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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

今治 北宝来町

2013年01月13日 16時00分00秒 | ◆四国
戦後のカフェー街。赤線か青線かは定かでない。
また、戦前に存在したという今治新地との連続性も不明。






全景を収められるのは周囲に空き地が多いため。複雑な気分になる。



 
このあたりを撮影していると、近所の方に声をかけられた。
先日、廃墟化した店から看板が落下し危険だったそうだ。ふたたび複雑な気分に。




今治 波止浜

2013年01月13日 13時30分00秒 | ◆四国
塩田と商港により栄えた地で、享保18年(1733年)に遊廓認可
それ以降の経過ははっきりしない

当時は問屋や商家のなかに妓楼が混在する町並みだったという。



 
タイルが目を引く物件。入口にはカフェーの鑑札が残っていた。


すべての戸がそれぞれ異なる造作でしつらえられている。

 
壁から浮かせて取り付けられた文字看板が印象的。





 

松山 三津浜

2013年01月13日 10時30分00秒 | ◆四国
通称、稲荷新地。
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数140




なんとなく大阪の新地を連想させるたたずまい。

 
辻井戸。説明書きを読むと、稲荷新地について触れられている。




気になるアーチ。

 


海寄りの電柱プレートに稲荷の名を確認。

松山 土橋

2013年01月13日 09時30分00秒 | ◆四国
出自は松山市駅近くの青線。風紀上の理由から移転させられたものらしい。
移転後も青線だったのか、それとも赤線に移行したのかは不明。


アパートのような家並み。将来の転業を見込んでいたのかもしれない。

 
路地は二つ。








同様の鑑札を数点見つけた。

 

松山 千舟町

2013年01月13日 08時30分00秒 | ◆四国
風俗店と飲食店が混在する地域。
このあたりにはかつて花柳界があったというから、そのなごりであろうか。





 


狭い間口に三つの入口。
いちばん右のドアの店も果物の名前だったら、などとくだらないことを考える。



 
料理店の鑑札が残る。


たつの 龍野町(2)

2013年01月03日 16時00分00秒 | ◆近畿
ひきつづき龍野町を探索。

 
玄関戸の板張りとカーブする壁面がおもしろい。

 
兵庫県の鑑札には、「料理屋」と「小料理店」があることに気づいた。
「屋」と「店」の使い分けがよくわからない。
「料理屋」と「小料理屋」、あるいは「料理店」と「小料理店」でない理由はなんだろうか。




三階建て。かなり修繕の手が入っているものの、重厚感は健在。

 
二階はタイル風のトタン張り、一階の腰部分は本物のタイル張り。


かつては銭湯だったらしい。