Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

雨、雨、雨

2010年05月16日 | 那覇、沖縄
 沖縄は先々週から梅雨に入ったのだが、このところ梅雨というよりは、もう台風のような雨が続いている。家の窓からみた風景は雨で霞がかかっているように見えるし、中学校の校庭は湖状態。大雨警報、洪水警報は今も続いている。昨年はカラ梅雨だったが、今年は本当に雨、雨、雨。梅雨明けの水不足の心配はなさそうだけれど。
 こうなると、どこに行くのも面倒だ。昨日は学会だったが、参加者もまばら(テーマが台湾とバリだったので、晴れてもたくさん人は集まらなかったと思うけど)。電車というものがない沖縄は、雨が降れば公共交通はモノレール(これはほんとうに一部だけ)を除けば、雨の日はまったくあてにならないバスである。
 ちなみに雨が続くと、私のウォーキングも当然のごとく不可能で、昨日は雨の隙間をぬって歩き出したものの10分で降り出し急いで帰宅。本日も朝5時半に起きたが、豪雨を確認して再び睡眠。結局起きたのは7時半だった。雨が降るとナマケモノになる私。そんな一日、家にいれば、ドーナツは食べるは、朝食に食パンを食べたのにまたホットケーキを食べるはと完全にカロリー摂取の超過状態である。このまま雨が何日も続いたら、これまでの私の努力はいったいどうなるのか?だから明日は、曇りでもいいから、雨はやんでちょうだいな。せめて私がウォーキングをする1時間だけでいいのだから。

鯉のぼりから菖蒲へ

2010年05月13日 | 玄関飾り
 玄関の手ぬぐい飾りが、鯉のぼりから菖蒲に変わった。5月ごろから咲く花。沖縄は梅雨に入って湿度の高い日々が続き、なんとなく肉体的にも精神的にもだるい毎日が続くのだが、へとへとになって玄関を開けて最初に出会う菖蒲の花は、なんとなく私をホッとさせてくれる不思議な力を持つ。
 沖縄のどこかで菖蒲は見れないのだろうかと考えてみるが私のわずかな沖縄の知識では、この花が咲いている場所を思い起こすことが出来ない。それとも沖縄には咲かないのかな。
 梅雨が明けると次の手ぬぐいに変わる。だって、ついこの前、夏を表象する手ぬぐいをちゃんと京都で買ってきたから。しばらくわが家の玄関の季節は、手ぬぐいの絵柄で味わえるはずだ。それにしても、かみさんが近所の雑貨屋で、手ぬぐい用の額をよく見つけたものである。
 

羊の話

2010年05月12日 | 那覇、沖縄
 羊の話といえば、まず頭に浮かぶのは村上春樹の『羊をめぐる冒険』。羊と地理的にはぴったりな北海道が舞台で、ドルフィンホテル、羊博士、羊男とかかわる本の内容が次々と蘇ってくる。最初にこの本を読んだとき、なぜ北海道なのに「いるか」なんだろう、と不思議に思ったものだった。
 さて本日の沖縄は、その「いるか」が泳ぐ海に浮かぶ沖縄での羊の話。昨晩、大学に勤める男性四人で、那覇にある北海道出身の方が経営するジンギスカンの店で食事をした。一人は北海道、私は東京、あとの二人は沖縄。なんと沖縄出身の二人とも「羊」を食べるのが昨晩が初めてだといっていた。ヤギを食べるが、羊は食べない沖縄。バリも同じ。考えてみれば羊は毛がモコモコだし、暑い土地には向かない動物だ。
 子どものころ、母がたまに「マトン」を買って来て、野菜と炒めて食べさせてくれた。独特の肉の香りがたまらなく好きだった。昨晩でかけた店の店主によれば、私がマトンを東京で食べていた約40年前は、本土にもマトンがふつうに出回っていて、肉に臭みがあったゆえに高価な肉ではなかったという。それが、ジンギスカンブームが始まってから、マトンやラムは希少な肉になってしまったそうだ。
 ところで、先月だったか東京の実家の最寄の鉄道の駅前にある肉屋に「マトンあります」という張り紙がしてあったことを思い出した。今度、実家に行った時は母にマトンを焼いてもらおうかな。ちょっぴりノスタルジーの香りが漂うだろうな……。

