遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数70
地図を見ると、西山のあたりは、町の中心地からやや離れた場所に位置している。
風紀上の理由から、遊廓の許可地を郊外に指定するのは、よくあるケースである。
現在の西山は、完全に住宅地になっており、決定的な遺構は見つけられなかった。
目抜き通りだったとおぼしき道路。
その広い道幅が、昔ここがそういう場所だったであろうことを想像させる。
戦前から残っていると思われる古い建物。妓楼ではなく、何かの商店といった風情。
気になった看板建築。カフェー風に見えないこともないが、先入観のせいかもしれない。
不思議な構造をしている。右が洋風で、左が和風。
右側に円柱のようなポールが写っているが、これは配管のようだ。
旅館のような外観。元は旅館だったのかもしれない。現在は会社の寮になっている模様。
西山でもっとも惹かれたのがこの一軒。
窓の造りが凝っていたり、裏手が出格子になっていたりと、気になる意匠が散見される。
ところが、客を招き入れるような入口がなく、娼楼としては疑問符がつく。
メイン通りに忘れ去られたように残っていた祠。
遊里と関係のある可能性は高そうに思えるものの、それを裏付ける材料は発見できず。
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数70
地図を見ると、西山のあたりは、町の中心地からやや離れた場所に位置している。
風紀上の理由から、遊廓の許可地を郊外に指定するのは、よくあるケースである。
現在の西山は、完全に住宅地になっており、決定的な遺構は見つけられなかった。
目抜き通りだったとおぼしき道路。
その広い道幅が、昔ここがそういう場所だったであろうことを想像させる。
戦前から残っていると思われる古い建物。妓楼ではなく、何かの商店といった風情。
気になった看板建築。カフェー風に見えないこともないが、先入観のせいかもしれない。
不思議な構造をしている。右が洋風で、左が和風。
右側に円柱のようなポールが写っているが、これは配管のようだ。
旅館のような外観。元は旅館だったのかもしれない。現在は会社の寮になっている模様。
西山でもっとも惹かれたのがこの一軒。
窓の造りが凝っていたり、裏手が出格子になっていたりと、気になる意匠が散見される。
ところが、客を招き入れるような入口がなく、娼楼としては疑問符がつく。
メイン通りに忘れ去られたように残っていた祠。
遊里と関係のある可能性は高そうに思えるものの、それを裏付ける材料は発見できず。
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