昭和初期、善通寺の遊廓が置かれていた場所は、「砂古裏」という地名だった。
戦後に赤線があったとされる「西山」とのつながりは、この時点では不明。
「裏」というからには「砂古」という地名もあったのではないかと思い、地図を調べたところ、
この砂古荒魂神社を発見。現在、「砂古」の地名が残る唯一の物件らしい。
砂古荒魂神社の周辺地域を「砂古」と仮定すると、西山の位置はまさしく「裏」にあたる。
砂古裏の遊廓と西山の赤線――どうやら連続性があると考えて間違いなさそうだ。
遊里の話が長くなってしまったが、この神社自体は、遊里との関係はない様子だった。
入口は閉ざされている。参拝者は脇から入るということらしい。
建物は新しく、あまりおもしろいものではない。
裏のほうはやや古いか。
戦後に赤線があったとされる「西山」とのつながりは、この時点では不明。
「裏」というからには「砂古」という地名もあったのではないかと思い、地図を調べたところ、
この砂古荒魂神社を発見。現在、「砂古」の地名が残る唯一の物件らしい。
砂古荒魂神社の周辺地域を「砂古」と仮定すると、西山の位置はまさしく「裏」にあたる。
砂古裏の遊廓と西山の赤線――どうやら連続性があると考えて間違いなさそうだ。
遊里の話が長くなってしまったが、この神社自体は、遊里との関係はない様子だった。
入口は閉ざされている。参拝者は脇から入るということらしい。
建物は新しく、あまりおもしろいものではない。
裏のほうはやや古いか。
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