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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

あれから十年

2017年05月01日 00時00分00秒 | 日記・雑記
2009年4月12日。はじめて遊里跡を訪れた日である。
あの日から十年の歳月が経過した。
遊里探訪という趣味に目覚めて十年ということでもある。

振り返ってみると、この十年で、全国の遺構の数々が失われていった。
十年前は、もっと早くこの趣味に目覚めていればと悔やんだものだったが、
いまと比較すればまだまだ残っていた。
はじめて訪ねた遊里跡である藤沢新地は、この十年ですっかりその姿を変え、
遊里らしい面影はいまにも消え失せようとしている。

この趣味の者としては寂しいことだが、遺構が増えることはけっしてない。
年々減っていくだけ。そういう一方通行の運命にある。
これからも遺構は着実に姿を消し、各地で遊里跡の風化が進んでいくことだろう。
そうなるのを承知の上で、できるだけ多くの遊里跡を探訪したい。

はたして十年後はどうなっているだろうか。

2019年4月12日記

メモ的な

2013年07月14日 00時00分00秒 | 日記・雑記
すっかり更新が滞ってしまっている。
遊里探訪は、頻度を減らしながらも継続しているのだが、
ブログのほうはさっぱりになってしまった。

再開する気力も時間もないものの、どこそこに行ったというような
メモ的な記録くらいはつけておこうかという気になった。
もし将来、ブログを再開するようなことがあったとしたら、
残したメモがその足がかりくらいにはなるかもしれない。

(2018年3月5日 記)

地震と寝台列車

2013年06月08日 20時30分00秒 | 日記・雑記
16時17分ごろと20時39分ごろ、和歌山県北部で震度4の地震が連続して発生。
その影響で、電車の運転見合わせや遅延が相次いだ。

乗車していた特急くろしお30号も、徐行や一時停止をくり返す。


21時09分、電車は停車中。二度の地震でJRも慎重になっているようす。
しかしこの調子だと、最終の新幹線に間に合わない。


21時50分ごろ、新大阪駅に到着。予定では19時51分着だった。
帰りの新幹線はすでにない。

調べたところ、寝台特急・サンライズ瀬戸を使って帰る手がある。
問題は、空席があるかどうか。
人気の列車らしいし、地震の影響で飛び込みの利用客が増えていそうだ。
窓口で新幹線料金の払い戻しを受けつつ、空き状況を尋ねる。
「大丈夫、ありますよ」と係員。助かった。

乗車券を購入し、大阪駅へ移動。
いったん駅の外に出て、2時間ほど時間をつぶす。

 
翌0時25分、駅ホームへ。
サンライズ瀬戸に乗るのははじめて。というより寝台列車自体がはじめて。


0時32分、列車到着。鉄道ファンだろうか、外国人が熱心に動画を撮っている。


0時35分、室内へ。狭いながらも快適に過ごせそうだ。

身体は疲れていたが、しばらくの間は眠らず、外を流れる夜景を眺めていた。
ふだん日常的に見られる夜景も、照明を消した車内から見ると、また違った趣がある。


5時41分、まもなく熱海駅。


5時43分、熱海駅下車。

突発的にして人生初の寝台列車だったが、思いのほか気に入った。
今度は計画的に、高松や出雲に遠征するときにでも利用したい。

福知山マラソン

2012年11月23日 16時30分00秒 | 日記・雑記
由良川の橋を渡っていくと、対岸に異様な光景が広がっていた。


おびただしい数の車、車、車。


いったい何事だろうか。


これだ。福知山マラソンの開催日だったらしい。

大会を終えて帰るランナーの中には、猪崎の町内を通過していく人もちらほら。
猪崎の古い街並みは、遊里に興味のない人にもなにか訴えるものがあるようだ。
興味深げにあたりを見回す人がいたりして、なんだかおもしろかった。

