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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

善通寺西山と砂古荒魂神社

2012年03月10日 17時20分00秒 | ◆四国
昭和初期、善通寺の遊廓が置かれていた場所は、「砂古裏」という地名だった。
戦後に赤線があったとされる「西山」とのつながりは、この時点では不明。
「裏」というからには「砂古」という地名もあったのではないかと思い、地図を調べたところ、
この砂古荒魂神社を発見。現在、「砂古」の地名が残る唯一の物件らしい。
砂古荒魂神社の周辺地域を「砂古」と仮定すると、西山の位置はまさしく「裏」にあたる。
砂古裏の遊廓と西山の赤線――どうやら連続性があると考えて間違いなさそうだ。

遊里の話が長くなってしまったが、この神社自体は、遊里との関係はない様子だった。

 
入口は閉ざされている。参拝者は脇から入るということらしい。


建物は新しく、あまりおもしろいものではない。


裏のほうはやや古いか。

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