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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

「果物を食す」という儀礼的行為

2010年05月09日 | 家・わたくしごと
 小学校を卒業する頃までだったろうか、息子は寝る前に、眠い目をこすりながらも両親の前に立って、「果物くださいな」と言ってやさしく微笑んだ。たとえ、その直前に大声で親に怒られていようと。そんな笑顔にすっかり負けてしまって、両親は「食べたら早く寝なさい」と、冷蔵庫の中にある果物の何かを一つ、二つ、お皿に入れて机の上に置いた。不思議と数に文句を言われた記憶がない。
 息子が果物を食べる様子は、まるで儀礼的行為のように、規則的で、しかもたんたんと遂行された。決まって最後に「美味しかった」と口にした。それは儀礼が終わる合図のようなものだ。彼はその後、歯を磨き、布団に入った。毎日がその繰り返しだった。果物がない時は、フルーツジュースを「噛んだ」。果物は食べるものだから、ジュースも飲むのではなく、食べなくてはならなかった。そのために儀礼的に彼はジュースを口に含んで、数回噛まなくてはならなかった。それが規則なのである。そう、儀礼は規則に従った遂行的行為なのだから。あれから何年か経って、いつ頃からか彼は「果物くださいな」と言わなくなったし、寝る前に果物を食べる儀礼も遂行しなくなった。儀礼は時代の流れの中で必要となくなり、忘れられたのだろう。少なくても私はそう思っていた。
 ところが最近、私は彼の儀礼が実は形を変えて継続していることに気が付いたのだ。息子は寝る前に一人冷蔵庫を開け、フルーツゼリーを食べていたのだ。そう、ゼリーであってもそれは彼の中では噛むことが可能な果物ということだ。そして母親はそれを知っていて、そのゼリーを常に供給し続けていた。母親が儀礼の供物係(トゥカン・バンタン)のような役割を演じている。もう夜も11時近い。そろそろ息子は冷蔵庫に近づいて、ゼリーを手に取るだろう。それは彼にとっては安眠を約束するための儀礼的行為なのだからね。