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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

「添田唖蝉坊は生きている」

2010年05月28日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近購入したCDのうちの一枚。1973年にレコードで発売されたもののCD復刻である。添田唖蝉坊は、日本のポピュラー音楽史の中では、その創世記に登場するシンガーソングライターである。いわゆる明治時代から歌われるようになった「演歌」の演歌師。息子の添田知道は、父親の仕事を継承するだけなく、多くの評論を書いたので、唖蝉坊のことも多くの記録が残っている。
 この「演歌」が現代によみがえったのは、実は1960年代後半のフォークシンガーたちによるところが大きい。こうした音楽を「発見」し、そのままの歌詞を歌ったり、1960年代の世相にあわせて替え歌にしたりと、さまざまな形でよみがえった。唖蝉坊は若くして日本社会党にかかわり、「演歌」が社会主義思想の宣伝歌となっていったことを考えると、1960年代後半のフォーク歌手たちがとりあげたのもわかるような気がする。
 高田渡もそんな「演歌」復興の立役者の一人である。高田渡は唖蝉坊の詩を使って、アメリカ民謡に乗せたり、自ら作曲して歌った。高校時代からぼくは高田渡の歌を、唖蝉坊の歌と知らずに聞いていたのだが、不思議と世相を歌う内容というのは、今にもぴったりだ。今《のんき節》の最初の歌詞を聞いて、なるほどと思うのである。
 学校の先生は えらいもんじゃそうな
 えらいからなんでも 教えるそうな