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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

栄・新栄・代官町・泉・上前津・御器所・熱田

2018年12月23日 08時00分00秒 | ◇愛知
名古屋市内を日帰りであちこちめぐった。
そのなかには、遊里とまったく関係のない地域もあると思う。

栄と泉と熱田は再訪。
泉はかつて吾妻連という花街だったが、
建物がずいぶん減ってしまっているように感じた。

名古屋・刈谷

2015年04月02日 06時00分00秒 | ◇愛知
愛知遠征二日目。最終日。
名古屋では、青線跡といわれる場所や古い飲み屋街を見て回った。
このころは名古屋に力を入れていたことを覚えている。

刈谷では、刈谷市駅にほど近いかつての飲み屋街を訪れたが、
途中でカメラのバッテリーが切れてしまった。
いずれ再訪しなくては。

春日井 道風荘

2012年03月31日 12時00分00秒 | ◇愛知
赤線(戦前は不明)
業者4~5軒、娼妓10名程度の小規模な赤線だったらしい。

最近、雨天にぶつかることが多く、今日も朝から雨が降っている。
傘を差しながらの撮影には慣れてきたものの、時間がかかるのはなんともしがたい。


中央本線沿いの道路に古いアパートが三棟並ぶ。それぞれ気になる特徴がある。

 
右半分が奇妙な印象を受ける構造。右へ回りこむと、その奇妙さが際立つ。
板で覆われた部分はどうなっているのだろう。

 
この三棟に共通するのは、「入口が二つ」「玄関脇に不思議な小窓がある」の二点。
写真の物件には、唯一当時のままとおぼしき玄関も残っている。


独特な雰囲気がただよっているように感じるのは気のせいだろうか。

 
帯状に塗装された妖しげな赤色。赤という色の持つ力を実感させられる。
建物の側面を見ると、窓の手すりも赤く塗られている。風変わりな出窓もおもしろい。


裏手から撮影。二階にも出入り口が設けられている。
かつてはこちら側も、遊客用の入口として機能していたのだろうか。

安城 陽貴園ほか

2011年12月10日 10時30分00秒 | ◇愛知
「陽貴園」は赤線時代の名称。ごく小さな遊里だったらしいが、詳しいなりたちは不明。
どちらかというと花街の色のほうが濃い町だったのかもしれない。
昭和30年、業者数3、従業婦数10

なお、花街はいまも現役で、安城芸妓文化振興会がホームページを設けている。


細い路地に古い旅館が残っていた。転業旅館だろうか。
よく見ると気になる造形をしているのだが、トタン張りになっていてよくわからない。

 
白壁となまこ壁のコントラストが目を引く。右手の門には料理店の鑑札が残っていた。


黒ずんだ板張りが渋い和風建築。派手さこそないものの、桟の造作に工夫が見られる。


地図には安城芸妓寮組合とある。見番のような役割はないようだ。


置屋の一つ。客の前ではけっして見せることのない、質素な経営姿勢がうかがえる。

 
料亭やスナックの並ぶ通り。夜になれば、昼とはまた違った表情を見せるのだろうか。


古そうな料亭。もう少し近寄ってみたかったが、店の方がいらしたので遠慮した。

碧南 衣浦荘

2011年08月27日 14時50分00秒 | ◇愛知
遊廓→RAA施設→赤線
花街と混在していた遊里。さらには射的場や雀荘といった娯楽施設が加わって
一大歓楽街を形成していた。
昭和30年、業者数15、従業婦数59


新川町駅から歩いていくと、まず目に入るのがこの建物。全体が薄赤色をしている。
以前は二階の角に「旅館八千久」と書かれた袖看板がかかっていた。

 
華やかな赤壁の和風建築。くすんだ木材の色と調和して、落ち着いた雰囲気さえ持つ。
一階の引っ込んだ部分に、だ円形とひし形の飾り窓が見られる。

 
転業旅館(ホテル)だろう。当時の記録に「鈴本」の屋号が載っている。「翠扇」は不明。

 
右隣の建物と渡り廊下を介してつながっている建物。
腰まわりには独特のデザインがあしらわれている。これは車輪だろうか。


カーブ面の窓の造作が見事。「鱗窓」と表現している記事を見つけ、なるほどと納得。


鱗窓の右側壁面に判読不能の文字。「文首」「文並」「文善」……わからない。

 
「寸楽」の看板と駐車場。可憐なぼんぼりがかつてのきらびやかな時代を感じさせる。
建物は数年前に解体されてしまったらしい。

岡崎 昭和園

2011年08月27日 11時00分00秒 | ◇愛知
遊廓→赤線
城下町かつ東海道の宿場として栄えた土地柄に由来。戦後は赤線となる。
昭和30年、業者数46、従業婦数238

