M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

舞鶴 竜宮

2012年11月24日 12時30分00秒 | ◇京都
昭和2年ごろ、業者数34、娼妓数205
昭和5年ごろ、業者数46、娼妓数350


中央に植え込みが設けられた目抜き通り。




 
玄関の赤い壁が気になった。


新しい住宅に古い灯籠が二基。その来し方に想像(妄想)が広がる。

 
ファサードを洋風に改装した建物。奥行きに驚かされる。




宮津 新浜 ~拾遺編~

2012年11月24日 09時00分00秒 | ◇京都
新浜についてもう少し。

 
見返りの柳。説明文がかすれ、ところどころ読み取れなかった。


「二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空になる 丹後の宮津でピンと出した」
宮津節の一節が刻まれている。


別の場所で見つけた宮津節の解説。


歌舞練場(検番)の説明。

福知山 猪崎

2012年11月23日 15時30分00秒 | ◇京都
明治31年、下柳町より移転
昭和2年ごろ、業者数24、娼妓数127
昭和5年ごろ、業者数78、娼妓数260

 
二棟あるように見えるが、じつは連続している。


波を描く四枚引き戸が目を引く。

 







 
一見洋風のようでいて、反対側に回ると和風の装いが現れる。

八幡 橋本 ~拾遺編~

2012年01月07日 16時30分00秒 | ◇京都
もう少し橋本を紹介。

 
ビニールシートに覆われた建物。どうやら一部が崩れてしまったらしい。
横からのぞくと、凝った造りの玄関が。まもなく取り壊されると思うと残念でならない。

 
上の建物の行く末を示すような空き地。地面にはタイルが残っている。
遺構の少ない地域なら、こういう残留物でもうれしくなるが、ここでは寂しさが先に立つ。


大谷川越しに遺構の裏手を望む。すぐ西(写真でいうと左方)には淀川が流れている。
昔は、淀川を舟で渡ってきた遊客が、こちらからも店に上がれるよう整備していたという。

 
裏手から見た時、特に目を引くのがこちら。丸窓、ステンドグラス、二階の手すりが特徴。
こちら側を客に見られることを充分に意識したデザインといえる。

 
[左]橋げたの跡。
[右]対岸からの様子。かつてはこの位置から淀川を望むことができたのかもしれない。


新築の家の庭先に古そうな灯籠を発見。往時は川べりを照らしていたのだろうか。
よく見ると、この支柱は伸縮式のようだ。それほど年代物ではないような気がしてきた。


現役のレトロな銭湯、橋本湯。
何枚か写真を撮っていたら、ご主人とおぼしき方に声をかけられた。
現在放映中の『のど黒飴』のコマーシャルのロケに、橋本湯が使われているそうだ。
ネットでも視聴できるとうかがい、帰宅後さっそくチェックすると、おおっ、まさしく橋本湯。
いい映像を見ることができ、ご主人に感謝。

八幡 橋本(2)

2012年01月07日 15時30分00秒 | ◇京都
ひきつづき橋本を歩く。幸い、雨はあがっている。


ほぼ茶系統ながら華やかな雰囲気をまとう建物。一階と二階の欄間の対比が印象深い。
植え込みの後ろには隠れた出格子が。こういう太い格子は橋本で多数見られた。

 
[左]この間口でこの奥行き。正面から見ただけではわからない懐の深さに驚かされる。
[右]新旧の防火設備が並ぶ。防火水槽には「榮樓」の屋号。末長く残っていてほしい。

 
一階壁面のタイルが見事だが、これは近年新しく貼られた可能性もあるか。
床の亀甲タイルは往年のものだろう。不規則に散らばめられた色タイルがアクセントに。


スタイリッシュな窓がずらりと並んだ二階。まるで鏡台が連なっているように見える。

 
[左]擬宝珠の高欄、彫刻欄間、鮮やかなタイル。この小規模で懲り方が半端ではない。
[右]軒天井に市松模様を仕込む徹底ぶり。一の字つなぎの格子なんてはじめて見た。

 
[左]いろいろなタイルが用いられている。とりわけ床の独特な模様が印象に残った。
[右]格子とタイルがカーブを描く。こういうきれいなカーブは技術的に相当難しいという。

 
かなり改修されているものの、丸太を並べた装飾は昔のままと思われる。
手前のへこみをのぞくと色鮮やかなタイルが。それにしても、このへこみはなんだろうか。