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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

北九州小倉 三本松

2012年04月28日 18時30分00秒 | ◇福岡
赤線
渡辺寛『よるの女性街・全国案内版』(昭和30年発行)によると、「三本松・大正町界隈に
50軒、170名」とある。三本松は現在の古船場町、大正町は現在の馬借。

細い路地まで入念に探索したものの、これといった遺構は残っていないようだった。


古船場町と紺屋町に挟まれた通り。にぎわうのは夜になってからだろう。

 
この間口で、この入口の数には驚かされる。左端の入口だけ洋風にアレンジされている。
二階の欄干は、ところどころパーツが欠落しているようだが、ユニークな配列だ。


風変わりな建物。看板に「男性クリニック」とあるが、風俗店なのだろうか。

 
年季を感じさせる看板建築。入口が多い。店舗兼住宅と思われる。

 
車が一台通れるくらいの路地に、レトロな木造建築が向かい合う一画があった。
娼家を思わせるような艶っぽいムードはないが、その風情に惹かれてカメラを向けた。

 
上記の路地からもう一軒。玄関が多少凝っているとはいえ、何かの店という趣ではない。


川沿いのラブホテル。赤線とのつながりはあるのだろうか。

新旦過街

2012年04月28日 18時00分00秒 | 風景・街
「ぬけられます」状態の飲み屋街。


この写真を撮った時点では、路地の飲み屋街くらいに思っていた。


先が見えない。奥に「通り抜け出来ます」と書かれた看板が。


まだ先が見えない。


「え」は誤りだが、とぼけた味わいがある。


ようやく外へ。
地図だと単純に見えるが、実際に歩くと、複雑に入り組んでいるように感じた。

北九州門司 新町

2012年04月28日 16時00分00秒 | ◇福岡
赤線
昭和30年ごろ、妓楼数6、娼妓数不明


新町という地名は消滅したが、電柱のプレートにその名を見ることができる。

 
[左]竪板張りと白漆喰が映える。右隣にも最近まで遺構があったのだが。無念。
[右]反対側から。裏口なのか勝手口なのか、質素な装い。側面には丸窓が見られる。


カフェー調のファサードを持つ建物が路地に三棟。道幅が狭く、アングルに苦労した。

 
[左]上記三棟のもっとも手前。モザイクタイルが白眉。妖しげな赤電球は当時のものか。
[右]三棟の奥側。女体をモチーフにしたくり抜きの意匠は、ほかに例のない逸品だ。

 
三棟の反対側。和風だったり三階建てだったりと、表情がまったく異なるのがおもしろい。
広い道路に面しているのはこちらだが、遊里という視点で考えると、表口は逆側だろう。


窓や欄干に工夫がうかがえる和風建築。一階の青い壁がアクセントになっている。
手前の鉄柱も味わい深い。さび方から推測すると、やはり往時のなごりであろうか。

 
当時の流行だったのか、この界隈では、二重庇を持つ建物をあちこちで見かけた。
一階に目を転じると、親子式の出格子にひし形の連続模様という独特の組み合わせが。

北九州門司 馬場

2012年04月28日 15時00分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線
明治27年開設
昭和5年ごろ、業者数15、娼妓数150
昭和30年、業者数18、娼妓数67


