1999/02/28
この日、クモ膜下出血で高知赤十字病院に運ばれた40歳代の女性患者が脳死状態に陥り、
取り出された心臓が大阪大学で、肝臓が信州大学で、移植を必要とする患者に移植されました。これは、1997年に制定された臓器移植法に基づき初めて行われた、脳死者からの臓器移植となりました。
心臓、肝臓、腎臓などの重い病気のために、内臓そのものを取り替えなければ助からない場合の治療の方法として、臓器移植があります。しかし以前は、他人から臓器を移植すると拒否反応が起こり、臓器が働かなくなるため、臓器移植はうまくいかないとされていました。しかし、拒否反応を抑える薬が開発され手術などの技術も進み、他人どうしでも一定の条件が整えば、臓器移植は可能となりました。
その一方で、移植するための臓器をどのように確保するかが大きな課題の一つでした。肝臓などの一部の臓器などは、生きている人から一部を切り取って移植することができますが、ほとんどの臓器は、生きている人から取り出しては、取り出した人が死んでしまったり健康を大きく損なってしまいます。したがって臓器移植のためには、死んだ人から臓器を取り出さなくてはなりません。
長い間、心臓がとまっていること、自発呼吸がとまっていること、瞳孔が開いたままで光に反応しないことの3つを満たしている場合に、人の死とすることが一般的でした。そして、それは今も変わっていませんし、法律などでも決まっています。
しかし、医療技術が大きく進歩した現在では、例えば交通事故で頭に大きなケガを負って、脳を傷つけてしまい、治療してもとに戻すことができないような場合でも、人工呼吸器などを用いることで、しばらくの間心臓を動かし呼吸を続けることが可能になりました。(このようにして、脳が働かなくなった状態を「脳死」と言います。)
この様なことが起きるようになって、そもそも心臓がとまっていることをもって人の死と見なすことがいつも適当と言えるのかどうかが、問い直されることになりました。人にとって、脳がものを考えるところであってその人本人であることを決めるのだから、脳が働いているかどうかが人の生死の判断となるのではないか、という考え方がその一つです。
そして、脳が働かなくなった場合を人の死と判断してもいいのではないか、という考え方が生まれました。これを言い換えれば、「脳死を人の死とする」と言えます。
角膜や腎臓は、心臓が止まった人から取り出しても、まだ働いており移植ができますが、心臓や肝臓は、働きが弱まってしまい移植することができません。しかし、もし、先に書いたように「脳死を人の死とする」と決めれば、脳が働かなくなっても心臓が動いている人から、心臓や肝臓を移植することができるようになるのです。そのように国として決めたのが、臓器移植法(臓器の移植に関する法律)でした。
臓器移植法では、脳死の場合の臓器移植は、脳死になった人が、生きているときに、脳死になった場合には臓器を提供してもいい、という意志を示していることと、家族の同意が必要とされています。したがって、いつでも脳死となった人からの臓器を取り出せるわけではありません。
しかし、脳死になったかの判断は、反射に関わっている脳幹が働いているかどうかを調べる検査が中心となっており、ものを考える場所である大脳については、脳波が起きていないことを検査して確認するのみとなっています。
大脳のしくみはまだわかっていないことが多く、これらの検査で、大脳が働かなくなっていて、もうもとに戻らないと言えるのは、これまでの様々な治療の結果から経験的に言えるためです。しかし、その時本人が本当に意識が全くないかどうかは、明らかではありません。
臓器移植をしてもいいという意思表示は15歳からできますが、自分が意思表示をしたい時には、様々な意見に触れて、よく考えてみてはいかがでしょうか。
2006/02/02 作成 YK
この日、クモ膜下出血で高知赤十字病院に運ばれた40歳代の女性患者が脳死状態に陥り、
取り出された心臓が大阪大学で、肝臓が信州大学で、移植を必要とする患者に移植されました。これは、1997年に制定された臓器移植法に基づき初めて行われた、脳死者からの臓器移植となりました。
心臓、肝臓、腎臓などの重い病気のために、内臓そのものを取り替えなければ助からない場合の治療の方法として、臓器移植があります。しかし以前は、他人から臓器を移植すると拒否反応が起こり、臓器が働かなくなるため、臓器移植はうまくいかないとされていました。しかし、拒否反応を抑える薬が開発され手術などの技術も進み、他人どうしでも一定の条件が整えば、臓器移植は可能となりました。
その一方で、移植するための臓器をどのように確保するかが大きな課題の一つでした。肝臓などの一部の臓器などは、生きている人から一部を切り取って移植することができますが、ほとんどの臓器は、生きている人から取り出しては、取り出した人が死んでしまったり健康を大きく損なってしまいます。したがって臓器移植のためには、死んだ人から臓器を取り出さなくてはなりません。
長い間、心臓がとまっていること、自発呼吸がとまっていること、瞳孔が開いたままで光に反応しないことの3つを満たしている場合に、人の死とすることが一般的でした。そして、それは今も変わっていませんし、法律などでも決まっています。
しかし、医療技術が大きく進歩した現在では、例えば交通事故で頭に大きなケガを負って、脳を傷つけてしまい、治療してもとに戻すことができないような場合でも、人工呼吸器などを用いることで、しばらくの間心臓を動かし呼吸を続けることが可能になりました。(このようにして、脳が働かなくなった状態を「脳死」と言います。)
この様なことが起きるようになって、そもそも心臓がとまっていることをもって人の死と見なすことがいつも適当と言えるのかどうかが、問い直されることになりました。人にとって、脳がものを考えるところであってその人本人であることを決めるのだから、脳が働いているかどうかが人の生死の判断となるのではないか、という考え方がその一つです。
そして、脳が働かなくなった場合を人の死と判断してもいいのではないか、という考え方が生まれました。これを言い換えれば、「脳死を人の死とする」と言えます。
角膜や腎臓は、心臓が止まった人から取り出しても、まだ働いており移植ができますが、心臓や肝臓は、働きが弱まってしまい移植することができません。しかし、もし、先に書いたように「脳死を人の死とする」と決めれば、脳が働かなくなっても心臓が動いている人から、心臓や肝臓を移植することができるようになるのです。そのように国として決めたのが、臓器移植法(臓器の移植に関する法律)でした。
臓器移植法では、脳死の場合の臓器移植は、脳死になった人が、生きているときに、脳死になった場合には臓器を提供してもいい、という意志を示していることと、家族の同意が必要とされています。したがって、いつでも脳死となった人からの臓器を取り出せるわけではありません。
しかし、脳死になったかの判断は、反射に関わっている脳幹が働いているかどうかを調べる検査が中心となっており、ものを考える場所である大脳については、脳波が起きていないことを検査して確認するのみとなっています。
大脳のしくみはまだわかっていないことが多く、これらの検査で、大脳が働かなくなっていて、もうもとに戻らないと言えるのは、これまでの様々な治療の結果から経験的に言えるためです。しかし、その時本人が本当に意識が全くないかどうかは、明らかではありません。
臓器移植をしてもいいという意思表示は15歳からできますが、自分が意思表示をしたい時には、様々な意見に触れて、よく考えてみてはいかがでしょうか。
2006/02/02 作成 YK