ひめちゃんは、まだ薄暗いうちにお散歩に出ました。
ハイシニアのタバサねーちゃんは、ゆっくりお散歩に出かけました。
ちょうど小学生の登校時間ですけど、気にしてません。
父兄が集合場所まで送っていくらしいです。
後ろから声がかかります。
「おはようございます」
「おはようございます」
「あのう、子犬の予定はありませんか?」
「え」
「実は柴犬を飼いたいと思っているのです。ペットショップには、いないのです いないだけでなく、予約しても、柴の赤ちゃんが入荷の予定は全くないそうです
」
「え ごめんなさい。うちの子達は、もうおばあちゃんで。どうしたんでしょうね
一時は柴犬が30万円もの値段が付いていたのに
お役に立てなくてごめんさい
」
そういえば、しばらく前に「子犬はいませんか?」と来たおじさんがいました。
黒柴家族が大勢でお散歩するのを見ていたのです。
「柴の赤ちゃんがいない」、どうしてだろう
タバちゃん、用を済ませると、快調に飛ばします。
椿の開花がなかなか進みません
曙(あけぼの)、やっと咲きました
本日、どうしてもお願いしたいことがあって、再び谷中の如意輪観音を参拝です
厨子の中のお姿を思いながら合掌
実はこのご本尊の写真を見たことがあります。
外の石仏の如意輪観音を小さく小さくしたような、素敵な金色のお姿だったと思います
ふと見ると、寒桜かな
2週間前には咲いてなかったと思います。
なんとなく、春の足音が聞こえそう
あれ、灯籠もこんなに凝っていたんだ
獅子の下には、十二支の動物です
獅子くん、逆立ちお疲れさま
石仏の、ふくよかな慈悲に満ちた雰囲気の如意輪観音さんにも合掌です
なんとなくずーっとこのお姿は記憶にありました。
もう一度合掌
側にある由緒、ちょっとわかりにくい所もあります。
『邑楽館林史帖』(みやま文庫 青木源作 平成6)にも、東上州三十三番札所についての記述があります。
東上州三十三番札所
「東上州三十三番札所」は宝永五年(1708)に廻国僧の堯観によって定められたもので、その後第29番札所の最勝寺僧前性が、寛延2年(1749)に札所順礼諸人のためにこの案内所をつくり、版木を堯観ゆかりの谷中村(言邑楽町)観音堂に納めた。かつてさかんだった札所巡りも次第に衰退しているのをなげき、明治37年(1904)谷中村の金井喜四郎、同佐々木熊次郎によって再刻されたものである。
再刻された版木の写真(個人蔵)も載ってます。
札所巡りの人々で賑わったのです。
ここにはその案内所と言うべき、版木があったのです。
由緒の碑のちょっとわかりにくい所を補う記事です
さて、売店に寄ります。
ざらめせんと、なんとなくもう一品、買い求めます。
あれ、観音せんべいでした
何かいいことあるかな