秘められた名作では私のピンボケ写真ばかりだったので、今回は大々的にウィキ・フリー画像でご紹介します
この教会は、ウィーン16区シュメルツ地区の教区教会で、正式の名称は「聖霊教会」です。サラエボで暗殺された皇位継承者フランツ=フェルディナント大公の夫人がパトロンとなり、1908年から1913年に建てられました。
この建物のどこが画期的かというと、ウィーンで初めての鉄筋コンクリート建築なのです。
当時としては斬新な建材であり、新鮮な実験だったと言えます。
コンクリートを使ったため、身廊と側廊を隔てる列柱が不要になり、どこからでも、中央祭壇が見られるようになっています。
中央祭壇には聖霊の7つの美徳の寓意像が描かれています(敬虔さ、強さ、洞察力、知性、助言、学問、神への畏れ)。
祭壇中央の鳩が聖霊のシンボルです。ユーゲントシュティルの特徴が良くわかります。
ランプもユーゲントシュティルです。中央祭壇の左後に地下聖堂へ降りる階段があります。
この地下聖堂を見ると、ダマスカスのアナニアス教会を思い出します。キリスト教本来の飾らない謙虚さが感じられます。
地下聖堂の祭壇
洗礼盤(洗礼者ヨハネの半身像)
この画期的な教会を設計したのが、オットー・ワーグナーの弟子ヨジェ・プレチニックです。
1933年のプレチニック
プレチニックは、ウィーンのほかプラハでも活躍し、後年はリュブリャナに戻って都市開発計画に参加、多くの建築を設計しています。現代のリュブリャナは、プレチニックによって造形されたと言っても良いでしょう。
以前に読んだプレチニックの伝記には、色々手紙が引用されていましたが、機知に富む楽しい手紙でした
プレチニックは謙虚な人柄で「自分の設計したものが全て建てられる必要はない」として、沢山の建てられなかった設計図を遺しました。
ほかにプレチニックの作品をふたつ・・・
ウィーン旧市街にあるツァッハールハウス:1903-1905年
プラハにある聖心臓教会:1928-1933年
プラハ城には、非常に洗練されたモダンな部分があります。これは、チェコスロバキア共和国初代大統領トマシュ・マサリクの委嘱によりプレチニックが担当した近代化部分です。
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うちに下がってたら頭を打ちますけど(笑)、照明とか。
天井の高さや空間などがあって初めて
生きるのでしょうけどもやはり憧れます。
ウイーンは1回だけいったのですが、
あちこち見る時間もなくてほんとうに残念。
素敵なところがおおい街ですよね...
百花繚乱タイプのアールヌーボーもいいですが
イギリスのマッキントッシュに繋がる直線的デザインは
伝統を土台としつつすっきりシンプルで好きです。
横着で、なかなかアップに至らないものが多いですが
これからも、知られざる名所・名作を紹介したいと思います