうど中間あたりに位置。


塚田町の町並み。旅館と料亭が数軒並んでいる。御田町に近いといえば近い。

飯田 長姫町

2013年06月29日 13時50分00秒 | ◆甲信越
くつわ小路につづく青線候補。
インターネットで調べると、この地域の廃墟群が青線だったと紹介されている。
確かな証拠は得られていないものの、現時点ではこちらのほうが有力だ。

本項では、青線候補の場所だけでなく、長姫町全体を取り上げる。

 
道路側から見ると普通の二階建てだが、反対側から見ると、なんと五階建て。
部屋はいくつあるのだろうか。




青線跡とされている廃屋が低地に残る。
かつては手前の空き地にも同じような建物が集積していたらしい。


近づいてみたものの、崩壊が進んでいるせいか、あまりピンとこない。

 
バーの鑑札が残る物件。
平屋建てに見えるが、反対側に回ると複数層になっているのかもしれない。


錆びついたポール看板に長姫町の文字が見える。


看板をよく観察すると、上書きされた形跡があることに気づく。
下の文字は読み取れそうで読み取れなかった。

飯田 くつわ小路

2013年06月29日 13時30分00秒 | ◆甲信越
飯田といえば二本松だが、そのほか、近くの谷川沿いに青線もあったらしい。
考えられる場所としては二つ候補があり、ここはそのうちの一つ。


傾斜地の中腹を蛇行する小道。右側に石垣、左側に建物を配した独特な景色。

 
小料理店風の建物が連なっている。
小料理・貸席の看板が往時の業種を伝える。

 
引き戸の脇に風俗営業法と食品衛生法の鑑札が残る。


消火器ボックスの側面にくつわ小路と書かれている。
くつわ(轡)は馬具、ここの町名は馬場。馬にゆかりのある土地なのだろうか。

 
ななめに引っ込んだ玄関。桧垣模様に編まれた天井の造作が美しい。


場所柄、水はけには相当気を遣っていると想像される。


地元の人間しか知りえないような立地。青線の可能性は十分あるように思える。
しかし、遊里特有の残り香のようなものは感じられなかった。

飯田 二本松

2013年06月29日 13時00分00秒 | ◆甲信越
昭和4年、貸座敷数10、娼妓数110
廓の入口に二本の松が立っていたことからこの名がついたという。

二本松の名は現在も市の正式な町名として用いらている。
地図で見ると、当時の廓のエリアとぴたりと一致するのではないかと思われる。


付近にあった料理店風の建物。



 
小さな祠が二つ。遊里との関連を示すものは確認できなかった。


この地で松の木を目にすると、これはもしやと期待してしまう。
残念ながらこれは別の木。くだんの松はかなり昔に姿を消してしまったらしい。


クランク状の道路は往時のまま。手前が遊廓側。
中まで入って来ないと廓が見えないようにという、遊里でおなじみの工夫。


真新しいアパートの奥になまこ壁の土蔵があった。


仕出し店といえば遊里につきものの存在。店の歴史が気になる。

上越 今町

2013年04月27日 09時30分00秒 | ◆甲信越
昭和5年ごろ、業者数12、娼妓数120




大胆な改装だが、妻側を見ると、もとは和風建築であったことが見て取れる。

 
上記建物のプレート。左はなんのプレートだろうか。





 
相当な奥行きを持つ旅館。奥にも入口がある。