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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

横須賀 皆ヶ作

2009年07月20日 15時45分00秒 | ◇神奈川
私娼街→RAA施設→赤線
昭和20年末、業者数45、従業婦数97
昭和31年4月、業者数45、従業婦数1250


錆びる前は明るい緑色だったであろう建物。


ユニークなライオンの彫刻(?)が迎えてくれる。


均等に並んだアーチ窓が特徴の、まさしく城のようなカフェー建築。
1階のアーチ型のくぼみは何だろうか。


こちらもアーチ窓が印象的。入口もアーチ状だ。
入口が隣り合って2つ。客を招き入れやすくするための工夫だろう。
2階にも階段伝いの入口があるが、こちらは後から壁を打ち抜いて
改築したもののように見える。


とある和風建築の玄関脇。非常に凝った茄子形のくり抜き窓。

平塚

2009年07月05日 12時45分00秒 | ◇神奈川
飯盛旅籠→遊廓→明治36年移転→RAA施設→赤線
明治29年、業者数12、娼妓数40、芸妓数12
昭和5年、業者数12、娼妓数120
昭和31年4月、業者数13、従業婦数48

前回は見当違いなところを歩いてしまったので(記事はこちら)、
今度は下調べのうえ訪問。


相模楼の稲荷社。新築の住宅と建築中の建物の間に健在。
よくぞ残してくださった。


旅館ウロコ。かつての妓楼「鱗屋」の転業旅館だろうか?


旅館きみの。既に営業している様子はない。
「きみの」という名前は当時の資料に見当たらないが、
人目を避けるような入口に雰囲気がある。