M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

川崎 東田町

2011年08月31日 18時20分00秒 | 風景・街
昨年春に建物の大半が解体されたが、その後の買い上げがおぼつかないのか、
建物が歯抜けのような状態のまま放置されていた。(当時の記事はこちら
最近になってようやく地ならしを開始。

 
しかし歯抜け状態はそのまま。


明かりのついているビルもある。他の建物にも居住の気配が感じられた。


カフェー風の建物は健在。それにしても気になる造りをしている。


このように中途半端に建物が残っている状態では、駐車場にするのが最善だろうか。
今後の動きに注目したい。

小田原駅下車

2011年08月28日 22時30分00秒 | 日記・雑記
体力に余裕があったので、抹香町に行ってみようと下車。
終電まであと40分。場所は覚えているから、早足で歩けば往復できるだろう。
しかし甘かった。向かっている途中で、これは間に合わないと気づく。
夜の抹香町はまたの機会に、今日のところは引き返すことにした。


戻る途中で撮影。一番上で輝く看板は旅館みやこ。現役だったとはうれしい。


ところが、肝心の旅館は営業の気配がない。真夜中だからかもしれないが。


車内で終電の発車を待つ。

蒲郡市神明町

2011年08月28日 17時30分00秒 | 風景・街
8月14日、岐阜~愛知めぐりの帰途。
電車に揺られながら窓の外の景色を眺めていると、蒲郡駅を過ぎたあたりで
一種異様な光景が目に入った。
新しい建物ばかりの町並みの中に、古色蒼然とした建物が三軒ほど並んでいる。
見えたのは一瞬だったが、明らかに周囲から浮き上がっていた。

気になったので、今回の往路で電車内からもう一度確かめてみることに。


(2011年8月27日撮影)
やはり相当古い。妓楼ではないかという期待もあったが、そういう建物ではないようだ。

そして復路。もっとしっかり見たいと思い、今度は電車から降りる。


予想どおり妓楼ではないと再確認。


洋風の物件。現役のオフィスのようで、明かりがついていた。

 
重厚な日本家屋の二軒。年代を感じるが、手入れが行き届いている。個人宅だろう。


周辺を歩く。気になる物件は特になし。写真は散策中に見かけた古いスナック。

長浜市大宮町~元浜町

2011年08月28日 14時10分00秒 | 風景・街
遊里周辺をうろついていたら、いつのまにか華やかな町に入り込んでしまった。

 
いつも陰りのある場所ばかり歩いているせいか、華美な景色がまぶしい。
少し大げさだが、ここにいてはいけないような気分になってくる。


直進すると大通寺だが、そそくさと回れ右。早めに退散することにする。

 
意外な看板を発見。こんなところにスナックが集まっているとは。


歴史ドラマ50作館。
今年のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』に連動したイベントを催していた。

 
川(水)を見ると安心する。動物の本能に根ざしているのかもしれない。

長浜 南片町

2011年08月28日 13時20分00秒 | ◆近畿
遊廓→集娼黙認地
明治33年12月、業者数16、娼妓数39
昭和5年ごろ、業者数15、娼妓数55
昭和33年2月、業者数12、従業婦数26


遊里につきものの銭湯。よじむ湯という名前がおもしろい。

 
独特の構造と彩色。窓にもひと工夫が見られ、普通の住宅ではない雰囲気。


なぜかこのあたりには、上記と同じ形状の建物が固まっている。この建物もその一つ。
壁には赤塗りの痕跡が若干。かつては派手な色彩で通行人の注意を引いたのだろうか。


墨色の板が映える。二階の欄間の彫り抜きなど、小さい店ながらも特徴的。

 
その隣、こちらはカフェー建築。きれいに塗装されているが、相当古い建物だろう。


旅館風の木造二階建て。場所柄から考えて、単なる旅館ではないように思える。

 
驚くべき規模。表は和風、裏はカフェー風、そのあいだにも数軒の店がひしめき、
それらが全部つながって一軒の建物を形づくっている。

 
転業旅館風。往時の建物をリフォームし、いまは一般住宅として利用している模様。

彦根 袋町 ~拾遺編~

2011年08月28日 11時00分00秒 | ◆近畿
袋町の取りこぼし的なものを拾いつつ紹介。


袋町は旧町名。現在は町内会館にその名を見ることができる。右隣は友代稲荷。

 
完全にスナック・クラブ街に変貌を遂げている。性風俗産業の匂いはまったくない。
「彦根社交同業組合」という飲食店組合の看板を散策中に見かけた。

 
もし過去に風俗店があったとすればこの二軒だろうか。いまは住居兼スナックの模様。


不思議なカーブ。カフェー建築ではなく、単に階段をポップに仕上げたものだろう。

 
なんと入口が四つも。間取りがどうなっているのか興味深い。


カフェーのような、理容店のような、どちらかといえば後者のように思える。

 
現役とおぼしき旅館が芹川沿いに二軒。転業旅館だろうか。

彦根 袋町

2011年08月28日 10時30分00秒 | ◆近畿
遊廓→集娼黙認地
明治33年12月、業者数50、娼妓数49
昭和5年ごろ、業者数65、娼妓数85
昭和33年2月、業者数40、従業婦数51

 
「末廣」という袖看板が残る木造建築。二階の窓はなぜか完全に塞がれている。
一階は細やかな格子窓。現在は茶色だが、昔は赤系の色だったのではないだろうか。


べんがら色がいまなお鮮やか。裸電球や出格子が往年の姿を保っている。


遺構をリフォームして造られたスナックだろう。開いた玄関から人の気配がした。


あちこち手が加えられているものの、景観に配慮しているのか、雰囲気は充分健在。
左下の小さな祠は、商売繁盛を祈願して建てられたものだろうか。

 
長屋風の木造建築。玄関脇には、雨を描写したようなデザインのタイルが張られている。

 
どぎついほどの紅色は妖しげでインパクトが大きい。二階の張り出しにも圧倒される。
玄関には「A級旅館」の表示。はじめて見る言葉だ。「高級」「第一級」的な意味だろうか。


レトロな和風建築が両脇に延びる。まるで文化財を見ているかのような光景だ。

 
一階がスナックに改装されているが、二階に目を転じると和風の意匠がそのまま。
丸窓や白壁、木目調の羽目板など、全体的に小粋な特徴を持つ建物になっている。

草津 東新地

2011年08月28日 08時30分00秒 | ◆近畿
遊廓→集娼黙認地
明治33年12月、業者数10、娼妓数27
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数30
昭和33年2月、業者数12、従業婦数39


メイン通り。突然幅広になる道路は遊廓ではおなじみ。

 
この界隈で一番の規模。現存しない建物を含めても、きっと大店の部類だったであろう。
あちこち改築の手が加わっているとはいえ、往時の面影をよく残している。


その名も開盛楼。「楼」とつくとどうしても妓楼を想像しがちだが、はたして。

 
もっとも遊里の風情を感じられる和風建築。丸窓や桟の細工が目を引く。


松皮菱の装飾窓が二階に。撮影中はアングルに四苦八苦していて気づかなかった。
全体が見えなくて残念だが、偶然写っていただけでも幸運と考えるべきだろう。


廓入口あたりの水子地蔵尊。場所が場所だけに、娼婦の堕胎を連想してしまう。