電柱を見上げると、プレートに馬場の名前が残っていた。
「馬場」の由来は不明。ありし日の地名なのか、はたまた遊廓固有の名前なのか。

 
複雑な構造をした建物。相当改築されているようで、当初の姿を想像するのは難しい。
玄関まわりは小料理屋風の装い。巴瓦を見ると、鷹と松のレリーフが施されている。


年代ものの木造建築が建ち並ぶ。かなり直されているが、当時から建物と思われる。
右奥にはラブホテルが見える。このホテルもまた、遊里の残照のひとすじだろうか。

 
解体中の物件。遺構かどうかは、さらっと見た感じでは微妙なところか。
もう少し時間をかけて観察したかったが、作業の邪魔になるので、早々に切り上げる。


フォルムが気になりカメラを向けたが、あらためて見ると、見当違いだった気もする。
どれもこれもが遺構のように思えてしまうのは、遊里探訪者におなじみの症状だ。

 
角地に残るカフェー建築。凹凸のついた正面と、教会アーチ風のくぼみが印象的。
赤レンガは近年付け足されたものらしい。かつては白一色のデザインだったのだろうか。

 
旅館風の木造建築。重厚感をただよわせながらも、気軽に立ち寄れそうな雰囲気。
注目は、正方形とひし形を組み合わせたユニークな丸窓。内側からの様子も見てみたい。

下関 新地(2)

2012年04月28日 13時30分00秒 | ◆中国
もう少し下関の新地を歩く。

 
アールを描く庇がカフェーを思わせる造り。
しかし、カフェーとは違う店のようにも思える。


駐車場の隅にたたずむ無骨なコンクリートの建造物。
不思議な光景だが、どうやら玄関の骨組みだけが取り残されたものらしい。

 
防火水槽だろうか。豆タイルで巧みに描かれた輪違模様が美しい。
バックの建物は全面トタンに覆われており、往時の姿を想像するのは難しい。


四つの建物が密集しているように見える一軒。増改築をくり返した結果だろうか。


雰囲気のある家屋が三棟。左から、和風、和洋折衷、カフェー風とつづく。

 
この界隈ではあまり見かけなかった出格子が新鮮。二階の軒下には電灯の姿も。
玄関は、渋さと華やかさをあわせ持ったたたずまいで、花街的な情緒がただよう。

 
旅館をスナックに改築したような外観。
脇の路地に「しんち」と書かれた看板が掲げられており、想像をかき立てる。

下関 新地(1)

2012年04月28日 13時00分00秒 | ◆中国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数43、娼妓数300
昭和30年、業者数75、娼妓数210

 
[左]最初に目についた旅館。近くで見ると、二階の壁がタイル張りになっている。
[右]側面から。ガラス窓と白塗りの壁、それぞれが引き立つ。


和洋折衷の物件。右側と左側で、見た印象がまったく異なるのがおもしろい。
和風建築にいくらか手を加えた結果、このような外観になったのだろう。

 
華やかなカフェー建築。カラフルなタイルや手の込んだ窓の造作など、見どころ満載。
玄関の上部に掲げられた文字看板「昭月」は屋号だろうか。


中央に奥まった入口が二つ。これもカフェー建築の一種だろう。
ここまで挙げた四軒が、国道沿いにずらっと並んでいるのだから、その眺めは壮観だ。

 
風変わりなデザインのタイルが強烈に目を引く。
現在は文具店のようだが、以前はどういう建物だったのだろうか。


奇妙な店構え。奥に引っ込んだ入口がいわくありげなものを感じさせるが、はたして。

 
複数の木造建築を無理やり合体させたかのような複雑な構造。
左へ回り込むと、カフェーを思わせる入口が現れた。

下関 豊前田町

2012年04月28日 12時00分00秒 | ◆中国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数35、娼妓数200
昭和30年、業者数50、娼妓数170

残念ながら、決定的な遺構は見あたらなかった。

 
国道9号線から一本裏へ入った通り。飲食店が軒を連ねている。
この街並みが、昔ながらの歓楽街を思わせる雰囲気かというと、ちょっとわからない。


きれいにサイディングされているものの、実際はかなり古い建物のように思える。

 
あまり直されていないとおぼしい築古物件。特徴的なファサードが目を引く。


二階に窓のない建物が角地に。内部はどのような構造になっているのだろうか。


二階の窓の造作に惹かれた。遺構かどうか判断するにはやや材料不足。

 
正面は洋風、側面を見ると和風。かなり奥行きのある建物で、装飾もおもしろい。
しかし、娼家のたぐいではないだろう。役場を連想させるような潔癖さを感じる。