 
かなりの奥行き。玄関の欄間に屋号の彫り抜きが施されているが、判読できなかった。

 
現役とおぼしき料亭。料理店の鑑札と十八歳未満お断りのプレートが玄関に残る。

 
「五月」という名前の店だったようだ。壁面にカタカナで刻まれた屋号がユニーク。


完全に和風であるにもかかわらず、どことなくカフェー風の雰囲気がただよう。


裏手から。軒下に残る照明が普通の住宅ではないことを物語っている。


路地裏に健在の木造建築。欄干や電球といったパーツから往年の姿が偲ばれる。

 
類似の和風建築が数多く残る中、この建物は多彩な工夫で抜き出ていた。
桟と図案にひと工夫のある玄関や、彫り抜きと松皮菱が魅力の通用門が見どころ。

花岡神社

2011年08月14日 15時50分00秒 | ◇愛知
花岡園ゆかりの神社。



 
鳥居の裏側に屋号と楼主名が刻まれている。「眞澄連」というのは当時の組合だろうか。
そういえば、先ほど遺構とおぼしき玄関で、「マスミ会」という古いプレートを見かけた。

 
狛犬の台座にも同様の刻銘。

一宮 花岡園 ~拾遺編~

2011年08月14日 15時40分00秒 | ◇愛知
花岡園とその周辺を余録的に。

 
遊里につきものの銭湯。このあたりでは2軒見つかった。


小規模とはいえ、現在も風俗街としての顔を持つ花岡園。
店によっては遺構をリフォームして利用しているところもあるかもしれない。


ユーモラスな外観をした居酒屋。窓や装飾がほぼ左右対称。松葉散らしが印象的だ。

忘れてはならないのが、遊廓(赤線)より西側に分布した料亭街である。
現在も大江川に沿って、花街らしい面影をそこかしこに残している。

 
料亭菊水。じつに豪壮なたたずまいだが、残念ながら往時の建物ではない。

 
寶樂(宝楽)。こちらもかなりの大店。左右でまったく異なる外観を見せる。

 
荒れ放題だが、ただの廃墟とは思えない。ハート形の鉄格子など手が込んでいる。

一宮 花岡園

2011年08月14日 15時30分00秒 | ◇愛知
遊廓→赤線
泉1丁目あたりが花街、泉2丁目あたりが遊廓として栄えた。
昭和30年、業者数26、従業婦数120
現役の風俗街でもある。

 
泉2丁目界隈。転業旅館とおぼしき建物が目立つ。

 
こちらも転業旅館だろう。奥深い玄関口がいわくありげな雰囲気。


屹立する石柱群が異様。そこだけ日本ではないような光景だ。


旅館や飲み屋が集まる一画。手前は駐車場、奥は花岡神社。


やや荒れ気味の和風建築。今後が心配。


一見なんということのない木造建築だが、よく見ると一階の鉄格子に矢印状の突起が。
単なるデザインだろうか。塀に覆われていて全体を確められないのが残念。

 
遺構らしい遺構が少ない中、カフェーらしい特徴が出ている一軒。
入口に「栄楽」の屋号と装飾が現存。塗装された軒先や縁にタイルの凹凸が見て取れる。

名古屋 港陽園

2011年08月13日 16時00分00秒 | ◇愛知
遊廓(稲永)→移転(港陽)→赤線
名前からも想像できるとおり、港町に栄えた遊里。「港陽」は現町名でもある。
昭和30年ごろ、業者数47、従業婦数220

 
旧・かもめ(現・かもめアパート)。赤を基調としたじつにカラフルなカフェー建築。
玄関の欄間を見ると当時の屋号がそのままになっている。


このタイル張り。よくぞ残っていてくれた。


入口が3つある建物。地図で見ると逆L字型をしている。
緑色でまとめられた一階屋根から二階壁面と、赤い二階屋根のコントラストが美しい。

 
一階部分もおもしろい。黒と薄茶のタイル、さらに塗装の下から緑のタイルがのぞく。


トタン板で覆われているが、その造りから遺構の可能性が高いと思われる。


なんとなく気になる外観をした建物。遺構かそうでないかは微妙か。