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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

ラーメン東大

2012年03月10日 23時00分00秒 | ラーメン・グルメ
元日に京都の支店で食べたばかりだが(その時の記事はこちら)、
まさかこんなに早く本店で食べる機会が訪れるとは思っていなかった。




京都で受けた印象に比べ、あっさりしているような気がする。
あれっ、京都ではこってりを注文したんだったか。まるで覚えていない。

善通寺西山と砂古荒魂神社

2012年03月10日 17時20分00秒 | ◆四国
昭和初期、善通寺の遊廓が置かれていた場所は、「砂古裏」という地名だった。
戦後に赤線があったとされる「西山」とのつながりは、この時点では不明。
「裏」というからには「砂古」という地名もあったのではないかと思い、地図を調べたところ、
この砂古荒魂神社を発見。現在、「砂古」の地名が残る唯一の物件らしい。
砂古荒魂神社の周辺地域を「砂古」と仮定すると、西山の位置はまさしく「裏」にあたる。
砂古裏の遊廓と西山の赤線――どうやら連続性があると考えて間違いなさそうだ。

遊里の話が長くなってしまったが、この神社自体は、遊里との関係はない様子だった。

 
入口は閉ざされている。参拝者は脇から入るということらしい。


建物は新しく、あまりおもしろいものではない。


裏のほうはやや古いか。

善通寺 西山

2012年03月10日 17時00分00秒 | ◆四国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数70

地図を見ると、西山のあたりは、町の中心地からやや離れた場所に位置している。
風紀上の理由から、遊廓の許可地を郊外に指定するのは、よくあるケースである。

現在の西山は、完全に住宅地になっており、決定的な遺構は見つけられなかった。


目抜き通りだったとおぼしき道路。
その広い道幅が、昔ここがそういう場所だったであろうことを想像させる。


戦前から残っていると思われる古い建物。妓楼ではなく、何かの商店といった風情。


気になった看板建築。カフェー風に見えないこともないが、先入観のせいかもしれない。

 
不思議な構造をしている。右が洋風で、左が和風。
右側に円柱のようなポールが写っているが、これは配管のようだ。


旅館のような外観。元は旅館だったのかもしれない。現在は会社の寮になっている模様。

 
西山でもっとも惹かれたのがこの一軒。
窓の造りが凝っていたり、裏手が出格子になっていたりと、気になる意匠が散見される。
ところが、客を招き入れるような入口がなく、娼楼としては疑問符がつく。


メイン通りに忘れ去られたように残っていた祠。
遊里と関係のある可能性は高そうに思えるものの、それを裏付ける材料は発見できず。

善通寺

2012年03月10日 16時30分00秒 | 寺社・教会
真言宗善通寺派の総本山。
弘法大師、空海の生誕地として知られる。


赤門の外から。


五重の塔。


金堂。


御影堂。


白装束に身を包んだ巡礼者、いわゆるお遍路さんが大勢歩いていた。
その中を、黒コートの遊里探訪者が足早に通り過ぎる。

多度津 西浜

2012年03月10日 14時00分00秒 | ◆四国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数19、娼妓数120


桃山の北側一帯に古い町並みが残っている。


二階のガラス張りが印象的。一階が比較的質素なだけに、そのコントラストが際立つ。
後でわかったことだが、ここ多度津では、こういったガラス窓の物件が数多く見られる。

 
[左]狭い路地で見つけた総ガラス張りの二階部分。空を仰ぐように撮影。
[右]こちら側にはガラス窓がない。もともとないのか、あるいはトタンでふさがれたのか。


窮屈な通路が延びる。複雑に入り組んでいるわけではないので、迷子の心配はない。
二階を見ると、左右の建物を連絡する渡り廊下が設けられている。

 
[左]欄間や飾り窓に遊び心が盛り込まれた玄関。すぐ右には壁面が緑の小さな入口が。
[右]同じ建物の左手。松形にくり抜かれた壁の向こうに繊細な桟がうかがえる。

 
どっしりとした構えの和風建築。このあたりでは大店だったと思われる。
この建物も二階のガラス窓が目を引く。どうやら多度津では流行のデザインだったらしい。

 
少し注意を引かれた一軒。古い建物に全面的なリフォームがおこなわれた様子。
下部に幅木仕様のタイルが貼られているものの、これだけではなんともいいがたい。

丸亀 新堀(2)

