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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

川崎 南町

2009年06月21日 06時00分00秒 | ◇神奈川
飯盛旅籠→遊廓→赤線
昭和5年、業者数19、娼妓数190
昭和31年4月、業者数110、従業婦数525
現役の風俗街

小雨が降っていたので早めに退散した。
今回は、角度によって表情が異なる2軒をピックアップ。


1軒目。左右に入口があり、中央を境に壁の色が塗り分けられている。


1枚目の建物の左側。どっしりとした内包型のバルコニー。
こちら側にも入口が1つ見つかった。


そして2軒目。
肌色に塗られた部分は、かつてタイル張りだったと思われる。


左側から。黒塀で隠れた部分には和風な造りの玄関がある。

横浜 新天地

2009年06月14日 15時00分00秒 | ◇神奈川
私娼街→RAA施設→カフェー街(赤線か青線かは不明)
昭和20年末、業者数19、従業婦数30
昭和26年9月、業者数23、従業婦数82
昭和31年4月、業者数26、従業婦数102


稲荷神社。玉垣にはカフェーの屋号がずらり。
境内は綺麗に清掃されている。どなたかが管理しているのだろう。


屋号を数えてみると26軒だった。昭和31年の業者数と一致している。
この神社の設立は昭和30年1月。


旅荘笹本。玉垣に「笹本」の名前があったから、屋号を継承した転業旅館だろう。
軒下にはこぢんまりとした豆タイルが並んでいる。


変わった外観の建物。あまり妓楼のようには見えないが、妙に惹かれた。


右側に進むと、渡り廊下を介して、トタン張りの二階建てにつながっていた。

厚木 寿町

2009年06月13日 13時40分00秒 | ◇神奈川
かつての花街。
昭和21年2月、業者数34、芸妓数65


花街らしい華やかさを持つ建物。玄関まわりはタイル張りになっている。


「鈴木」という屋号。中央は家紋だろう。


現在は一般住宅として利用されている模様。


その名も「花街」。土地柄を意識したネーミングなのだろうか。

横浜 鶴見入船

2009年06月03日 19時00分00秒 | ◇神奈川
私娼街→RAA施設→カフェー街(赤線か青線かは不明)
昭和20年末、業者数28、従業婦数30
昭和26年9月、業者数17、従業婦数58
昭和31年4月、業者数52、従業婦数180

空が暗くなりかけており、急かされるようにシャッターを切った。


一目瞭然のカフェー建築。緑色のタイルが存在感を示す。
居酒屋の袖看板が突き出ているが、現役の雰囲気はあまり感じられない。


和洋ごっちゃになったような建物。
いまは普通の住宅として活躍しているようだ。


この後まもなく何軒かの店が明かりをともし、営業をはじめた。