服は小さくならない

2010年05月10日 | 家・わたくしごと
 「あの子、すぐ服が小さくなっちゃうのよね。」
 確かにこの表現は日常的に使用する文句であろう。しかし、実際にはこれは正しい表現か否か?
 「あの子、このところ大きくなるのが早くて、服が小さくなっちゃうのよね。」だったらどうだろう。「大きくなる」という表現は、「あの子が大きくなる」わけで成長の早さを表している。しかしやはり、「服が小さくなる」はどう解釈しよう? 服は小さくならない。もちろん物理的には「縮む」という結果、小さくなることはありえるが、私が上記にあげた文脈では、「縮む」という状況は考えられない。なんだか、子どもが大きくなるように、服が小さくなるように思えてしまう。
 でも、そうは言いながら、この表現が正しいようにも思えてならない。何かが省略されているのかもしれないし、そう考えると日本語って本当に難しい。

「果物を食す」という儀礼的行為

2010年05月09日 | 家・わたくしごと
 小学校を卒業する頃までだったろうか、息子は寝る前に、眠い目をこすりながらも両親の前に立って、「果物くださいな」と言ってやさしく微笑んだ。たとえ、その直前に大声で親に怒られていようと。そんな笑顔にすっかり負けてしまって、両親は「食べたら早く寝なさい」と、冷蔵庫の中にある果物の何かを一つ、二つ、お皿に入れて机の上に置いた。不思議と数に文句を言われた記憶がない。
 息子が果物を食べる様子は、まるで儀礼的行為のように、規則的で、しかもたんたんと遂行された。決まって最後に「美味しかった」と口にした。それは儀礼が終わる合図のようなものだ。彼はその後、歯を磨き、布団に入った。毎日がその繰り返しだった。果物がない時は、フルーツジュースを「噛んだ」。果物は食べるものだから、ジュースも飲むのではなく、食べなくてはならなかった。そのために儀礼的に彼はジュースを口に含んで、数回噛まなくてはならなかった。それが規則なのである。そう、儀礼は規則に従った遂行的行為なのだから。あれから何年か経って、いつ頃からか彼は「果物くださいな」と言わなくなったし、寝る前に果物を食べる儀礼も遂行しなくなった。儀礼は時代の流れの中で必要となくなり、忘れられたのだろう。少なくても私はそう思っていた。
 ところが最近、私は彼の儀礼が実は形を変えて継続していることに気が付いたのだ。息子は寝る前に一人冷蔵庫を開け、フルーツゼリーを食べていたのだ。そう、ゼリーであってもそれは彼の中では噛むことが可能な果物ということだ。そして母親はそれを知っていて、そのゼリーを常に供給し続けていた。母親が儀礼の供物係(トゥカン・バンタン)のような役割を演じている。もう夜も11時近い。そろそろ息子は冷蔵庫に近づいて、ゼリーを手に取るだろう。それは彼にとっては安眠を約束するための儀礼的行為なのだからね。

今年はもうお別れだね

2010年05月08日 | 玄関飾り
 5月5日の子どもの日が終わると、なんだかそれまで元気よく泳いでいた鯉のぼりが、松の内を過ぎても玄関先にかかっている正月飾りのようにみえてくるものだ。同じ鯉のぼりであるはずなのに、何か生気の無い、うつろな表情で流れに身をゆだねながら浮遊しているような鯉……。
 そんな鯉はしばらくすると真っ暗な深海のような川底――どんな川にもそんな鯉のぼりたちの魂がほぼ11ヶ月にわたって身を潜める隠れ場所があるものなのだ。それを僕らは知らないだけ。魂の抜けた「鯉の布」もまた、箪笥や衣装ケースの真っ暗闇の中に、たいていはきれいにたたんでしまわれる。中には忘れられて、これっきり太陽の光のもとに戻れない鯉だっているはずだ。そんな鯉の魂は、永遠に川底で生き続けているにもかかわらず。
 わが家の玄関の鯉もまた、そんな季節がやってきた。一ヶ月、おもいきり飛んで、跳ねて……でも今はもう一枚の額におさまった手ぬぐいに描かれた鯉にすぎない。もう鯉の魂は深い川底へ戻っていったのだから。でも君はこれっきりじゃない。また11ヵ月後には、こうして沖縄のこの場所へ戻ってくるんだ。しばらくの辛抱さ。ゆっくりお休み。

