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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

夜の藤沢新地入口

2011年11月30日 21時00分00秒 | 日記・雑記
ちょっと立ち寄っただけなので、日記カテゴリにて。


アーチのある旧飲食店街。窓が壊れたりと、確実に傷みがひどくなっている。
人為的に取り壊されるより、自然に倒壊するほうが早いかもしれない。


その先は変化していないようだ。
しかし、こういう場所は、いつ突然なくなってしまってもおかしくない。
藤沢は、遊里跡初体験の地として愛着が大きいので、これからもなりゆきを見守りたい。

横浜 初音町~曙町~弥生町

2011年11月26日 14時00分00秒 | 風景・街

初音町にて。かつてはちょんの間だったと思われる集合店舗。
2005年の摘発以降、警官が頻繁に巡回しており、いまは健全な店になっているはず。

 
曙町の空き地にタイルの破片が散らばっていた。カフェー時代の残滓だろうか。

 
弥生町で見かけた古い飲み屋。いつごろの建物だろう。

久保山墓地

2011年11月26日 13時00分00秒 | 風景・街
遊女の墓碑があると聞いて訪問。


広大な墓地であることは地図を見て承知していたものの、実際に目のあたりにすると、
その規模に圧倒される。


この墓群を見せられては、さすがに探す気にならない。
もともと見つけるのは無理だろうと予想していたので、ショックはなかった。

横浜 井土ヶ谷

2011年11月26日 11時20分00秒 | ◇神奈川
花街(遊廓があったとする文献もあるが、真相は不明)
昭和21年、待合数11、置屋数19、芸妓数74

 
井土ヶ谷上町の五差路。正面が当時のメインストリートと思われる。
右の写真は五差路の脇にあった石柱。古そうに見えるが、花街と関係あるだろうか。

 
かつては見番だった町内会館。
かなり改修されてしまっているものの、玄関の造りから往時の雰囲気が感じ取れる。


町内会館のはす向かいにある平屋建て。こちらは芸妓置屋だったらしい。
現在は民家になっている模様。まだまだ残っていてくれそうで心強い。

 
貸座敷のあった場所。ありし日の面影はない。


気になった平屋建築。建物は古そうだが、全面塀に囲まれており、なんともいえない。


古風な銭湯。花街と銭湯の関係は、遊里と銭湯の関係ほどには密接でなかっただろう。
とはいえ、銭湯が花街のにぎわいに一役買っていたであろうことは想像にかたくない。

 
大震災殃死者追悼之碑。「大震災」は関東大震災を指す。
裏面の記された殃死者に花街関係者の名が含まれているかは不明。

甲府 若松町~東青沼町

2011年11月12日 14時00分00秒 | ◆甲信越
花街
明治42年、芸妓置屋の指定を受ける。
昭和4年ごろ、業者数70、芸妓数270

 
花街は濁川の南側にあった。


若松町の説明書き。昔町内にあった「若松劇場」が町名の由来といわれているようだ。


わずかに点在する料亭は花街のなごりだろうか。


青沼界隈の和楽器店。この店の歴史はわからないが、古くからこの地で商売を営んでき
た店だとしたら、往時は花街の御用達として繁盛していたのではないか、と勝手に空想。

 
古い建物二軒。遺構かと問われるとあまりピンとこないが、一応掲載。

 
奥のほうに丸窓が。正面は木が生い茂っていて、建物の様子は見えなかった。

甲府 穴切

2011年11月12日 11時00分00秒 | ◆甲信越
遊廓→赤線
明治40年、新柳町の大火によりこの地へ移転。
昭和4年、業者数21、従業婦数159
昭和21年、業者数13、従業婦数57
以降、売春防止法施行まで存続した。


遊廓はこの近辺にあったという。奥は「日」の字のような整然とした区画になっているが、
遺構らしい遺構はまったくなく、それらしい建物が見られるのはむしろ後方。


入口が三つあるカフェー風の建物。中央の縦長の小窓がおもしろい。

 
外装はシンプルだが、カフェーの鑑札が残っていた。板で覆われた二階部分が気になる。

 
上記の右隣の物件。和風建築を改装したような造り。こちらにもカフェーの鑑札が。

 
気になった建物。相当リフォームされているが、丸窓や扇窓などが残っている。

 
不思議な外観。よく見ると丸窓も目につく。間取りはどうなっているのだろう。


大胆な石材の使い方に驚いたが、雰囲気から察すると単なる一般住宅かもしれない。

甲府 湯村

2011年11月12日 09時50分00秒 | ◆甲信越
温泉街にできた遊里。
行政資料に記録がないことから、青線的な位置づけだったのではないかと思われるが、
真相は定かではない。

現地はいかにもひなびた温泉街といった風景。
こういうご時世だから、さすがに景気がよさそうには見えなかったものの、年配のグループ
や合宿とおぼしき学生たちなど、団体客がそれなりに来ているようだった。


入口のあたり。提灯が飾られている。


湯村温泉旅館協同組合。


カフェー風にも見えるが、かなり改装されており、実際はなんともいえない。


真っ赤な欄干が目を引く。奥の一軒だけのための橋にしては、その豪華さに驚かされる。
建物の淡い色彩とあいまって艶っぽいたたずまいだ。

 
温泉街から少し外れた住宅地に、妙に道路の広い一画がある。
ひょっとしたら昔は……と期待しつつ歩いたが、遊里の痕跡はまったくなかった。


バルコニーに特徴のあるスナック。遺構にしては新しすぎるか。


路地に入ると古い一軒家が残っていたりした。

法性山 玄法院

2011年11月12日 09時20分00秒 | ◆甲信越
新柳町遊廓(穴切新地の前身)ゆかりの寺。


山門。非常につつましい看板。


剣のモニュメントが印象的。剣と寺(仏教)の取り合わせはめずらしいような気がする。


手水石。裏側に「新柳町」の名、そして発起人と世話人の名前が連なっている。


狛犬と灯籠。壊れたからなのか、狛犬の台座や灯籠の火袋などが造りかえられている。


灯籠に「芸妓中」と刻まれている。金沢でも見かけたが、「中」の意味がわからない。


灯籠の裏側。上が屋号、下が芸妓名だろう。