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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

北千住

2011年01月22日 16時55分00秒 | ◇東京
千住遊廓→大正13年現在地に移転→赤線
赤線時代には「柳新地」と呼ばれていた。
昭和5年ごろ、業者数53、娼妓数330
昭和26年5月、業者数47、従業婦数141
昭和27年7月、業者数52、従業婦数221

空が暗くなりかけていたため足早な探索になってしまったが、
確たる遺構はもはや一つだけのようだ。


その唯一と思われる遺構。
丸みを帯びつつ、ごてごてした意匠は、カフェー建築の特徴の一つ。


奥まった入口もカフェーによく見られる。


NTTの標識名に驚愕。「廓」と漢字で書かれた標識もあった。

立石

2011年01月22日 15時20分00秒 | ◇東京
戦中、亀戸からの戦災移転組で形成→RAA施設→赤線
昭和26年5月、業者数53、従業婦数130
昭和27年7月、業者数51、従業婦数121


複数の入口はカフェーによくある特徴だが、配置が変わっている。
間取りはどのようになっているのだろうか。


上塗りされているが、庇のカーブや円柱の造形はカフェーそのもの。
円柱の塗装がはげ落ちた部分からは、褐色の豆タイルがのぞいている。


ずんぐりした外観の建物。

新小岩

2011年01月22日 13時00分00秒 | ◇東京
戦後、亀戸からの移転組で形成された赤線地帯。通称「丸健」。
昭和26年5月、業者数76、従業婦数142
昭和27年7月、業者数79、従業婦数188


路地に古い居酒屋がひしめき合う。


軒のカーブがカフェーらしい趣向。奥の入口も気になった。


4軒の家が合体したかのような長屋。屋根を見ると1軒であることがわかる。
一番左の「くりや」に、若干カフェー建築を思わせるアールが見られる。


一見カフェーっぽい外観だが、ちょっとスマートすぎて断定はためらう。
理容店のようにも見える。

亀戸

2011年01月22日 11時15分00秒 | ◇東京
亀戸天神の近辺が料亭街。その北側一帯が私娼街から赤線へ。
昭和26年5月、業者数72、従業婦数300
昭和27年7月、業者数92、従業婦数307


亀三天神町会々館。かつては見番だったという。


料亭「寿々代」。現役で営業しているようだ。


元料亭と思われる建物。堂々たるたたずまい。
それにしても、白壁がまぶしい建物がつづいている。日差しのせいもあるが。


亀戸に唯一残存するカフェー建築。
定番のタイルやアーチ窓、入口が2つあることなどがポイント。

湯河原

2011年01月09日 14時00分00秒 | ◇神奈川
住所は静岡県熱海市泉五軒町。
通称「ペン街」。


白一色の建物。
庇のカーブや円柱のタイルなど、特徴は充分あるのに、色のせいか妙な清潔感がある。
カフェーと断定するのは留保。


和風建築。左側(家屋中央)の入口がメインの玄関だと思われるが、
右側の入口のほうが開口部が大きいのがおもしろい。


椿寺の灯籠。


灯籠の裏側。女中と芸妓が並んでいるのはなかなか見ないのではないだろうか。
「紀元2596年」は昭和11年(1936年)にあたる。