遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数40
沼津にいた時よりも雨が強くなっている。
[左]旅館の看板を掲げた木造建築。地図にも旅館と記されているが、現役なのだろうか。
[右]戸袋に松のデザイン、その手前には本物の松。
和風の建物に強引にカフェー風の入口を増築したかのような奇妙な外観。
左側から見ると、やはり母屋へ客を導くためだけの入口だったように思われる。
純和風建築かと思って眺めていたら、二階の欄干に意外な装飾が施されていた。
一応カメラに収めはしたものの、どちらかというと商店風のたたずまい。
メゾネットタイプの二階建てのように見えるが、戸袋に施されたひし形が気になる。
しかし、遺構というには装いがシンプルすぎるか。
状態が悪いとはいえ、どこか華やかな雰囲気を感じさせる建物。
もっとも気になったのは二階のドア。ひょっとしたら、かつてはこの手前にも建物があって、
そこに連絡していた渡り廊下のなごりが、この不思議なドアなのだろうか。
歴史を偲ばせる現役料亭。往時の土地柄を伝える唯一の生き証人かもしれない。
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数40
沼津にいた時よりも雨が強くなっている。
[左]旅館の看板を掲げた木造建築。地図にも旅館と記されているが、現役なのだろうか。
[右]戸袋に松のデザイン、その手前には本物の松。
和風の建物に強引にカフェー風の入口を増築したかのような奇妙な外観。
左側から見ると、やはり母屋へ客を導くためだけの入口だったように思われる。
純和風建築かと思って眺めていたら、二階の欄干に意外な装飾が施されていた。
一応カメラに収めはしたものの、どちらかというと商店風のたたずまい。
メゾネットタイプの二階建てのように見えるが、戸袋に施されたひし形が気になる。
しかし、遺構というには装いがシンプルすぎるか。
状態が悪いとはいえ、どこか華やかな雰囲気を感じさせる建物。
もっとも気になったのは二階のドア。ひょっとしたら、かつてはこの手前にも建物があって、
そこに連絡していた渡り廊下のなごりが、この不思議なドアなのだろうか。
歴史を偲ばせる現役料亭。往時の土地柄を伝える唯一の生き証人かもしれない。
遊廓(戦後は赤線?)
昭和5年ごろ、業者数6、娼妓数60
沼津には探索したい場所がいくつか存在するが、今回は一か所のみ。
今回は、「緑新地」「千本松原」「七反田」といったキーワードを頼りに地図を眺め、
その結果、松下七反田~千本緑町あたりをぶらついてみることにした。
千本緑町交差点。千本緑町の「千本」は、千本松原の「千本」と同一だろう。
では、緑新地の「緑」とのつながりはあるだろうか。
住宅街に旅館がぽつんと一軒。こういう時、つい遊里と関連づけて考えてしまう。
さらに進むと、もう一つ旅館が現れた。廃墟化している。
旅館が数軒固まっているということは、やはり……と、懲りずにまた同じ思考をたどる。
何かの店だったのだろう。飲食店を経て理容店になったのではないか、と想像。
古い木造建築を発見。しかし、妓楼のたぐいではなさそうだ。
タイルを施された建物。カフェーではなく理容店だったと思われる。
残念ながら、遊里の存在を裏付けるような証拠は見つけられなかった。
このほかにも気になる場所があるので、次回はそこに期待して歩いてみたい。
昭和5年ごろ、業者数6、娼妓数60
沼津には探索したい場所がいくつか存在するが、今回は一か所のみ。
今回は、「緑新地」「千本松原」「七反田」といったキーワードを頼りに地図を眺め、
その結果、松下七反田~千本緑町あたりをぶらついてみることにした。
千本緑町交差点。千本緑町の「千本」は、千本松原の「千本」と同一だろう。
では、緑新地の「緑」とのつながりはあるだろうか。
住宅街に旅館がぽつんと一軒。こういう時、つい遊里と関連づけて考えてしまう。
さらに進むと、もう一つ旅館が現れた。廃墟化している。
旅館が数軒固まっているということは、やはり……と、懲りずにまた同じ思考をたどる。
何かの店だったのだろう。飲食店を経て理容店になったのではないか、と想像。
古い木造建築を発見。しかし、妓楼のたぐいではなさそうだ。
タイルを施された建物。カフェーではなく理容店だったと思われる。
残念ながら、遊里の存在を裏付けるような証拠は見つけられなかった。
このほかにも気になる場所があるので、次回はそこに期待して歩いてみたい。