遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数110
連歌町跡の標柱。「葦平文学散歩」とある。
火野葦平は若松出身の小説家だが、遊廓とのかかわりはつかめなかった。
表の通りには何も残っていないようなので、路地に重点をおいて探索。
さっそくカフェーを思わせる建築物が現れた。奥に引っ込んだ入口が意味ありげに映る。
カーブを描く入口。こういった曲面に石材をあしらうのは非常に難しいと思われる。
建物全体の装いも見てみたかったが、残念ながら白いトタンに覆われてしまっていた。
和風建築をリフォームしたとおぼしき現役のそば屋。
平側のモルタル様の外壁は明らかにリフォームの結果と思われるが、その意図は不明。
小料理屋だろうか。手作り感のあふれる壁面装飾や擬木など、全体的にチープな印象。
とはいえ、結果的に記憶に残る外観に仕上がっているのだから、狙いは成功だろう。
中川通りを挟んだ向かい側。こちらにも往年の歓楽街を偲ばせる光景が広がっていた。
若戸大橋口交差点の近くで、「銘酒街」と記された電柱プレートを発見。これにはびっくり。
「銘酒屋街」じゃないぞ、と頭を冷やしつつ周辺を探る。正体は飲み屋の集合店舗だった。
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数110
連歌町跡の標柱。「葦平文学散歩」とある。
火野葦平は若松出身の小説家だが、遊廓とのかかわりはつかめなかった。
表の通りには何も残っていないようなので、路地に重点をおいて探索。
さっそくカフェーを思わせる建築物が現れた。奥に引っ込んだ入口が意味ありげに映る。
カーブを描く入口。こういった曲面に石材をあしらうのは非常に難しいと思われる。
建物全体の装いも見てみたかったが、残念ながら白いトタンに覆われてしまっていた。
和風建築をリフォームしたとおぼしき現役のそば屋。
平側のモルタル様の外壁は明らかにリフォームの結果と思われるが、その意図は不明。
小料理屋だろうか。手作り感のあふれる壁面装飾や擬木など、全体的にチープな印象。
とはいえ、結果的に記憶に残る外観に仕上がっているのだから、狙いは成功だろう。
中川通りを挟んだ向かい側。こちらにも往年の歓楽街を偲ばせる光景が広がっていた。
若戸大橋口交差点の近くで、「銘酒街」と記された電柱プレートを発見。これにはびっくり。
「銘酒屋街」じゃないぞ、と頭を冷やしつつ周辺を探る。正体は飲み屋の集合店舗だった。
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