2012年03月10日 13時00分00秒 | ◆四国
新堀探訪のつづき。


外周の通りにたたずむ旅館。妻壁には屋号が浮き出るかたちで施されている。

 
更地の隅に放置された石造物の数々。灯籠、手水鉢、庭石といったものの残骸らしい。
昔は、これらの遺品にふさわしい景観が見られたのだろう。

 
[左]左右で異なる印象を持つ和風建築。立派な構えの門も気になる。
[右]門をアップで撮影。奥も単なる住宅ではないのかもしれない、と想像がふくらむ。

 
[左]旅館の裏玄関。表の三階建てビルとは対照的に、こちらは和風そのもの。
[右]二階の壁面。七宝模様の漆喰細工が施されている。


銭湯(栄楽温泉)のはす向かいの物件。両脇の入口と出格子がいわくありげに映る。
二階窓の庇の様子からすると、一時期、何かの店に転用されていたのだろう。


カフェーのようにも見える建物。かなりリフォームされており、判断に迷う。

 
少し離れた通りで見つけた一軒。黒光りするタイルが目を引く。
玄関前の装飾が凝っているなど、興味深い物件だが、十中八九遺構ではあるまい。

丸亀 新堀(1)

2012年03月10日 12時30分00秒 | ◆四国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数18、娼妓数76


「新堀」は旧町名。現在は西平山町。

 
[左]堂々としたたたずまいの和風建築。傷みが激しいのが気にかかる。
[右]海側から。手前の部分だけ不自然だが、昔はカフェー調だったりしたのだろうか。


料亭風の木造建築。焦げ茶の羽目板と純白の漆喰が互いを引き立たせている。
とはいえ、壁が塗り直されているのはほぼ間違いないだろう。元の色が気になるところだ。


きれいに整備されており、見るからに現役といった風情の旅館。転業旅館だろうか。
大幅にリフォームの手が加わっており、遺構かどうか判断はできない。

 
アーチ状の玄関と鮮やかなタイルが特徴のカフェー建築。軒下には照明の跡が残る。
左右の玄関は、まったくの同型に見えて、屋号の残る左側のほうがやや大きめのようだ。

 
不思議な外観をしている。二つ並んだ入口、塀のようにも壁のようにも見える一階左側。
二階に目を転じると、ガラス窓の内側に欄干が透けて見える。軒下には照明の痕跡が。


こちらも窓の内側に欄干を確認できる。一階の出格子も見逃せない。

厳島神社、一寸島神社

2012年03月10日 12時00分00秒 | 寺社・教会
神社そのものより、参道の両側を占拠するバラック群の印象が強い。
遊里とのつながりは不明。


入口。鳥居とバラックが一体化したようなたたずまい。

 
奥までつづく玉垣。親柱には明治22年と刻まれている。


管理人の住まいと思われる一軒を除いて、人の住んでいる気配は感じられない。


バラックを通過すると、ようやく神社らしい景色になった。

 
どういうわけか、神社名が二つ。破風の下に「厳島神社」、柱に「一寸島神社」。
「いつくしま」と「いっすんじま」は語感が似ているが、同一視して構わないのだろうか。


夜の入口(2011年3月11日 19時ごろ撮影)

丸亀 福島町

2012年03月10日 11時30分00秒 | ◆四国
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数16、娼妓数120
昭和30年、業者数16、娼妓数49


メインストリート。駅から30メートルの距離にあるのだから驚きだ。

 
見事なカフェー建築。タイル張りにひし形の意匠、窓に施された色ガラスが美しい。
右に修繕のための作業台が見える。建物が大事にされている様子がうかがえて心強い。


サイディングでわかりにくいが、横側のシルエットから遺構ではないかと思われる。
玄関をのぞかせていただいたら、床がタイル張りになっていた。これは間違いないだろう。

 
軒下に袖看板。かろうじて「春○」と読める。
この建物の左隣には、かつて、丸窓と出窓が印象的なカフェー建築があったはずだが、
この数年で取り壊されてしまったらしい。


転業旅館だろうか。旅館名を冠した看板が掲げられている。現役かどうか定かではない。

 
カフェー風の建物。玄関まわりに石材の装飾が見られる。廃墟になって久しい模様。

 
年季を感じさせる木造建築。近年は酒屋だったことは明らかだが、それ以前は不明。
持ち送りの彫り込みが凝っていたりと、気になる意匠が見受けられる。