花街(遊廓があったとする文献もあるが、真相は不明)
昭和21年、待合数11、置屋数19、芸妓数74
井土ヶ谷上町の五差路。正面が当時のメインストリートと思われる。
右の写真は五差路の脇にあった石柱。古そうに見えるが、花街と関係あるだろうか。
かつては見番だった町内会館。
かなり改修されてしまっているものの、玄関の造りから往時の雰囲気が感じ取れる。
町内会館のはす向かいにある平屋建て。こちらは芸妓置屋だったらしい。
現在は民家になっている模様。まだまだ残っていてくれそうで心強い。
貸座敷のあった場所。ありし日の面影はない。
気になった平屋建築。建物は古そうだが、全面塀に囲まれており、なんともいえない。
古風な銭湯。花街と銭湯の関係は、遊里と銭湯の関係ほどには密接でなかっただろう。
とはいえ、銭湯が花街のにぎわいに一役買っていたであろうことは想像にかたくない。
大震災殃死者追悼之碑。「大震災」は関東大震災を指す。
裏面の記された殃死者に花街関係者の名が含まれているかは不明。
昭和21年、待合数11、置屋数19、芸妓数74
井土ヶ谷上町の五差路。正面が当時のメインストリートと思われる。
右の写真は五差路の脇にあった石柱。古そうに見えるが、花街と関係あるだろうか。
かつては見番だった町内会館。
かなり改修されてしまっているものの、玄関の造りから往時の雰囲気が感じ取れる。
町内会館のはす向かいにある平屋建て。こちらは芸妓置屋だったらしい。
現在は民家になっている模様。まだまだ残っていてくれそうで心強い。
貸座敷のあった場所。ありし日の面影はない。
気になった平屋建築。建物は古そうだが、全面塀に囲まれており、なんともいえない。
古風な銭湯。花街と銭湯の関係は、遊里と銭湯の関係ほどには密接でなかっただろう。
とはいえ、銭湯が花街のにぎわいに一役買っていたであろうことは想像にかたくない。
大震災殃死者追悼之碑。「大震災」は関東大震災を指す。
裏面の記された殃死者に花街関係者の名が含まれているかは不明。
遊廓→赤線
明治40年、新柳町の大火によりこの地へ移転。
昭和4年、業者数21、従業婦数159
昭和21年、業者数13、従業婦数57
以降、売春防止法施行まで存続した。
遊廓はこの近辺にあったという。奥は「日」の字のような整然とした区画になっているが、
遺構らしい遺構はまったくなく、それらしい建物が見られるのはむしろ後方。
入口が三つあるカフェー風の建物。中央の縦長の小窓がおもしろい。
外装はシンプルだが、カフェーの鑑札が残っていた。板で覆われた二階部分が気になる。
上記の右隣の物件。和風建築を改装したような造り。こちらにもカフェーの鑑札が。
気になった建物。相当リフォームされているが、丸窓や扇窓などが残っている。
不思議な外観。よく見ると丸窓も目につく。間取りはどうなっているのだろう。
大胆な石材の使い方に驚いたが、雰囲気から察すると単なる一般住宅かもしれない。
明治40年、新柳町の大火によりこの地へ移転。
昭和4年、業者数21、従業婦数159
昭和21年、業者数13、従業婦数57
以降、売春防止法施行まで存続した。
遊廓はこの近辺にあったという。奥は「日」の字のような整然とした区画になっているが、
遺構らしい遺構はまったくなく、それらしい建物が見られるのはむしろ後方。
入口が三つあるカフェー風の建物。中央の縦長の小窓がおもしろい。
外装はシンプルだが、カフェーの鑑札が残っていた。板で覆われた二階部分が気になる。
上記の右隣の物件。和風建築を改装したような造り。こちらにもカフェーの鑑札が。
気になった建物。相当リフォームされているが、丸窓や扇窓などが残っている。
不思議な外観。よく見ると丸窓も目につく。間取りはどうなっているのだろう。
大胆な石材の使い方に驚いたが、雰囲気から察すると単なる一般住宅かもしれない。
温泉街にできた遊里。
行政資料に記録がないことから、青線的な位置づけだったのではないかと思われるが、
真相は定かではない。
現地はいかにもひなびた温泉街といった風景。
こういうご時世だから、さすがに景気がよさそうには見えなかったものの、年配のグループ
や合宿とおぼしき学生たちなど、団体客がそれなりに来ているようだった。
入口のあたり。提灯が飾られている。
湯村温泉旅館協同組合。
カフェー風にも見えるが、かなり改装されており、実際はなんともいえない。
真っ赤な欄干が目を引く。奥の一軒だけのための橋にしては、その豪華さに驚かされる。
建物の淡い色彩とあいまって艶っぽいたたずまいだ。
温泉街から少し外れた住宅地に、妙に道路の広い一画がある。
ひょっとしたら昔は……と期待しつつ歩いたが、遊里の痕跡はまったくなかった。
バルコニーに特徴のあるスナック。遺構にしては新しすぎるか。
路地に入ると古い一軒家が残っていたりした。
行政資料に記録がないことから、青線的な位置づけだったのではないかと思われるが、
真相は定かではない。
現地はいかにもひなびた温泉街といった風景。
こういうご時世だから、さすがに景気がよさそうには見えなかったものの、年配のグループ
や合宿とおぼしき学生たちなど、団体客がそれなりに来ているようだった。
入口のあたり。提灯が飾られている。
湯村温泉旅館協同組合。
カフェー風にも見えるが、かなり改装されており、実際はなんともいえない。
真っ赤な欄干が目を引く。奥の一軒だけのための橋にしては、その豪華さに驚かされる。
建物の淡い色彩とあいまって艶っぽいたたずまいだ。
温泉街から少し外れた住宅地に、妙に道路の広い一画がある。
ひょっとしたら昔は……と期待しつつ歩いたが、遊里の痕跡はまったくなかった。
バルコニーに特徴のあるスナック。遺構にしては新しすぎるか。
路地に入ると古い一軒家が残っていたりした。