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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

藤沢

2009年04月12日 15時00分00秒 | ◇神奈川
遊廓→RAA施設→赤線
昭和5年、業者数10、娼妓数50
昭和31年4月、業者数17、従業婦数108
規模は小さいが現役の風俗街

じつに18年ぶりの訪問である。詳しくは後述。


木製のアーチ、奥へつづく長屋。いつまでこの姿を保ってくれるか。


内側から。一説によるとここは青線だったらしいが、真相は不明。


軒下にこんな袖看板が。
この裏側には花の蜜を吸う蝶の絵があったはずなのだが、
壊れたのか壊されたのか、跡形もなくなっていた。


長屋を通過し、さらに奥へ進むと、旅館や飲み屋が並ぶ通りに出る。
このあたりが赤線街だった場所。


円柱のタイルを持つ旅館。カフェーからの転業旅館だろう。

ここから過去を振り返る。
あれはおそらく1991年。気の向くままに散歩していて、この一帯に迷い込んだ経験がある。
そこには異世界が広がっていた。
立ち並ぶ風俗店。荒れ果てた建物。昼間からたむろする柄の悪い面々。すさんだ空気。
ほんの1分前まで歩いていた銀座通りの健康的な雰囲気とのギャップに度肝を抜かれた。
引き返すのも不自然なので、ただの通行人ですよという顔をして足早に通り過ぎる。
風俗店の客引きに声をかけられたような気もするが、よく覚えていない。
思い返せば、あそこが昔から春をひさぐ場所だったのだと理解できる。
しかし、当時は混乱しかなかった。

そして今日、18年ぶりの再訪になった。
いまでも多少は怪しげな旅館や寂れた風俗店が残っているとはいえ、
周囲にはマンションが屹立し、明らかにかつての異様な光景から一変している。
現在マンションが建っている場所にも、以前は同じような店が並んでいたことだろう。
――もっとよく観察しておけばよかったなあ。
当時を振り返り、そう思う。
しかし、あのころは遊里の知識も興味もまったくなかったので、それは無理な相談だ。
いまだからこそできる後悔である。