豪雨と閉店

2012年10月07日 11時40分00秒 | 日記・雑記

レンタルした自転車でラーメン店に向かっていたら、突然の激しい雨。
傘は用意していたものの、とてもそれだけでは間に合わず、しばし軒先を借りて雨宿り。
幸い、雨はそれほど待たずにやんでくれた。

さあ、ラーメンだ!
意気ごんで店を目指す。
しかし、目的のラーメン店は店をたたんでしまっていた。
帰宅してから調べたら、つい最近の閉業だったようだ。

天候と閉業に文句をいってもしかたないけれど、なんてこった。

再開

2012年10月06日 08時30分00秒 | 日記・雑記
投稿が途絶えて1年以上。
あまりにもブランクが開きすぎてしまった。

探索はいまでもつづけているので、トピックは充分ある。

遊里情報やキャプションは省略して、写真の投稿だけでも再開したい。
(2014年7月8日 記)

米子灘町 一時撤退

2012年07月15日 08時00分00秒 | 日記・雑記
写真を撮っていると、あちこちの邸宅から住人が出てきて、道路の掃除をはじめた。
どうやら町内一斉清掃の時間らしい。
のんびり撮影できる雰囲気ではないので、いったん引き返し、先に朝日町を回ることに。


メインストリート。


現在は花園町という町名に変わっている。

 
何点か撮影したところで、だんだん掃除をする方の数が増えてきた。
探索を中止し、裏手へ回る。


裏手の様子。


メインストリートの反対側を通過して離脱。朝日町へ向かう。

富士 吉原

2012年04月01日 18時00分00秒 | 日記・雑記
掛川の次は、藤枝を訪れる予定だったが、足が痛く、泣く泣く断念。
帰りの電車の中で悶々としていると、電車はやがて吉原駅に到着した。
「静岡の吉原か。そういえば、ここにも宿場由来の遊里があったな」
恥ずかしながら、この記事を書いた時には、ないと勘違いしていた。
遊里が存在したとなると、歩いてみたくなってくる。駅の周辺くらいなら足も大丈夫だろう。
「いや、しかしなあ」
なんの下調べもしていないのは厳しい。適当に歩き回って、偶然見つかるとも思えない。
「やっぱり、今日はやめておこう」
と思ったその時、建物と建物のあいだから、気になる和風建築が目に入った。
即座に立ち上がり、電車を降りる。迷っていたら電車は出発していただろう。


正面が当の物件。駅の南側。電車内からはもっと隠れたかたちで見えていた。

 
駅周辺のビジネスホテル。やはりこのあたりに宿場があったのでは、と期待が高まる。


夕焼けを一枚。太陽はすでに山の向こうで、あまりのんびりしていられない。

 
目的の物件に到着。残念ながら、これは違ったようだ。
駅から見た時は、もっと道路に近接した建物を想像していた。

 
あてが外れたので、代償を求めて適当にシャッターを押す。


振り向くと富士山が。そういえば、富士山の周辺にもいくつか遊里跡がある。


黒露墓と書かれている。墓というより供養塔のような雰囲気。

 
古い和風建築が現れた。以前は旅館だったのかもしれない。

後で調べたら、吉原の遊里は、吉原駅から北西へ2キロほどの吉原本町にあったらしい。
今回歩いたのは、まったく見当違いの場所だったことになる。
とはいえ、ぶらぶらしながら適当に写真を撮っていたら、案外それがおもしろくなってきて、
藤枝へ行けなかった不満は徐々に薄らいでいった。
そういう意味では、下車して正解だったといえる。

探訪終了

2012年01月01日 14時30分00秒 | 日記・雑記
帰りの電車までもう少し時間がある。
島原まで足を伸ばすという選択もあったものの、カメラのバッテリーがピンチのうえ、
ゆっくり見るほどの時間はないので、またの機会に。
大晦日と元日を費やしての遠征だったが、来たかいがあった。


写真は高瀬川。


冬は殺風景ぎみ。春や夏に訪れたほうが風情があるかもしれない。