冗談みたいな本当の話

2010年05月07日 | 大学
 昼休み、インスタント味噌汁を飲んだコップを洗おうと廊下の洗面所に行くと、先客である年配の某教授が背中を丸めて、歯ブラシを洗っていた。たぶん食後の歯磨きを終えたところなんだろう。ぼくは軽く会釈した。しかし、ここでとんでもない話を聞いてしまったのである。
 「たいへんなことをしちゃったんですよ。私ね。歯ブラシに皮革用の接着剤を、歯磨き粉と間違えてつけちゃったんです。」そういうと、私に、洗面台の横に蓋をあけた状態で置かれた、歯磨きチューブよりちょっと小さな接着剤のチューブを指差した。
 正直、私は絶句して、すぐに反応することができなかった。彼はそんな私の表情を見透かしたように、表情一つ変えずに続けてこういった。
 「なんでだろうなあ。歯磨き粉と並んで、接着剤のチューブが置かれていたんですよ。」
 それ、おかしくありません? もしかしたら、第三者がいたずらで置いたとか? しかし、どうも自分で置いたらしいのである。しかし、歯磨き粉と接着剤ではさわった感じが違いそうなものである。
 「それにしても、接着剤を口に入れて磨かなくてよかったですよ。やっぱり、接着剤は毒ですかね?」
 食べたことがないのでわからないが、歯に皮革用の接着剤がこびりつくなんて考えるだけで気分が悪くなりそうだ。
 ところで、私が気になったのは、なぜか、教授が接着剤のこびりついた歯ブラシを必死になって洗っていたことである。
 「先生、もう、その歯ブラシだめなんじゃないですか。捨てた方が……。」
 「やっぱり、捨てた方がいいですかね。ハハハハ……。」
 まさに冗談みたいな本当の話である。

ブログ4年目に突入

2010年05月06日 | 家・わたくしごと
 ブログをはじめたのは2007年5月6日。ということはちょうど本日でブログ開設から4年目に突入したということになる。最近は毎日の更新は難しくなってきているが、それでも「継続は力なり」で細々と続けていくつもりである。
 「短い文章を10分程度で書く」という訓練はそれなりに成果をあげただろうか。硬い文章ばかり書いていたとき、少し他のものも書いてみようとはじめたブログである。少しずつ読者も増え、ときには感想が個人的なメールを通して、また友人会ったときに聞かせてもらえるときもある。
 ブログのコメント機能はあいかわずクローズにしたままだ。本来、一方通行であるべきではないが、やはり毎回チェックしてそれに返事を出す自信がない。当分は、このまま一方通行のブログであるが、今、私が考えていること、体験したことをブログを通して楽しんでいただきたい。それにしても3年間は早かった……。

喫茶「静香」

2010年05月05日 | 
 先週、久しぶりに千本今出川にある喫茶「静香」に行った。レトロ風な建物や店舗というのを最近よくみかけるが、この喫茶店はレトロ風ではなく、完璧なレトロである。店は昭和13年創業。ネットをみると京都で二番目に古い喫茶店と書かれていた。
 コーヒーはフレッシュ(いわゆるミルク)を入れたもので、角砂糖がスプーンの上に二つのせられて運ばれてくる。三条にあるイノダコーヒーだとすでに砂糖が入れられているが、ここではフレッシュのみ。フレッシュがコーヒーに入っているのが、京都のレトロな喫茶店の礼儀らしい。
 店には和製シャンソン(たぶん1950年代の音源だろう)が流れている。コーヒーの香り、古い建物の独特の椅子や机、70年近く営業してきた喫茶店の時間が集約されてきたようなたたずまいは、どれをとっても私にぴったりだ。350円でこの空間とおいしいコーヒーを味わえるなんてまさに至福の時間。京都には私の好きなそんな場所がまだまだたくさん存在する。