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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

三和商店街

2012年03月17日 17時00分00秒 | 風景・街
戦後まもなく建てられたと思われるアーケード街。四日市駅のすぐ近くにある。


古い店舗が密集している。周囲の道路は広く、妖しい雰囲気はない。


モルタル造りの長屋。カフェー建築のようでもある。

 
看板の明かりをともしている店がちらほら。飲食店街としてまだまだ現役のようだ。


電車の時間が迫り、ゆっくり眺めている時間はない。少しだけ中に足を踏み入れる。

 
アーケードで覆われた天井、通路沿いに連なる飲み屋。夜に歩いてみたい光景だ。


一部崩落してしまっている。現役の店に影響がなければいいのだが。


同じ区画内にある温泉。

四日市 高砂

2012年03月17日 14時00分00秒 | ◆東海
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数40

沼津にいた時よりも雨が強くなっている。

 
[左]旅館の看板を掲げた木造建築。地図にも旅館と記されているが、現役なのだろうか。
[右]戸袋に松のデザイン、その手前には本物の松。

 
和風の建物に強引にカフェー風の入口を増築したかのような奇妙な外観。
左側から見ると、やはり母屋へ客を導くためだけの入口だったように思われる。

 
純和風建築かと思って眺めていたら、二階の欄干に意外な装飾が施されていた。


一応カメラに収めはしたものの、どちらかというと商店風のたたずまい。


メゾネットタイプの二階建てのように見えるが、戸袋に施されたひし形が気になる。
しかし、遺構というには装いがシンプルすぎるか。

 
状態が悪いとはいえ、どこか華やかな雰囲気を感じさせる建物。
もっとも気になったのは二階のドア。ひょっとしたら、かつてはこの手前にも建物があって、
そこに連絡していた渡り廊下のなごりが、この不思議なドアなのだろうか。


歴史を偲ばせる現役料亭。往時の土地柄を伝える唯一の生き証人かもしれない。

沼津 川廓通り

2012年03月17日 08時30分00秒 | 歴史・史跡
「廓」の字を見た時は興奮しかけたが、遊廓ではなく城郭に由来する通り。


西側の入口。


川廓の由来が書かれている。


整備された道がつづく。

 
「川廓」という名前は町名でもあったようだ。


川廓通りの案内板。


狩野川に近接するあたり。右手に堤防が見える。


東側の入口。

沼津

2012年03月17日 07時30分00秒 | ◇静岡
遊廓(戦後は赤線?)
昭和5年ごろ、業者数6、娼妓数60

沼津には探索したい場所がいくつか存在するが、今回は一か所のみ。
今回は、「緑新地」「千本松原」「七反田」といったキーワードを頼りに地図を眺め、
その結果、松下七反田~千本緑町あたりをぶらついてみることにした。


千本緑町交差点。千本緑町の「千本」は、千本松原の「千本」と同一だろう。
では、緑新地の「緑」とのつながりはあるだろうか。

 
住宅街に旅館がぽつんと一軒。こういう時、つい遊里と関連づけて考えてしまう。

 
さらに進むと、もう一つ旅館が現れた。廃墟化している。
旅館が数軒固まっているということは、やはり……と、懲りずにまた同じ思考をたどる。


何かの店だったのだろう。飲食店を経て理容店になったのではないか、と想像。


古い木造建築を発見。しかし、妓楼のたぐいではなさそうだ。

 
タイルを施された建物。カフェーではなく理容店だったと思われる。

残念ながら、遊里の存在を裏付けるような証拠は見つけられなかった。
このほかにも気になる場所があるので、次回はそこに期待して歩いてみたい。