そろそろ年末に近づきつつありますが、ラジオや新聞やHPなどで、改めて周年ラッシュだなとビックリ
尤も、細かいことを穿り返せば、毎日なにかの周年です
宗教改革500周年
1517年10月31日に
マルティン・ルターが
ウィッテンベルクの教会に
95ヵ条を貼り出したのは、教会改革のためでしたが、結局
プロテスタントの始まりとなりました。
マリア・テレジア生誕300周年
昨年の
フランツ・ヨーゼフ皇帝没後100周年と同様、色々記念の特別展があったのですが、気付いてみれば終了した後でした。マリア・テレジアは、各国君主の領土要求と戦って所領を守り、政治改革も行った「国母」的存在ですが、フランツ・ヨーゼフ皇帝のように悲劇的ではないのと、大きなマリア・テレジア記念碑が目だって日頃いつでも一緒にいるという感じなので、つい特別展を忘れてしまいました。
ロシア革命100周年
1917年は第一次世界大戦中です。その中で
2月革命が始まりました。
2月革命後の指導者
ケレンスキー
ケレンスキーの名前は知っていましたが、亡命後もロシアの政治に参画しようと努力していたことは今になって知りました。この人が主導していたら、ロシア皇帝一家が惨殺されるということもなかったかも知れません。
10月革命(
ボリシェビキによるクーデター)の指導者
レーニン
労働者階級の解放というスローガンのもとに無数の犠牲者を出し、さらに
スターリン時代の
大粛清も加えると犠牲者の総数は億に達すると思われます。
バルフォア宣言100周年
当時の
英外務大臣バルフォア
これが現在も続く
パレスチナ問題の発端で、バルフォアは張本人といえます。ほかにも
サイクス・ピコ協定が発端のひとつです。
これだけならまだしも、さらに
フサイン・マクマホン協定がありました。
フサイン・マクマホン協定では当時のメッカのエミールにアラブ国家設立を約束し、サイクス・ピコ協定ではオスマントルコ治下にあった中東地域をフランスとイギリスの間で分け合い、バルフォア宣言では、同じ土地にユダヤ人国家設立を約束しました。
いずれもイギリスの約束で、
三枚舌外交と呼ばれますが、史上初の世界大戦の最中、夫々の立場の担当者が互いに連絡をとることなど無しに、ひたすら戦争に勝つことだけを目標に約束した内容で、後になって気付いてみれば、この3つの約束を実現するのは全く不可能だったのです。
蛇足ながら、2つの世界大戦に勝つことでイギリスは貧しくなりました。
3つのデタラメな約束の最大の犠牲者がパレスチナ難民ですが、常に「存亡の危機」のなかにある
イスラエルも決して幸せとは言えません。